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  • 執筆者の写真Saudade Books

Walkabout #2 瞑想の旅の前に(浅野佳代)

更新日:2019年10月19日



旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。


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ブッダの言葉


修養と、清らかな行いと

聖なる真理を見ること

安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること

これがこよなき幸せである


世俗のことがらに触れても

その人の心が動揺せず

憂いなく 汚れを離れ 安穏であること

これがこよなき幸せである



近々、ミャンマーへの旅を予定している。ミャンマーは、ブッダの時代から脈々と受け継がれてきたヴィパッサナー瞑想の源流地として、ブッダの教えの純粋なエネルギーがいまも遺されているという。純粋なエネルギーとは、清らかであるということ。水が流れるままに、風のふくままに、そのままであること。


ブッダは現実をそのままに観ることを実践した。自然界のすべては起こるままに起こっていて、あるがままに調和している。それを心と体によって直接確かめたのだった。


水の流れも、風の動きも、すべては常ならず、わたしも、この身体も、瞬間瞬間にその姿を変えて、つかむことすらできない。もしそこに手を出せば、物事はかき乱され、より複雑になってしまう。けれども、現実をしずかに観察し続ければ、しだいに心は清らかに、純化されていくだろう。それがブッダの教えだ。



怒りという苦しみ


ミャンマーへの旅の資金を集めるために、イベント会社で久しぶりにアルバイトをはじめた。慣れない仕事と人間関係に翻弄される日々。アルバイトの立場である私にとっては、新入社員の若い女性が上司になる。年の差があるからか、ぎくしゃくしてお互いにうまくコミュニケーションがとれない。好き嫌いの感情を隠さない彼女とのやりとりに、こちらもいちいち動揺してしまうのだった。


ある日、仕事上のことでどうしても確認しなければならないことを質問したら、彼女は即座に「そんなこと知らないです」と拒絶する態度を見せた(ように感じた)。その瞬間、これまで抑えていた怒りの感情があっというまに身体を駆け巡った。額のあたりが熱を帯び、相手を非難する考えが何度もよぎった。その怒りを本人に向かって投げつけはしなかったけれど、周囲にはじゅうぶんに伝わっていたと思う。


常日頃、わたしたちは誰かの言葉や態度に強く反発して、相手のせいにしようとする。でも実際は自分自身で心を汚しているだけだ。「怒り」という感情によって、頭の中でぐるぐると否定的な思考ばかりを巡らせ、相手がどんなに間違っているか(自分がどんなに正しいか)を主張せずにはいられない。さらには、陰口を言ったり、仕返しを企んだり、攻撃をしたり衝動的な行動へと走れば、事態はさらに悪化し、やがて後悔と惨めさに打ちのめされる。



呼吸が深いなら深いままに、浅いなら浅いままに


アルバイト先での彼女とのやりとりによって生まれた、わたし自身の怒りや非難も同じだった。何が原因だったのだろう、と後悔の気持ちに苛まれた。そんなとき、ヴィパッサナーの叡智がふと心に浮かんだのだった。


「まさに、これがブッダの新しい教えでした。ヤターブーター、あるがままに。呼吸が深いなら深いままに、浅いなら浅いままに、自然に、干渉しないで、その役割のままに任せる。ただ観察をする。何もしない」(S・N・ゴエンカの言葉より抜粋)


ヤターブーターとは、パーリ語で「あるがまま」のこと。生じては滅する、現実のありようをそのまま受け入れること。ほんとうに見るべきものは、目の前にいる相手ではなくて、たったいま起こっているわたし自身の身体の感覚、息づかい、燃えるような怒りの感情、熱、圧迫感、誰かを責めたくなるその欲求、その思考そのもの。


ヴィパッサナー瞑想の指導者、ゴエンカさんの言葉を思い出したとき、わたしの腕をぎゅっと強くつかんでいた怒りは、手をゆるめてやわらいでいった。さっきまで相手のことが頭から離れなかったのに、しだいにその姿は薄れていった。額がぎゅーっと摘まれるような感覚もなくなっていた。いつしか、非難も、自己主張も、責めたい気持ちも失せていた。彼女は正しくもなければまちがっているわけでもなく、ただ彼女のままに存在していて、わたしの内側にあるものを見せてくれているだけなのだった。この怒りの苦しみは、彼女と出会う以前から、わたしの心の奥底にすでに存在していたのだ。


「呼吸が深いなら深いままに、浅いなら浅いままに」。わたしは心を落ち着けて、ふたたび自分の呼吸を観察する。


そう、その苦しみはもうずっと前からそこにあった。今まで見ないふりをしていたか、誰か他の人のせいにしていただけで。でもそこにあるのは、苦しみだけではない。苦しみと同じ場所に、苦しみからの解放も、たしかにある。それを発見したとき、あなたもわたしも、安堵のほほえみをそっと浮かべることができるようになるだろう。



プロフィール


浅野佳代(あさの・かよ) 瞑想と文筆。サウダージ・ブックス代表。




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