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      Walkabout #12 心を開くということ—ある子どもたちとの出会い(浅野佳代)
      Saudade Books
      • 2019年10月5日

      Walkabout #12 心を開くということ—ある子どもたちとの出会い(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 ・ ある子どもたちとの出会い 最近、とあることがきっかけで、「先生」と呼ばれる仕事に携わることとなった。まったく意図していなかっただけに不思議なのだが、自然な流れでそうなった。これまでに何かを教えた経験はないから、自分でそうしようと思っていたら、おそらく躊躇していたことだろう。 私のことを「先生」と呼ぶのは、学習支援が必要な発達に障がいをもつ小学生や中学生の子どもたちだ。彼らは学校が終わってまっすぐに教室にやってくる。彼らからすると、そこにいる大人はみんな「先生」になるらしい。せいぜい「新しい先生」「いつもいる先生」の違いがあるくらいで、初対面であっても気兼ねなく話しかけてきてくれる。 経験のない、初めてばかりの環境で、どうしていいのかわからず戸惑う私に、声をかけてくれるのはいつだって子どもたちのほうだ。「ねぇねぇ、アンパンマンのこのキャラクター、知ってる?」「昨日はディズニーシーに行って来たの」「ぼく、卓球がやりたいな」。こちらから質問をしなくて
      Walkabout #11 マインドフルネス瞑想のひととき(浅野佳代)
      Saudade Books
      • 2019年9月21日

      Walkabout #11 マインドフルネス瞑想のひととき(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 ・ 残暑の厳しい8月下旬、島田啓介さんの「マインドフルネス瞑想会」に参加した。島田さんは、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハンの著作の翻訳者であり、1990年代から日本にハン氏を招へいするために尽力し、「マインドフルネス」という用語が認知されるずっと前から、マインドフルネス瞑想を実践されている方でもある。私自身、ヴィパッサナー瞑想と出会う何年も前から、ティク・ナット・ハンのことばに親しんできた。今も変わらず、時々思い出したように家の本棚から著作を引っ張り出しては、彼の言葉にふと立ち戻ることがある。ブッダの教えに基づいた智慧と、「仏教」という枠組みに縛られない、いのちへのまなざしがページの随所に溢れていて、読み返すたびに大きな励みを得るのだった。 「マインドフルネス」という言葉は、今や書店に行けば棚で見かけない日はないほど、(その本来の意味はさておき)広く知られている。私は時折マインドフルネスに関する本を手に取るなかで、ひとりの読者として、島田さん
      Walkabout #10 春の訪れ(浅野佳代)
      Saudade Books
      • 2019年8月1日

      Walkabout #10 春の訪れ(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教え。今回は詩のことばを掲載します。 ・ 春の訪れ 一年のうちの幾度か、瞑想の道を歩む善き友、善き師とともに過ごす時間があります。 それはやわらかく、あたたかく、ほほえましく。 なにも求めず、求められず。 ただわかちあい、ただ受け取る。 そんな、かけがえのないひととき。 互いの成長を喜び、笑い、ときに涙し、 友の励ましと慈しみにそっと感謝して ここからまたがんばろうと決心しながら それぞれの日常へと戻っていく。 これまでもきっと時を超え、場面を変えながらも 純粋な友情をこうしてわかちあってきたのでしょう。 「真実の道を歩む」と決心すれば 真の友との出会いが少しずつ、少しずつ増えていく。 ほんとうの友、師との出会いが 人生を正しい方向へと導いていく。 それは、取引のない関係。 始めから得るものも、失うものもなく 上もなく、下もなく、 互いに緊張を強いることのない、自然な関係。 ただここにあなたがいて わたしがいる。 そのいのちの尊さに、感謝が溢れてくる。 そんな出会いがあるなんて、想
      Walkabout #9 真実とともに—ニュージーランド・ケリケリ(後編)(浅野佳代)
      Saudade Books
      • 2019年7月5日

      Walkabout #9 真実とともに—ニュージーランド・ケリケリ(後編)(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 . ケリケリでのリトリートでは毎日、午前と午後に数回の瞑想と、夜にはサットサン(真実のわかちあい)が行われ、その合間にはティーセレモニーという時間があった。 ティーセレモニーは、Aさんのもてなしによる、みんなでお茶をいただく時間。と言っても、おしゃべりに興じるのではなく、沈黙でお茶とお菓子をゆっくりといただく。ただそれだけの時間なのだが、私にとっては、瞑想と瞑想のあいだの、ほんのすこしの安らぎのひとときでもあった。 初めてのティーセレモニーの日。Aさんが用意してくれたチョコレートビスケットをつまんでいたとき、ふと幼い頃に母親から同じようなお菓子をよく買ってもらったことを思い出した。いつもこんなふうに私の好むものを惜しみなく与えてくれた母。けれども私は、幼い頃だけでなく、いつだってその優しさを真正面から受け取ったことがなかったし、こんなにもじっくりとお菓子の味や甘さや、そのやわらかさに触れたことなど一度もなかった。そう思ったとき、母への感謝と、今まで
      Walkabout #8 沈黙の中で—ニュージーランド・ケリケリ(中編)(浅野佳代)
      Saudade Books
      • 2019年6月9日

      Walkabout #8 沈黙の中で—ニュージーランド・ケリケリ(中編)(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 . ニュージーランドでの滞在 ニュージーランドのベイオブアイランズ空港に着いたのは、午後の日差しが明るく輝く頃だった。平屋建ての小さな空港には、数か月前に神戸で出会った女性(Aさん)が出迎えに来てくれていた。日本の小さな離島を飛び出して、遠路はるばる異国の小さな町での再会となった。 参加者は私を含めて二人。宿泊先のニュージーランド人のオーナーが車で送迎してくれたので、まずはスーパーへと買い出しに向かった。車中では前の座席に座っているオーナーとAさんがさりげなく会話をしていた。英語で何を話しているかはよくわからなかったが、ポン、ポンと、キャッチボールのように軽やかに言葉がやりとりされる。どこにも無理がなく、緊張がなく、まして相手の気を引こうとか、わかってほしいという余計な気持ちを乗せることのない、シンプルな会話が耳に心地よかった。 町のスーパーでは、リトリート中に自炊するための食材を調達することとなった。ニュージーランドでの滞在は、わずか一週間足らず
      Walkabout #7 出会い—ニュージーランド・ケリケリ(前編)(浅野佳代)
      Saudade Books
      • 2019年5月1日

      Walkabout #7 出会い—ニュージーランド・ケリケリ(前編)(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 ・ ニュージーランドの北部、ベイオブアイランズという島嶼部にある小さな町、ケリケリに行ったのは、今から5年前のこと。関西国際空港からオークランドに向かい、オークランドからは、小型機に乗り換えてベイオブアイランズ空港へ。 20席にも満たないほどの小さな機内では座席からコクピットを垣間見ることができて、機長さんたちは笑顔で会話を交わしていた。小学生くらいの女の子は乗り慣れた様子でキャビンアテンダントとおしゃべりしている。ここでは気難しい表情をしている人は誰もいない。小さな空間にもかかわらず、ゆったりとしたあたたかい雰囲気が漂っていた。ケリケリではこれから数日間のリトリートに参加する。ベイオブアイランズ空港では、一人の日本人女性が到着を待ってくれているだろう。 瀬戸内海の島で暮らして 当時の私は、瀬戸内海の小さな離島に家族とともに移住し、生活をしていた。そこでの暮らしは、田んぼと畑に囲まれた、文字通りの田舎の生活。周囲の人たちは自給自足に近い暮らしをして
      Walkabout #6 ウェブ・サヤドーの智慧のことば(浅野佳代)
      Saudade Books
      • 2019年4月1日

      Walkabout #6 ウェブ・サヤドーの智慧のことば(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 . 昨2018年の12月に旅したミャンマーで、私はある偉大な瞑想者の足跡を辿った。ミャンマー北部の小さな村に生まれ、ブッダの教えに出会って僧侶となり、ヴィパッサナー瞑想を熱心に実践したのちに涅槃に至ったとされるウェブ・サヤドー(1896〜1977)である。 ウェブ・サヤドーの存在は日本ではあまり知られておらず、私もミャンマーに行くまでは名前を知っているくらいだった。けれども、ウェブ・サヤドーの生まれ故郷や入滅した場所などを実際に訪ねて、彼自身が学び、伝えたことを肌で感じることよって、しだいに深い敬意と親しみを持つようになった。 今では私にとって、ウェブ・サヤドーは雲の上のようなどこか遠いところにいる存在ではなく、ヴィパッサナー瞑想を真に実践した人、ブッダの叡智を純粋に守りたゆみなく教え続けた人、そしてたった今も教え続けている人として、いつもそばで見守ってくれているかのような、近しい存在となった。 ・ ミャンマーのウェブ僧院でいただいた英語の小さなブ
      Walkabout #5 インド、ラマナ・アシュラマムへの旅(浅野佳代)
      Saudade Books
      • 2019年3月1日

      Walkabout #5 インド、ラマナ・アシュラマムへの旅(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 . アルナチャラの丘の上を 小さな鹿や熊や 豚たちが歩きまわる 大きな象も歩きまわるが すべて 平和である ここには主アルナチャラが アンナマライの御名によって 浄められた 至高の知識として在り やってくるものたちの 無知をぬぐい去る 主の恵みに洩れるものは 誰もいない ­­——ラマナ・マハリシ『ラマナ・マハリシの教え』(山尾三省訳、野草社) 初めてのインドは、ラマナ・アシュラマムへの旅だった。 大学生のころ私は、宗教学のフィールドワークを兼ねてバリ島によく通っていた。休暇の度に長期滞在していたから、現地の知り合いも多く、言葉もある程度覚えて、一般的な旅行者よりもバリ・ヒンドゥーの世界に深く入り込んでいたように思う。 けれども、同じヒンドゥー教の故郷であるインドへは、一度も足を踏み入れたことがなかった。それはインドの神聖な大地に対する、深い敬意と憧れからだった。何か、中途半端に足を踏み入れてはいけないような感覚が私の中にいつもあった。もしインドに行
      Walkabout #4 ミャンマーへの旅・後編 ヴィパッサナーの源流をたずねて(浅野佳代)
      Saudade Books
      • 2019年2月2日

      Walkabout #4 ミャンマーへの旅・後編 ヴィパッサナーの源流をたずねて(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 . 「ブッダの教えは、すべての人々のためのものである。それは実践的なもので、年齢、人種、宗教の如何にかかわらず、誰でも実際に取り組むことができる。幸福と真実を求めるものであればいかなる者でも、仏道(ブッダの生きた道)をたどるべきであろう。事実、仏道は今日の世界のいたるところで求められ、模範とされている。ウェブ・サヤドーの説く涅槃への最短の道はまったくシンプルで、明快で、わかりやすく、何の困難もなく実行に移すことができる。」 ——『ウェブ・サヤドー尊師によるブッダ・ダンマの本質』序文より サヤ・テッ・ジの生まれ故郷へ ヤンゴンのインターナショナル・メディテーション・センター(IMC)で10日間の瞑想を終えた私たちは、タクシーを手配してサヤ・テッ・ジ(1873〜1945)の生まれ故郷の村、ダラへと向かった。 IMCを設立したサヤジ・ウ・バ・キンの先生であるサヤ・テッ・ジは、農村の出身ながら瞑想を熱心に実践し、レディ・サヤドー(1846〜1923。膨大な
      Walkabout #3 ミャンマーへの旅・前編(浅野佳代)
      Saudade Books
      • 2019年1月8日

      Walkabout #3 ミャンマーへの旅・前編(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 . 真冬の日本からミャンマーへ。ブッダの教えを学び、ヴィパッサナー瞑想を始めて3年。その源流の地とされるミャンマーにいつか行ってみたいと思っていた。2018年の12月、友人や家族の協力と理解によってその願いは実現し、成田空港から飛行機を乗り継いでミャンマーにやってきた。 12月のヤンゴンは、気温30度近く。飛行機を降りた瞬間からむわっとした熱気に包まれる。亜熱帯の空気感やヤシの木がそびえる風景は、昔よく旅していたバリ島に似ている。仏教国らしい、人々のやわらかい微笑みや気品に旅の疲れが癒される。 空港からタクシーに乗ってホテルに着くと、部屋には一輪のバラの花が飾られ、テーブルには果物が添えられていた。窓からは、赤い屋根瓦の向こうに、シュエダゴン・パゴダ(寺院)の尖塔がうっすらとみえ、光り輝いていた。 翌日、日本からやってきた友人と合流し、私はヤンゴンのインターナショナル・メディテーション・センター(IMC)で10日間のヴィパッサナー瞑想に参加した。
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      • 2018年12月1日

      Walkabout #2 瞑想の旅の前に(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 . ブッダの言葉 修養と、清らかな行いと 聖なる真理を見ること 安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること これがこよなき幸せである 世俗のことがらに触れても その人の心が動揺せず 憂いなく 汚れを離れ 安穏であること これがこよなき幸せである 近々、ミャンマーへの旅を予定している。ミャンマーは、ブッダの時代から脈々と受け継がれてきたヴィパッサナー瞑想の源流地として、ブッダの教えの純粋なエネルギーがいまも遺されているという。純粋なエネルギーとは、清らかであるということ。水が流れるままに、風のふくままに、そのままであること。 ブッダは現実をそのままに観ることを実践した。自然界のすべては起こるままに起こっていて、あるがままに調和している。それを心と体によって直接確かめたのだった。 水の流れも、風の動きも、すべては常ならず、わたしも、この身体も、瞬間瞬間にその姿を変えて、つかむことすらできない。もしそこに手を出せば、物事はかき乱され、より複雑になってしまう。け
      Saudade Books
      • 2018年11月1日

      Walkabout #1 はじめに(浅野佳代)

      旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。 . サウダージ・ブックスは「旅」と「詩」と「自然の教え」をテーマにしています。人生という旅の途上で、詩の言葉や自然の恵みなど、さまざまな世界に触れたとき、身体の外から受け取ったものが、内側ではどんなふうに響いているのか。その感覚をただ感じたままにしておくだけでなく、自分の言葉で表現してみるとしたら? それは、わたしたち自身が本当はどういう存在なのかを思い出してく旅路につながっていくと思います。 私自身は、ここ3年ほどのあいだにヴィパッサナー瞑想の実践を通じて、ブッダの言葉に触れる機会が多くなりました。それは「仏教」という宗教の枠組みにカテゴライズされる以前の、ブッダ自身による直接の教えであり、あえて一言であらわすとすれば「自然の摂理」と言えるでしょう。ヴィパッサナーとは、「現実をありのままに観察する」ことを意味しています。 ブッダはこの瞑想法を実践することによって涅槃に至ったと伝えられていますが、それよりも大切なのは、たったいま心と身体に起こってい
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