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  • 執筆者の写真Saudade Books

詩人シュテファン・バチウと MELE – International Poetry Letter(阪本佳郎)

更新日:2019年11月14日



ルーマニア出身の亡命詩人シュテファン・バチウ(1918–1993)の作品と人生を紹介する特集です。



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今日、私たちの下へは毎日のように災厄を告げる報せが届きます。紛争や政治的暴力を逃れ国境へ押し寄せる難民たち、大潮とともに海へ呑まれようとする島々、大火に消えゆく森林、滅びゆく夥しい種の生きものたち。雪崩のように「世界」へ襲いかかるこれらの災厄は、世界同時的に中継・シェアされて、ある臨界へ、終末へと、ともに向かっているかのような予感を私たちに抱かせます。現代は、黙示録的な時代として思考されうるのかもしれません。


ただ一方で、「世界」とはある単一の総体であるはずはなく、個別の時間・場所・存在の関係性から開かれる無数の世界の響きあいであり、それぞれが「他者」の物語に対して想いを添えねば——あるいは、添えたとしても——理解しえない繊細な混沌でもあります。


今ここに喚びだすシュテファン・バチウ(Ștefan Baciu, 1918–1993)は、歴史の災厄に追い立てられ世界中を彷徨する宿命を負った、知られざる流謫の詩人ですが、彼はその旅において出遇った「他者」の物語のひとつひとつに、愚直なまでに想いを傾け、魂をかけてそれらを自らの詩世界に震わせ、響かせることで、希求しうる再生の未来を見つめた幻視者でありました。


バチウの肩書きは多岐にわたります。詩人、批評家、ジャーナリスト、アンソロジスト、翻訳家、外交官。東欧トランシルヴァニアの文化首都であるブラショフに生まれ、若くして戦間期ルーマニアを代表する詩人となるも、第二次大戦後台頭した共産主義政権から追われるようにスイスへと逃れ、その後ブラジルへ亡命しました。


リオ・デ・ジャネイロでも詩人として精力的に執筆する傍ら、ジャーナリストとして職を得てラテン・アメリカ諸国を歴訪。各国の有力紙にて軍事政権や抑圧的体制を糾弾、政治難民の保護のためにペンを振るいます。中南米での十数年を経たのちシアトルへ。その後ブラジルにてクーデタが勃発、カステロ・ブランコ将軍による軍事独裁がしかれると、リオには戻らず、ハワイへと移り住みました。


ルーマニアというヨーロッパの辺境に息づく民話・伝承世界の霊性を抱いて旅立ち、ブラジルやラテン・アメリカの土着の祝祭的感性とそれを呼応させ、ハワイでは豊穣の海と火山へと祈る神話宇宙をくぐり抜け、詩を紡いできました。

放逐され移動を余儀なくされる度に断ち切られる土地や人々との関係性を、〈郷愁〉とともに言葉にして蘇らせつつ、それを新たに出会う世界へと結びつけ詩とすることで、歴史の災厄を生き延びた詩人。ただその営みは、詩人ひとりに依るものではなく、亡命の旅の各地で友情を結んだ詩の朋友たちとの連帯に基づくものでもありました。彼の生涯で為されたことは数多いのですが、その大海をこえて広がる文学の営為を体現する最たるものが、MELE という詩誌です。


「MELE」とは、ハワイ語で「歌」や「詩」「祈り」を意味します。1965年から1994年まで、バチウによって刊行された MELE – International Poetry Letter 。ルーマニア、ハワイ、ラテンアメリカはじめ、各地の詩人たちの詩が、国境や民族、言語の境界を越えて集った「詩の国際便」です。全90号のうちに30もの言語が響きあい、60以上の国へと撒かれました。歴史に翻弄された流謫の詩人たちが、生きることの内奥にある物語を持ち寄った、希求の意志の交響体。そこには、滅亡に瀕した古き叡智が集い、同時代の精神とともに混淆していました。その大洋を跨いで広がる詩の連帯には、喪失の痛苦のなかに生をもとめる苛烈な声が渦巻き、他者との邂逅を喜ぶ交歓の声が溶け合っていました。


去る2018年は、詩人の生誕百年を記念する年。存命ならば100歳となる10月29日に合わせて、ホノルルでは、ささやかな生誕祭が開かれました。ルーマニアの郷土料理にワインを傾けつつ、バチウの旧友たちが、詩人を偲びながら昔語りをする親密さに満ちた一時となりました。年の明けた1月6日、バチウ没後26年の命日には、今度は京都にて、「黙示の時代の詩魂——シュテファン・バチウ生誕百年によせて」と題して、その詩と生涯を振り返りつつ、バチウの詩魂をこの困難な時代に向けて蘇らせることを試みた語りの集いが催されました(シリーズ「レジリエンス・ダイアローグ〜この惑星に生きる作法〜」の一回として)。


ここに掲載する小文「シュテファン・バチウへの手紙」は、京都での会にて、発起人であった筆者・阪本によって誦まれたものです。さらには、今福龍太氏と川瀬慈氏、旅における「世界」との出会いから、歓喜も痛苦もともに抱き込んで、その豊饒さを繊細な物語として紡いで来られた詩人人類学者のおふたりにもおいでいただき、バチウへと宛てられたそれぞれの「詩の手紙」を誦んでいただきました。生前のバチウと詩魂を交わした今福氏からは、「もし私が今日『 MELE 』を編むのなら……」という長編詩によって、MELE の試みに与するであろう更なる詩人たちの言葉を織り込み、その詩魂を現代に蘇らせていただきました。川瀬氏は、それをエチオピア・ゴンダールの詩の小径(ストリート)に誘い、吟遊詩人たちの歓興とともに歌う祝祭の時を演出してくださいました。MELE という言葉そのままに、詩が歌となり祈りとなり、時と場所を越えてどこまで響き渡るのか、それが試された大切な集いとなりました。


現実のもつ繊細さを測るすべを忘れたばかりに、存在を成り立たせる関係性の糸が断ち切られようとしているように思えてならないこの時代に、バチウのそれのような、「他者」への想像力に基づいた詩の世界感覚こそ、顧みられるべきだと思います。太平洋の西端ヤポネシア群島からも、バチウの歌う渚に、詩の漣を届けるうねりが生まれることを祈りながら。



プロフィール


阪本佳郎(さかもと・よしろう) 1984年、大阪生まれ。詩人シュテファン・バチウの足跡を追って、ルーマニアからスイス、ハワイへと旅を続ける。詩人の生誕百周年に捧げるために、海と大陸を越え詩人や作家、芸術家たちより作品を募った詩誌 MELE – ARCHIPELAGO を刊行。



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