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  • 執筆者の写真Saudade Books

詩の連載 シュテファン・バチウへの手紙 #2(阪本佳郎)

更新日:2019年11月14日



ルーマニア出身の亡命詩人シュテファン・バチウ(1918–1993)の作品と人生を紹介する特集です。



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ルーマニア・ブカレスト


ブクレシュティ、Oraș de bucurie、bucurie喜び、喜びという名の街

第一次大戦後トランシルヴァニアとベッサラビアを併呑した国の、

肥大化した自尊心に、どこか豪奢と退廃さ、

しかし、未だ辺境の美しさもそなえたつまやかなこの

危ういバルカンの小パリを、あなたは憎むように愛した


  喜びの街


  どれだけおまえのことを憎んだか、我が最愛の街よ!

  おまえが傍にいない時、どれだけお前に焦がれたことか!

  おまえは白いナイフを閃かせ

  その毒を私の血管へ流し込むのだから


  おまえの光が、書物へと隠れてから

  おまえは我が生涯の呪いとなった

  おまえはここにはいない、遠くを徘徊している

  微睡みながら、おまえの声を聴く

  私は目覚め、するともう、おまえを呼ばずにはいられない


  言葉もなく、娘たちもおらず、飲むこともない

  おまえがいなければ、どうにだってなりゃしない

  幾度その拷問を受けつづけてきたことか

  おまえは窓に映り込んだ一人の死者だ


大きな言葉をもつ巨人たちに魅了されつつも、

その言葉のあまりの大きさにあなたは尻込みしていたのではないだろうか

未だ若く、ルーマニアを背負うほどにはまだ大きくはなかったあなたは

鉄衛団、レジオナールのつかう言葉は、周りのささやかな生を守ろうという

人たちの営みからはかけ離れて思われたのかもしれない

国家について考える時、あなたは大仰な身振りを好まなかった

若者たちへ、小さな存在へ、人々の自由へ

権力の側ではなく、虐げられた者たちの解放のために

あなたが組したのは叛抗を企てる者たちだった


  ある書物に描かれた

  変わらずも文学的な秋 どうしたことか

  千々の影が、死者たちが、夜へむけてドアを叩く

  するとたまらなく懐くしなる、あぁ、ヴェヴェメ 


ヴェヴェメ、Victor Valeriu Martinesc

あなたはこの投獄され、行方知れずとなった、

知られる前にまったく忘れ去られてしまった一人の詩人の名を

一生涯つぶやき続けた


歴史は揺れ動き、火の雨が降る

街は崩れ、輪転機は破砕され、

蛇口をひねっても水が出ない

その日がままならない中でもあなたは詩を、言葉を追い求めることをやめなかった

あなたはその中でも数多くの旅をした

いつもあなたは、災厄の縁から遠くへと投げ出されて、

全く別の生へと転生することを 余儀無くされる

歴史の重みに放逐された、あの古代ローマの彷徨詩人のように 


  コンスタンツァ、秋風の孤独

  オウィディウスの影が突堤を通り抜けてゆく

  鉄の風が砂塵を巻き込み打ちつける

  途端に、われに返り慟哭する


あなたは黒い海に足を沈め、その渚に洗われる十一もの民がともに眠る墓石に、

この戦争の悲惨を、歴史に対する繊細さを欠いた馬鹿げたものと感じただろう

トミス、このほとんど時の止まった街自体が墓だ 

あの光輪を掲げられた、十字架より古い十字架の、ペトログリフを、

あなたはフナムシの愛撫でさすったろう


オウィディウスの没後二千年忌が、ちょうどあなたの生誕百年祭

大きな物語が国を蹂躙する、レジオナールも、鉄衛団も、

アントネスクも、ソビエトも、

あなたは踏み砕かれそうになる前に 心ならずも国を出た

表向き大使館付の広報員としてスイスへ逃れたのだった



参考文献


阪本佳郎「詩人シュテファン・バチウと MELE – International Poetry Letter」



プロフィール


阪本佳郎(さかもと・よしろう) 1984年、大阪生まれ。詩人シュテファン・バチウの足跡を追って、ルーマニアからスイス、ハワイへと旅を続ける。詩人の生誕百周年に捧げるために、海と大陸を越え詩人や作家、芸術家たちより作品を募った詩誌 MELE-ARCHIPELAGO を刊行。



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