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Walkabout #9 真実とともに—ニュージーランド・ケリケリ(後編)(浅野佳代)

最終更新: 2019年10月19日



旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。


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ケリケリでのリトリートでは毎日、午前と午後に数回の瞑想と、夜にはサットサン(真実のわかちあい)が行われ、その合間にはティーセレモニーという時間があった。


ティーセレモニーは、Aさんのもてなしによる、みんなでお茶をいただく時間。と言っても、おしゃべりに興じるのではなく、沈黙でお茶とお菓子をゆっくりといただく。ただそれだけの時間なのだが、私にとっては、瞑想と瞑想のあいだの、ほんのすこしの安らぎのひとときでもあった。


初めてのティーセレモニーの日。Aさんが用意してくれたチョコレートビスケットをつまんでいたとき、ふと幼い頃に母親から同じようなお菓子をよく買ってもらったことを思い出した。いつもこんなふうに私の好むものを惜しみなく与えてくれた母。けれども私は、幼い頃だけでなく、いつだってその優しさを真正面から受け取ったことがなかったし、こんなにもじっくりとお菓子の味や甘さや、そのやわらかさに触れたことなど一度もなかった。そう思ったとき、母への感謝と、今まで自分自身を大切にしてこなかったことへのいたらなさが同時に溢れてきて、涙がとまらなくなった。チョコレートビスケットを片手に、ポタポタと大粒の涙をこぼす私。そんな私をそっと見守るかのように、ただ沈黙のうちに、三人でお茶の時間をわかちあった。



ちょうど良いペースを見出し、無理なく動くこと


リトリートでは、座る瞑想の他に、歩く瞑想や、時には外に出て散歩をすることもあった。歩く瞑想も座る瞑想と同じように、いまこの瞬間に気づいていることに変わりない。一歩一歩集中して歩きながら、心と身体の感覚を観察する練習をした。


ある日、宿泊施設に隣接する遊歩道を散歩したとき、ランニングをする女性とすれ違った。私たちは感覚を研ぎ澄ませながら、ゆったりしたペースで大地を踏みしめるように歩いている最中だった。女性とすれ違った瞬間、彼女の呼吸が手に取るようにこちらにも伝わってきた。それは荒々しく、また重々しくもあった。


これまではランニングに対して健康的なイメージを持っていたが、彼女の息遣いから、実はそうではないかもしれないと感じた。速く走ることによって、心と身体を急かしてしまっていること、より負担をかけていること、それだけでなく、いまここにある風景も、息遣いも、身体の感覚も、見過ごしてしまうのかもしれない、と。


逆に、動きが遅すぎても視野が狭くなってしまって、気づきが鈍くなってしまう。速すぎず、遅すぎず、ただ流れるように軽やかに動ける速度はどれくらいなのか。またどんな姿勢や歩幅が適切なのか。自分にとってちょうど良いペースを見出し、無理なく動くことは、心身の安らぎにつながるということを、身をもって学んだ。





自然が与えてくれる恩恵をただ謙虚に受け取る


短い期間のリトリートではあったが、日常からいったん離れ、守られた環境の中にしばらく身をおくことによって、感覚はより繊細になり、気づきは日を増すごとにより深まっていった。最後のサットサンの日、部屋の窓から見えるケリケリの風景は圧倒的な豊かさに満ちていた。


自然は、ただ惜しみなく与える。空も海も、風も光も水も、木々も花も、その恩恵をただ、ただ、与え続けている。今までの私はそのことにすら気づいていなかった。人は自分の力で努力して幸せを掴む必要があると思っていたから。けれどもたったいま目の前に、豊かさがありありと降り注がれていることは疑いようがない。だとしたら、無限に与えられているこの幸せを、私は素直に受け取ることができるだろうか? そしてこんなにも多くの恩恵に対して、いったい何をお返しできるだろう? そんな疑問をAさんに質問してみると、優しくはっきりと、Aさんは答えた。


「私たちにできることは、自然が与えてくれる恩恵をただ謙虚に受け取ることだけです。やってくる恵みに対して何かをお返ししようとする前に、心を開いてじゅうぶんに受け取ってよいのです。受け取ることによって、それを必要とする人へとわかちあわれるのですから。」


一人一人が正直に、真実をわかちあうサットサンの時間、そうした質問のやりとりが何度か行われるうちに、私はあるひとつの決心をした。その決心は最初、体にむくむくと沸き起こり、しばらく体内に留まっていたが、やがて喉元の方まで大きく膨らむと、こらえきれずに外へと一気に吐き出された。


「これからは真実とともに生きていきたい。」


気づくと、二人の前でそんな言葉を言い放っていた。





旅から戻って


思えば小さな島での日々。どうすればいいのかわからなくなって、じっとうずくまることしかできなかった日々。人と関わりたいのに、距離感がうまくつかめなくて悩んでいた日々。誰かの噂話に怯えていた日々。思い出されるのは、楽しい思い出よりも辛かった思い出ばかりだ。けれどもそれは、私が私に嘘をついていた日々。真実とともに生きたいのに、その思いをごまかして、ひたすら耳を塞いでいた日々。だから、苦しかったんだ。島のせいじゃなかった。私が私を苦しめていたんだ。


思えば、小さな島での日々。出会ったたくさんの人たちに助けられていた。同級生のお母さんたちや学校の子どもたち、小学校の先生。小さな学校だったから、生徒と先生の名前はみんな覚えている。地域の人たち。お世話になった人たちの顔と名前もみんな覚えている。それだけお世話になって、実はたくさんの人と関わっていたということ。たくさんの恩恵がそこにあったということ。ケリケリの自然と同じように、彼らはただただ与えてくれていた。受け取ることを拒否していたのは、私に違いなかった。


それが私の真実だった。


これからはこの真実とともに生きていこう——。


そう強く決心したからかだろうか、ケリケリから戻って私の日常の背景は少しずつ、いや瞬く間に変化していった。数年後には家族とともに島を出て、田舎からまた都市に住むことになった。神戸のAさんとともに今度はインドのラマナアシュラムに行き、その後にヴィパッサナー瞑想とブッダの叡智に出会った。そして瞑想者の友人とともに、ヴィパッサナーの源流地、ミャンマーで瞑想する機会を得ることとなった。ミャンマーでは僧侶の友人もできた。離島にいた頃は専業主婦であったが、ミャンマーから戻ってすぐに再びサウダージ・ブックスの仕事に携わることになり、いまこうしてウェブマガジンの原稿を書いている。


思えば、小さな島で過ごした日々があったからこそ今の私がある。


私が私の真実と出会うために、その日々は、どんな瞬間も惜しみなく恩恵を与えてくれていた。(了)





プロフィール

浅野佳代(あさの・かよ) 瞑想と文筆。サウダージ・ブックス代表。

Instagram: @kayo_saudadebooks



#Walkabout #浅野佳代