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Walkabout #5 インド、ラマナ・アシュラマムへの旅(浅野佳代)

  • 執筆者の写真: Saudade Books
    Saudade Books
  • 2019年3月1日
  • 読了時間: 10分

更新日:2019年10月19日



旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。



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アルナチャラの丘の上を

小さな鹿や熊や

豚たちが歩きまわる

大きな象も歩きまわるが

すべて

平和である

ここには主アルナチャラが

アンナマライの御名によって

浄められた

至高の知識として在り

やってくるものたちの

無知をぬぐい去る

主の恵みに洩れるものは

誰もいない


­­——ラマナ・マハリシ『ラマナ・マハリシの教え』(山尾三省訳、野草社)



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初めてのインドは、ラマナ・アシュラマムへの旅だった。

 

大学生のころ私は、宗教学のフィールドワークを兼ねてバリ島によく通っていた。休暇の度に長期滞在していたから、現地の知り合いも多く、言葉もある程度覚えて、一般的な旅行者よりもバリ・ヒンドゥーの世界に深く入り込んでいたように思う。


けれども、同じヒンドゥー教の故郷であるインドへは、一度も足を踏み入れたことがなかった。それはインドの神聖な大地に対する、深い敬意と憧れからだった。何か、中途半端に足を踏み入れてはいけないような感覚が私の中にいつもあった。もしインドに行くなら、なんとなくではなく、確かな目的を持って行けるように、その時が来るまで待っていようと心に決めていた。


そして、その時はずっと後になってやってきた。結婚して、娘が生まれてから11年後の2015年10月。私は数人の友人とともに、南インドのティルヴァンナーマライにあるラマナ・アシュラマムを訪れる機会に恵まれた。



アシュラマムで迎える初めての朝


インドのチェンナイ空港の玄関口に着いたのは真夜中。空港からラマナ・アシュラマムはそこから車で4時間ほど。車窓から眺めていると、外は真っ暗闇にもかかわらず、ドアや窓が開けっ放しのバスがたくさんの乗客を乗せて走っていた。通りには夜通し営業しているお店がちらほらあり、暗がりの中にぽつんと灯る光がなんだか心強かった。途中、その灯りに吸い寄せられるように、一軒のチャイ屋さんに立ち寄った。初めてのインドで、初めて飲む、本物のチャイ。あったかい湯気とともに、さまざまなスパイスの香りが口の中にひろがると、緊張していた体が、ほっとゆるんだ。


アシュラマムの宿舎に到着したのは、午前4時ごろ。まだ薄暗くてあたりの様子もよくわからないので、ひとまず荷物を置いてベッドに倒れこんだ。長いフライトの末、深夜の長距離移動。緊張と疲労で体はくたくただった。と同時に、なにかやわらかなものが、胃のあたりから優しく体中にひろがっていくのに気がついた。この感覚は何だろう? 心地よさと不思議さを感じながらも、疲労と眠気で確かめることもできず、そのやわらかいものに身をゆだねているうちに、意識はしだいに遠のいていった。



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数時間ののち、街中のスピーカーから大音量で朝の詠唱が流れてきて、目が覚めた。外はまだ薄暗い。もう少し眠っていたかったけれど、出かける準備をして部屋を後にした。


アシュラマムの門の前は、車やバイクがひっきりなしに行き来する大通りに面しているものの、一歩敷地の中に入ると、外の喧騒が嘘のように、おだやかな雰囲気に包まれていた。ふと、どこからともなく子どもたちによるヴェーダの詠唱が、聞こえてくる。目の前には、アルナーチャラ山がゆうゆうと、そびえている。


ラマナ・アシュラマムで迎える初めての朝。それは神聖な朝。ここは間違いなくずっと憧れていたインドだ。そして、ラマナ・アシュラマムの中にたった今、私はいる。眠りに着く前に感じていたやわらかいものが、不思議といまも体のなかにあった。



ラマナ・マハルシとアルナーチャラ山


ラマナ・マハリシ(1879〜1950)は、沈黙の聖者として知られている。彼は青年の頃に突然、死の恐怖に包まれた。そして極限の恐怖の中で、肉体は死んでも自己は死なないことを悟った。その後まもなくして、ラマナは家を飛び出し、アルナーチャラ山に一人籠もった。それ以降アルナーチャラ山から離れることはなかった。後にラマナを見出した人々によって、アルナーチャラ山のふもとにアシュラマムが建つと、やがてインドだけでなく世界中から人々が訪れるようになった。たとえどんなに多くの人が訪れようと、ラマナ自身は、アルナーチャラ山への帰依を生涯捧げ続けた。



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アシュラマムの門は早朝から夕刻まで開かれていて、だれでも自由に見学ができる。また、事前に予約して滞在許可を得ると、宿泊のほかに、1日3回の食事と午後のお茶が無償で提供される。それらは世界中からの寄付によってまかなわれている。私たちの滞在中も、インドだけでなく、さまざまな国の人たちが訪れていた。とりわけインドの人たちにとっては、ラマナ・アシュラマムが神聖な巡礼の地となっていて、ラマナの亡き後も訪問者が途切れることなく続いている。


食事は南インドのヴェジダリアン料理。お米と、辛くない味付けの野菜や豆などの数種類のカレー、漬物やヨーグルトなど。食事の時間になると、ダイニングホールの床にバナナの葉が一枚ずつ並べられて、ゲストはその前に座って待つ。すると奉仕者の人たちが次々と、葉っぱの上に料理をついでいく。食べているそばからおかわりが注がれるので、必要のない場合は意思表示をする。


食事を提供する人たちは、上位カーストの人だと聞いて驚いた。また座る場所もカーストによって微妙に違っているようだった。私たち外国人にははっきりとわからないが、ローカルの人たちは、相手がどのカーストであるかを瞬時に見抜くことができるようで、席の順序や座る場所を互いに気にしている様子をよく見かけた。



食事の施しと一杯のチャイの教え

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ダイニングホールの他に、アシュラマムの門の付近でも、食事の施しがある。そこでは貧しい人や遊行僧たちなど、カーストに関係なく、食事を必要とする人たちに無償でふるまわれる。かつて、列の最後に並んでいる人が食事にありつくことができず、門を閉めて追い返されたという。その話を耳にしたラマナは非常に悲しみ、「最後の一人が食事を受けとるまで私は食事をしない」と周囲に言い伝えたという逸話がある。


食べることはラマナにとって、ただお腹を満たすだけではなく、心身を浄め、いのちを満たすものだったのだろう。とりわけサットヴァ(純粋)な食事を大切にし、時にはラマナ自身がキッチンに出向いて食事の指導をすることもあったという。また、帰依者たちと同じようにダイニングホールでともに食事をしていた。その名残だろうか、ダイニングホールの祭壇にはラマナの写真が飾られていて、今もともに食事をしているかのようだった。


当時、ラマナはラクシュミーという牛をとてもかわいがっていた。アシュラマムの牛舎では現在、その子孫たちが大切に飼われている。日々の料理には、しぼりたての牛乳が使われ、午後に提供されるチャイも、その牛乳で作られている。


ふだん私はあまり牛乳を飲まないけれど、アシュラマムでチャイを飲んだとき、何かとても豊かなものが身体にいきわっていくのを感じた。それは「滋養」という言葉がぴったりで、牛乳にそのような「滋養」を感じたのは初めてだった。


私にとっての牛乳はそれまで、「牛乳」という名前の白い飲み物でしかなかったが、アシュラマムで飲む牛乳は、そこに乳牛たちの存在が確かにあった。その存在によって、たった今わたしのいのちが、人間以外の生き物によって生かされているということに、はっと気がついた。牛たちがいのちの一部を、人間にわけてくれているということに……。


それだけでなく、ラクシュミーのいのちが子孫たちに受け継がれているのだから、いま目の前にある牛乳は、先祖のラクシュミーにまっすぐにつながっている。また、そのラクシュミーを愛したラマナにもつながっているのだ。


思えば、野菜もお米も、肉も魚も、どんな食べ物にしても、人は人以外のものによって、生かされている。それは、いのちをわけ与えてもらっているということ。私のいのちが、他のいのちとつながっているということ。今まで気づかなかったけれど、食べ物をいただくことが、こんなにもありがたいことだったなんて! 目の前の一杯のチャイが、そんなあたりまえの事実を私に教えてくれた。



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『アルナーチャラ・ラマナ——愛と明け渡し』より


自己の内なる聖者に身を捧げること


アシュラマムの中には「オールド・ホール」と名付けられた、小さくて薄暗い部屋がある。部屋の中では、あたかもまだそこにラマナが寝そべっているかのように、長椅子のまわりに人々が静かに座っていた。ラマナはほとんどの時間を沈黙で過ごし、訪問者と対話するよりも、沈黙の時間をともに過ごすことが多かった。ラマナの身体はすでにないが、ラマナとともに沈黙を過ごす時間を求めて、今も世界中の人たちがこの部屋に集う。そこでは誰も何も話さず、ただそっと座っているだけ。それでも、ここに集う者たちがそれぞれの沈黙のうちに、ラマナの教えにじっと耳を傾けている姿がとても印象的だった。





私はその頃、バクティ(帰依)というものが、よく理解できないでいた。インドの人たちの聖者へのバクティは、とりわけ深い。インドに限らず、東南アジアでも、神聖な人たちへの並々ならぬサッダー(信心)を、時おり垣間見ることがある。けれども、聖者と呼ばれ人たちも人間であることには変わりない。それなのになぜ人は聖者に対して深々と頭を下げたり、身体を床に投げ出す(伝統的な信心を表す姿勢)のだろう。ラマナだけでなく、ラマナのかわいがっていた牛のラクシュミーの銅像にも花輪を飾ったり、手を合わせたりする。他の牛とラクシュミーの違いはどこにあるのだろう。そんな疑問がいくつも浮かんでくるのだった。


けれども、今ならその理由がなんとなくわかる。外側の聖者に身を捧げるということは、自己の内なる聖者に身を捧げることにほかならない、ということが。


私が「私自身」を敬えないのなら、目の前にいる聖者に対しても頭を下げることはできないだろう。それにはやっぱり、内なる聖者を見い出し、深い信心を持つことが求められる。けれども小さなエゴは、自分よりも大きなものに身を捧げることに抵抗する。だからラマナは、「自己実現」という表現を用いて、まず小さな自己を真の自己に明け渡しなさい、と繰り返し説いた。



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すべてを明け渡し、ただゆだねるだけでよい


ラマナが私たちに伝えてくれているのは、とてもシンプルなこと。それは、すべてを明け渡し、ただゆだねるだけでよいということ。恩寵はいつもそこにあるのだから、なんの努力もなく、それを受け入れなさいということ。


けれども、この「ただ、受け取る」ことが時に難しい。どうすれば受け取ることができるのか、どうすれば自己実現ができるのかをめぐって、帰依者たちはラマナと何度も質問を交わしたが、ラマナの答えは終始一貫していた。


誰よりもラマナ自身がアルナーチャラ山への完全な明け渡しによって、生かされていた。彼自身は何も所有することなく、アルナーチャラ山にすべての面倒を見てもらっていた。同じように、アシュラマムの門はいつも開かれていて、誰でも自由に出入りができる。そこでは、ラマナが受け取った純粋なものが、そのままわかちあわれ、無償で与えられ、いつでもやわらかな、平和な雰囲気が漂っている。価格をつけたり、カーストや人種や性別によって出し惜しみをすることもない。


そう、条件をつけて難しくしているのは私たちの小さな自己なのかもしれない。聖者はいつも両手を開いている。なのに人は目の前に差し出されているものに対して、「必要ありません」と拒みながら、「どうすれば幸せになれるでしょうか」と、その矛盾に苦しんでいるのかもしれない。


それならば、もっと心を開いて、素直に受け取ることができるだろうか。ただ純粋に、ただ沈黙のうちに。


ラクシュミーのいのちが、めぐりめぐって私のいのちとつながっていたように、気づかないところで、もうすでに私たちはたくさんの恩恵を受けている。ラマナがそうしたように、静かにただ在るのならば、いのちのやわらかなつながりが自然と見えてくるだろう。


私がチャイを飲んで感じたあのやわらかなもののなかに、すでにラマナの沈黙の教えはあった。



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「いかに自分が無力であるかを悟りなさい。

「神様、私は存在しません。ただあなただけです」と常にいうことで

神に完全に明け渡し、「私」と「私のもの」という感覚を放棄して、

神の意のままにゆだねなさい。


真実の明け渡しとは、

愛ゆえに神に捧げる愛であり、ただそれだけのためにある。

解脱のためでさえない。」


——『アルナーチャラ・ラマナ——愛と明け渡し』(福間巖訳、ナチュラルスピリット)



プロフィール

浅野佳代(あさの・かよ) 瞑想と文筆。サウダージ・ブックス代表。





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