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  • 執筆者の写真Saudade Books

詩の連載 シュテファン・バチウへの手紙 #6(阪本佳郎)

更新日:2019年12月27日



ルーマニア出身の亡命詩人シュテファン・バチウ(1918–1993)の作品と人生を紹介する特集です。今回が最終回です。



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ハワイ・ホノルル


あなたはサンダルを履いてワイキキ・ビーチを歩く

いまやこの世界でもっとも有名なビーチも

あなたがたどりついた頃はもっと素朴で美しかった

背の高いビルなど一つか二つしかなく、

フラが、この雄弁な山と森の緑と、海の青と溶けあっていた


この島へと心から迎えてくれた

マイレの芳しい香りにミラの心は華やいだ

その香りに導かれて、あの丘まで上りましょう、と彼女がいう

あなたはタンタルス山の頂きに招かれて

はるか大洋を眺め、トゥンパを、コルコバドを、

アンティグアやマナグア、ベルン、テグチガルパ、ブラショフを指さした


なんと喜ばしい偶然か

あなたはそこで自らの精神地図の写し絵をもつ

大きな旅の先達にであった


ジャン・シャルロ、19世紀末のパリに生まれ、

メキシコにてディエゴ・リベラらとともに、

壁画運動の中心を担って、民衆たちの歴史と精神世界を描いた壁画家

彼はまたハワイ群島でも、その土地の人々や神話などの古いモチーフを描いた

壁画を数多く残していた



  ジャン・シャルロ


  心のなかにある目と

  うなじについたもう一つの目をもって

  彼はすべてのものを見た

  読み古したアポリネール詩集を一冊

  ポケットに突っ込んでメキシコへ

  そこで彼は最初の絵柄を 壁にむかって描いた

  入国許可証に指紋を残すようにして

  インディオたちとの対話

  版画の書物のページのはざまで

  いくつもの都市が粉々に砕け散った

  祈りの壁に描かれた フィジーやハワイでの壁画

  闘いに赴く戦士たち

  その体内の炎には 休戦もなく殺戮もない



フランス語、英語、スペイン語はおろか、

ナワトル語やハワイ語にも精通しているシャルロに

あなたはハワイ語で「詩」とは何というのか、と尋ねた

「MELE」というのがシャルロの答えだった

ふたりは即興的に、これまでの旅で出会った各大陸に

海を越えてちらばる詩の朋友たちから、MELE の名のもとに

作品をつのり、刊行する新しい詩誌をつくることをおもいついた

しかし、費用はどうする?


シャルロはいった

「書きたいことがあるなら、予算や形式なんて問題じゃない。

 書いて表すことが大事だ、と」

そして決して豪華とはいえない 手作りのホッチキス止めの、

しかし唯一無二の、この詩誌、MELE – International Poetry Letter ができあがる



「MELE:ハワイ語でいうところの「詩」であり、poetry、 poesia、poesie、gedicht、shi(日本語と中国語における「詩」)。全世界の詩人や芸術家、読者を巻き込んで、国境を越えた連帯が結ばれることを希求 し、それへと奉仕するもの。 MELE:これまで多くの言葉が費やされながらも、あまりにも為されたことは少ないそれへ、普遍的了解が深められてゆくための一歩。 MELE:太平洋は蒼海の彼方に浮かぶ群島から、世界へむけて差し出された手紙——その差出人にも宛名にも、詩が自由と真実、行動、そして革命であることを信じて疑わない、すべてのものたちの名が記されてゆくであろう手紙。そして銘々の渚に立ち、我々は歌う、ロートレアモンとともにあの詩句を。


われわれの為すところは、この大地に舫われてしまった運命から生ずる義務の感情とともに

ある、ひとつの偉大なる献身であり達成だ。さらば!老いたる大洋よ!



老いたる海を越えて、新たなる世界の再開へ向けて船出する意思を秘めた言葉が、

世界各地の渚から届いた

30もの言語で書かれ、60以上の地域へと送られたこの MELE は、

凡そ30年続けられ、全部で90号を数えた


この詩誌がはじめられた当初、1960年代というのは、

ハワイ語が、ハワイ文化が

消失しようとする危機にあるときだった

ハワイが合衆国の51番目の州となってから

ハワイ語の衰退はより著しくなっていた

しかし数少ないながら数人の詩人は、

やがてくるハワイアン・ルネッサンスの蠢動にそなえて

ハワイ語で詩を書き、その言語を研ぎ澄ませていた


他人に読まれるためのものというよりかは

言語そのものを再び発芽させるための種である

これら、ひとつひとつのハワイ語の詩に

あなたは心打たれて

MELE に掲載しつづけた

古から伝わる豊かなひとつひとつの土地との感応と、

そこから生きる術をとり出す叡智を、

それを近代的な詩形式でも存分に表現できることをひとりの詩人は

MELE をつうじて密かにあきらかにしていった



老婆が杖に寄りかかりながら尋ねたことには、

「少しの魚を、ほんのちょっとの塩だけでいいんです」

「魚などもうない。塩なら、

お前の目尻に溜まったその白いものを舐めるがいい」

「そこにある食べ物は?」

「これは王へのものだ」

「この残されたエラは?」

「すべて王のものだ」

老婆は、自らを拒否したものらをおいてマウナ・ロアの坂道へ消えていった

彼女は溶岩へと姿を変え、程なくあの王たち一族を呑み込み灼きつくしていった

その老婆こそペレで

あった

(ラリー・カウアノエ・キムラ「カパラオアに伝わる伝説」)



MELE は複数の宇宙を抱え込んだ多面体だった

バチウとの友情を軸に折りたたまれた

それぞれの詩人が自らの土地の記憶や、放浪の運命から

存在に深く根ざした言葉を送っていた

そうした詩の贈与経済

他者との恩寵を伴ったつながり


しかしこのときあなたはどれだけ詩人であったのでしょう?

たしかに、あなたは一人の詩人であり、一人の主体 

でも、というよりも、

詩のいきかう一つの特異な場所、交差点、十字路、

海や大陸を越えて集う言葉たちの

歴史には拭い去られてしまった魂たちのアジール


1978年には最愛のミラがひどい病で旅立ってしまう

ミラがいなくなって、あなたはルーマニア語を話す相手がいなくなった

あなたは最愛の人と同時に、日常における母語を失った、

あなたもこの現実世界では

死の世界に徐々に絡めとられてゆく

パーキンソン病にかかり、体の自由がきかず、

眼もさらに悪くなってゆく


あなたは自らの骨を檻として暗闇に閉じこめられた

光が見いだされるとすれば、

内側に抱え込んで揺るがず、溶けることのない燃え盛る氷山だった

あなたは今を生きるために、過去をなんとか生き直そうとした

あなたは、その魂を焚きつける強烈な過去を再び眼前に蘇らせる方法を見つけた

その記憶と物語の燃えさかる一瞬の閃光をたよりにして、

わずか四行の詩を書ききること

一日にひとつ、日記のようにして



  その紙は戦いの果てに引き裂かれたみ旗

  詩は絶えずはためきながら我を訪う

  傷ついた額、破られた歓喜 

  想いはただハイタカのごとく身構える



1993年、聖ヨハネの夜、新年の挨拶に、ブカレストに住む妹に電話したあなたは、

できたばかりの四行詩を電話越しに朗読した後

とても激しく、発作の様な「郷愁」に襲われ、

妹に「あなたが、私のくにが恋しい!」と慟哭するようにいった

そして、その後返事をしなくなってしまった

あなたの沈黙は電話口で永遠へと吸い込まれたまま


  島々に、風が透りぬける

  あなたが愛した流離いの楽器が

  遍歴に散らばる人々へ、土地々々へ、

  懐かしい歌を、ひとりでに奏でていた

    

    唇の結ばれたままに歌われて

    

    風に撫でられた草はらが歌い

    きみの名が花から呼び出される

    ウクレレ ウクレレ

    

    きみは僕を忘れ、僕はきみを咎める

    想い出を寄せ集めることで

    ウクレレ ウクレレ

    

    たえずこの風は

    きみの路に吹いて、囁く

    ウクレレ ウクレレ

    

    かつてこの夏ほどに

    雲々の歌ったことがあったろうか

    ウクレレ ウクレレ

    

    夜、僕のなかに響き渡る交響曲

    そしてポケットのなかで台風が眠り

    ウクレレ ウクレレ

    

    きみは僕を忘れ、僕はきみを咎める

    もう一度きみの名前をくりかえして

    ウクレレ ウクレレ



マキキ墓地のあなたの眠る場所を訪ねると、

いつもレイが掛けられており、人は絶えてはいないようです

ここは素晴らしい

あなたがハワイで長く暮らしたパシフィック・ハイツからも大風が吹きつけているだろうか

雨の匂いに運ばれて、ここに眠る魂たちに虹がかかる

目の前に広がる巨大なバンヤンの節くれだった幹の洞には、

花々とともに、無数の手紙がさし込まれていた

あなたの記憶は地下にたゆたい、より大きな海と合流して、

根の先に若き波を寄せては返し、

この大樹に養分を与える

挿し込まれた手紙の言葉を宿し、

この世界樹の枝は、あなたの旅した土地々々の方へと伸びて、

やさしい葉先で、ホノルルを、リオを、

ベルンを、そしてブラショフを撫でているようです



参考文献


阪本佳郎「詩人シュテファン・バチウと MELE – International Poetry Letter」



プロフィール


阪本佳郎(さかもと・よしろう) 1984年、大阪生まれ。詩人シュテファン・バチウの足跡を追って、ルーマニアからスイス、ハワイへと旅を続ける。詩人の生誕百周年に捧げるために、海と大陸を越え詩人や作家、芸術家たちより作品を募った詩誌 MELE-ARCHIPELAGO を刊行。



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