top of page
  • 執筆者の写真Saudade Books

Walkabout #10 春の訪れ(浅野佳代)

更新日:2019年10月19日



旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教え。今回は詩のことばを掲載します。




春の訪れ


一年のうちの幾度か、瞑想の道を歩む善き友、善き師とともに過ごす時間があります。


それはやわらかく、あたたかく、ほほえましく。

なにも求めず、求められず。

ただわかちあい、ただ受け取る。

そんな、かけがえのないひととき。


互いの成長を喜び、笑い、ときに涙し、

友の励ましと慈しみにそっと感謝して

ここからまたがんばろうと決心しながら

それぞれの日常へと戻っていく。


これまでもきっと時を超え、場面を変えながらも

純粋な友情をこうしてわかちあってきたのでしょう。


「真実の道を歩む」と決心すれば

真の友との出会いが少しずつ、少しずつ増えていく。

ほんとうの友、師との出会いが

人生を正しい方向へと導いていく。


それは、取引のない関係。

始めから得るものも、失うものもなく

上もなく、下もなく、

互いに緊張を強いることのない、自然な関係。


ただここにあなたがいて

わたしがいる。

そのいのちの尊さに、感謝が溢れてくる。


そんな出会いがあるなんて、想像すらできない日々もあったけれど

瞑想が深まっていくとともに

見える風景も出会う人たちも少しずつ変化して


春の訪れを待つ蕾のように

頑なにぎゅっと閉じていたものが

ゆるやかに、やわらかく

ひらいてく。


光が射すほうへと


(2017. 2. 20)




秋の風景のなかで


秋晴れの美しい空のもと、安曇野の山裾で

沈黙と瞑想で過ごした数日間。


めぐる季節のなか

一年に一度でも日常から少し離れた静かな場所で

日々のあれこれをすっかり脇に置いて

ひたすらこの身体と心に

まっすぐ向き合う時間をもつこと。


それは一見自分のためにしているようでいて

すべてのいのちをいたわること。


それは目に見えるものたちも

目に見えないものたちも

遠くに住むものたちも

近くに住むものたちも

すでに生まれたものたちも

これから生まれるものたちも

すべての生きとし生けるものへと

しあわせがここから広がっていくこと。


沈黙に包まれて

静寂のなかで

ただ、坐る。

それがどれほど、恩恵に満ちているか。

どれほど、必要とされているか。


この宇宙には

静けさとともになければ、気づかないことが

山ほどある。


たくさんの言葉で語りかけるよりも

沈黙でいるほうが伝わることがある。


慎ましさがなければ、授からないものがある。


いのちはつねにつねに

ふるえている。

燃えている。


ありったけの慈悲と気づきをもって

迷うことなく

ものごとの真実へとまっすぐに入っていこう。


やさしい森の木々たちに、清らかな川のせせらぎに

お世話になった人たちの心遣いに

こころが洗われ、満たされた日々。


すべての生きとし生けるものへの感謝とともに


(2016. 10. 18)





わかちあいの旅へと


瞑想の日々から日常へと戻ってきました。


今回は、瞑想者としてではなく、瞑想者を支える奉仕者として。


仕事は主に、70人ぶんの食事作りをメインに、交代でトイレやキッチンの清掃など。時間に換算すると1日に10時間ほど、10日間を無償の奉仕作業に従事していました。


同じだけの時間を、瞑想者は瞑想に費やします。

そのあいだ、わたしは労働。

生徒さんは、瞑想。

どちらがすごいわけでもなく

どちらが良いわけでもなく


それぞれにいま必要なことが起こり、必要な出会いがあり

いまのその人にもっともふさわしいものがちゃんと用意されていて

心も身体も浄化されていくことに変わりないのでした。


働く喜びが日に日に増して。


朝起きて、目の前にやることがある。今日会うべき人がいる。

日が昇るとともに起きて、日が沈むとともに就寝。

晴れの日もあれば、雨の日もあり。

3食おいしいご飯をいただき、

仕事の合間に洗濯や掃除。お昼寝。

朝、昼、晩の瞑想。

そしてまた新しい一日がやってくる。

その繰り返し。


身体はクタクタ。だけど、心は軽やか。

毎日が瞬間、瞬間の連続で、

その瞬間のどれもが生き生きと輝いていました。

たくさんの笑顔と、清らかな涙に出会いました。


日が巡って、季節が巡って、大地とともに私たちも巡っている。


目の前のするべきことをしながら

自然の巡りのなかにあるとき

おのずと幸せに満たされている。


今までは

空や山や木々や、海や川といった自然が

人間に比べてあまりにも純粋でうらやましく思えることもあったけれど

人間も、彼らと何の違いもないことを知りました。


わたしたちも彼らと同じものでできていて

同じようにピュアで、清らかな存在であるということ。


だから何も心配することなんて、ない。

すべては自然に生まれ、養われ、運ばれて

最後には消えて、また巡るのですから。


今日明日の心配をしたり、今の現状を嘆くよりも

ただここで、安心していよう。


人は誰でも いつでも どこでも

何も持っていなくても 得なくても

ほんとうの幸せと

ほんとうの豊さと

ほんとうの利得に

満たされて、生きていくことができる。


そしてそのことに気づいて十分に満たされたら

わたしたちの内側に備わっているものを

今度は、わかちあうことのほうに心が向き始める。


そこからいよいよ

ほんとうの人生、わかちあいの旅へと車輪が回り始める。

ほんとうのわたしが、ようやく生き始めるのです。


(2016. 6. 5)





プロフィール

浅野佳代(あさの・かよ) 瞑想と文筆。サウダージ・ブックス代表。



bottom of page