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  • 執筆者の写真Saudade Books

もし私が今日「MELE」を編むのなら……(今福龍太)

更新日:2019年10月19日


ルーマニア出身の亡命詩人シュテファン・バチウ(1918–1993)の作品と人生を紹介する特集です。



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2019年1月6日 Impact Hub Kyoto


今日のすべては詩です。

日々の詩です。

特別の、大文字の、偉大な詩になどなろうとしない、ささやかな詩です。

つつましい道端の詩です。

蜉蝣の羽のように脆い詩です。

わめきたてない詩です。

おもねない詩です。

修辞を弄さない詩です

ひそやかに澄んだ詩です。

攪拌すれば薄墨色に濁る詩です。

濁りながら透明さを願う詩です。

そう願いつづけることによって自らの透明さを証す詩です。


そんな詩には繊細な声があります。

唯一無二の声です。

他の誰も真似できない固有の声です。

それにもかかわらず

すべての人と唱和できる声です。

倍音のように、あらゆる声に寄り添うことのできる声です。

他者の声の振幅をより深めることのできる声です。

ともに歌いたくなる声です。

遊びたくなる声です。

ほほえみを誘いかける声です。

最後には沈黙に還ろうとする声です。


そんな詩人はモノに新しい名前を与えようとします。

すでに固定化された名前の上に

思いがけない別の名前を重ねるのです。

「石は羽毛である」

重いものが軽く 軽いものが重い

重力に挑む 果敢な矛盾律こそ詩です。

それはモノが「在る」ということを言うのではなく

モノが在りうるであろう事を言うのです。

不可能に迫真性を与えることで

それを可能性に変えるのが詩です。

白か黒かではない。

光か影かでもない。

薄闇の中に小さな光の粒子がとびかう

半影の世界を創造するのが詩です。


Penumbra …… なかば影、ほとんど影。

この「半影」という陰影ある言葉を私に教えてくれたのが

メキシコのオクタビオ・パスでした。

半影こそ 詩の無辺際の領土であること

月の半影のなかに溶け込んだ光輝と漆黒とを歌うのが

詩なのだということを。

今年の元旦の薄明の時間 

例年の習いとして

相模灘の渚に立っていました。

めずらしく 聞こえないほど微かな波音のなかに沈みこんだ

静謐な明け方の時の間でした。

いつものようにパスの詩集「東斜面」をポケットからとりだし

心のなかのヴィーナかウクレレを右手で奏でながら

左手に詩集を持って目を閉じます。

まぶたの半影に兆す今年はじめての曙光の温かさ

それを感じたらゆっくりと目を開け

風が翻した一ページに閃く詩の断片を読むのです。

「MELE」1982年9月の号はあなたの盟友オクタビオ・パスに捧げられていました。

その年27歳だった私はちょうどメキシコに住みはじめ

パスのくぐもった声の傍らで

世界をまったく異なった眼で見ようとしていたのでした。



  オクタビオ・パス

  「1月1日 Primero de enero」


  一年の扉が開く

  未知に向って

  ことばの扉が開け放たれるように。

  昨夜きみわたしにこう告げた

    明日は

  記号を編み出し

  風景を描き プランを練りましょう

  日々と紙とでできた

  二重のページの上に。

  明日もういちど

  この世界の実在を

  発明し直すの。

  目覚めたときもう陽は高かった。

  ふとした刹那の瞬間

  わたしはアステカ人になり

  崖の上に身を伏せて

  時の予期せぬ帰還を

  待ち伏せしているように感じた

  時が地平線の裂け目から戻ってくるのを。

  (……)

  きみはわたしの傍らで

  まだ眠っていた。

  元日はきみを発明したのに

  きみはまだ 今日という日によって

  自分が発明されたことを

  受け入れてはいなかった。

  いや わたしが発明されたことも

  きっとまだ認めなかっただろう。

  きみはまだ別の日のなかにいた。

  (……)

  きみが目をひらいたら

  ふたたび一緒に歩きはじめよう

  時のなか 時が発明したものたちのなかを。

  影のなかを歩みながら

  時と時の連なりを証言しよう。

  ふたりで今日という日の扉を開ける。

  そして未知のなかに入ってゆくだろう。



.

   


相模灘の水平線の上に

大島の青黒い影がくっきりと浮いていました。

蘇った茜色の無垢の空に向かって

声ははじまりの時を

時というものの誕生の吐息を

やわらかに放射していました。

詩はそんな世界の蘇りを目撃することができる

ほとんど唯一の至福の泉です。


詩を書くとはいかなる行為でしょう?

MELE ハワイ語で詩 歌

ナワトル語ではショチトリ・クイカトリ

すなわち花-歌

この混合語の意味するものはとても大事です。

ショチトリ・クイカトリ 花-歌

それは美しいもの それは歌われるもの

でもやがて萎れるもの やがて宙空に消えゆくもの

ただ美しいだけではないもの

永遠でもないもの

私が 君が作ったようで

誰が作ったのでもないもの

所有できないもの

つつましく分有しながら ついにはどこかに放擲すべきもの。

書き物机の上で偶然生まれ

ついに宿命とともに宇宙空間へと飛び去っていくもの。

「テーブルの上の惑星」

ウォレス・スティーヴンズは詩のことをそう呼んだのでした。



  ウォレス・スティーヴンズ

  「テーブルの上の惑星 The Planet on the Table」


  エアリエルはよろこんだ 自分が詩を書いたことを

  それは思い出に残る時間や

  見て気に入ったものの詩だった。

  そのほかに太陽がつくったのは

  消費と混乱

  潅木の茂みがのたうっていた。

  自分と太陽は一つだった

  詩は 自分でつくったとはいえ

  太陽がつくったのではないとも言えなかった。

  詩は生き残らなくてもよかった

  だいじなのは 詩がこの惑星の一部であって

  ある輪郭や性格を

  あるゆたかさを

  ことばの貧しさのなかで いくらかでも

  はらんでいなければならないことだった。



.



貧しさのなかにはらまれたaffluence 豊饒さ

慎ましさの泉からだけあふれ出ることのできる清冽な水

そんな水としての詩は冷たく

暗く、深く、透明に流れ 躍ります。

音節はつぶやき、抑揚は波打ち

浅瀬はささやき声をあげ

川の中洲で丸い石たちがピリオドになろうかコンマになろうか

相談しています。

若鮎ははやばやとクエスチョンマークへと変身し

ドジョウはアンダーラインのように川床に寝そべっています。

そんななか

詩としての水は躍りつづけます。


ブラジル・モダニズム最高の詩人の80歳の誕生日を祝って

1966年4月「MELE」の80号はマヌエル・バンデイラに捧げられています。

表紙にはギターを弾くバンデイラの写真。

奴隷制の空気が残る時代からボサノヴァの時代までを生き抜いた

この歴史の証人が奏でる不協和音のコード

言葉でサンバする彼の腰つき その鮮烈な運動は

シュテファン・バチウを魅了しました。



  マヌエル・バンデイラ

  「ぼくは踊れない Não sei dançar」


  ある者はエーテルをやり、ある者はコカインをやる。

  ぼくはといえばずっと悲しみというクスリに溺れ

  今日は喜びというやつをためした。

  落ち込まないでいられるなら なんだってやるさ。

  (……)

  そう、もう父も母もいない 兄弟たちも

  健康も失った

  だからぼくにはジャズのリズムが誰よりもわかる

  (……)

  ある者はエーテルをやり、ある者はコカインをやる。

  ぼくはずっと悲しみというクスリに溺れ

  今日は喜びというやつをためした。

  だから今日もここにきたんだ 踊るために 

  肉食の火曜日の カルナヴァルの宴に。



ふとどこかの島から

海を越えて思いがけない声が届きます。

縄文時代から生きてきた巨大な杉の樹々がそびえる

南の島。

はるか彼方のカルナヴァルの宴に呼応して

満月の夜に踊る群像が見えます。



  山尾三省

  「月夜」


  庭では 火が燃えていた

  空には 満月があった

  すぐ側を 大きな谷川が 音高く流れていた

  ぼく達は 踊っていた

  ぼくは 踊っていた

  ニジェールからきた キング・サニー・アデが

  EMAJO!

  エ・マ・ジョー! もっと踊ろう!

  と 叫んでいた

  EMAJO!

  もっと踊ろう!

  太い火はとろとろと 真赤に炎をあげていた

  火の底には 深い地太(ぢだ)があった

  深い悲しみと 豊かさがあった

  椎の木は黒々と 明るい月夜をさえぎっていた

  その黒い椎の木の影は 僕の眼であった

  その黒い影は 悲しみと豊かさの かたまりであった

  EMAJO!

  もっと踊ろう!

  僕達は 踊っていた

  僕は 踊っていた

  明るい空には 満月があった

  透明な満月が

  黒々とした木立の上を ゆっくりと位置を移して行った

  月こそは

  悲しみの頂天であった

  頂天にこそ 悲しみが深いことを

  アフリカよ

  あなたは知っている!

  EMAJO!

  もっと踊ろう!

  (……)

  月もようやく 山の端にかかっていた

  一番鶏が啼いた

  EMAJO!

  もっと踊ろう!

  悲しみと豊かさがひとつになるまで

  一(いち)となるまで!

  EMAJO!

  もっと踊ろう!

  いのちの夜が 明けるまで

  僕達の アフリカの夜が 明けるまで



.




踊ることは思い出すこと。

踊ることは思いを振り切ること。

踊ることは思いとともに生きること。

踊ることは失うことを怖れないこと。

踊ることで生まれる詩。

踊ることこそ詩。

詩は信じています。

失ったものたちが与えてくれる恩寵を。

喪失することによって獲得されるかけがえのないものを。

若くして燃えつきた夢 希望

その燃え残りの灰の堆積のなかに

バンデイラは未知の詩の泉を見てとったのでした。



  マヌエル・バンデイラ

  「時間の灰 A cinza das horas」


  私の生まれはよかった。少年のときは、

  皆と同じように、幸せだった。

  だがあるとき、悪い宿命が歩み寄り

  私を好き放題に翻弄した。

  人生の悪霊がとり憑き

  心を破壊し

  すべてを打ち負かし

  ハリケーンのように吠えたてた、

  荒らし、こなごなに砕き、意気消沈させ、

  悲嘆のなかで訳なく燃え尽きた──

  ああ、なんという痛み!

  傷つき、孤独に、

  ──たったひとりで!──わが心は燃えた。

  心は狂った叫びとともに燃えあがった

  翳ある受難のただなかで

  そして時間の燃え滓のなかに

  この冷たい灰が残った

  ──このわずかな冷めた灰だけが……



阪本くんはさっき言いました。

人々は世界への感覚をうしなっているのではないか、と。

川瀬さんもエチオピアの路地で書いていました。

幸いも不幸もあふれる世界

その世界のなかで響きあう無数の声に形を与えたい、と。

詩が生まれる原点にある批判であり、はじまりの希望です。

バチウのブラジルでのもうひとりの盟友

カルロス・ドゥルモン・ジ・アンドラージに

「世界感覚」という詩がありました。



  カルロス・ドゥルモン・ジ・アンドラージ

  「世界感覚 Sentimento do Mundo」


  私にあるのは たった二本の手と  

  「世界」という感覚

  けれど私のなかは奴隷であふれている

  記憶は血をしたたらせ

  肉体は愛の合流点に流れ込む

  私が立ち上がるとき

  空は死んで 荒れ果てているだろう

  私もまた死者となり   

  わが望みも死に絶え

  歌を失った沼地もまた死んでいるだろう。

  友は教えてくれなかった

  戦いがあったことを

  火と食物を運ばねばならなかったことを

  国境の手前で

  私はばらばらに砕け散る

  私を許してくれ

  そう、おまえに乞いながら。

  肉体が逝ってしまえば

  私はひとりぼっち

  鐘つき人夫の

  未亡人の

  顕微鏡技師の

  記憶の糸をほぐすだけ。

  彼らは掘っ立て小屋に住んでいたが

  夜明けになっても

  行方知れず 。

  この夜明けは

  夜よりも深い夜だ…… 。



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世界の深淵を見ることを怖れてはいけません。

自己のなかにひそむ得体のしれない獣を追い出してはいけません。

世界は深く 果てしなく 捕まえ難いのです。

「わたし」というものが深く 果てしなく 捕まえ難いのとおなじように。

この深淵 この未知と謎こそ 世界感覚をはぐくむ母胎です。

世界の不条理。

政治はいつもそうした感覚を分泌してきました。

ひとつの政治がもう一つの政治をくつがえすことがあっても

政治はそのまま不条理として残りつづけます。

政治だけを見るかぎり 世界の不条理はつねにそこにありつづけるのです。

バチウが翻弄されたルーマニアの ヨーロッパの 

そしてブラジルの 南米の 政治と暴力の嵐

あなたとおなじ ルーマニアからのもうひとりの亡命者

ミルチャ・エリアーデの「日記」は

この宗教学者もまた政治に翻弄される日々のなかで

苦難から自己を救い出す流儀を学んでいたことを語っています。



  ミルチャ・エリアーデの「日記」


「1946年8月23日。ガルシア・ロルカの暗殺の後、マドリッドの政府は報復措置として、フランコ派に同調している疑いのある芸術家をひとり処刑しようとした。選ばれたのは劇作家兼格言詩人ムニョス・セカである。彼は政府派を含めて万人を嘲笑していた。逮捕しに来た警察隊にムニョスは叫んだ。「諸君は私の全財産を奪うことはできる。私の自由も奪うことはできる。しかし諸君が私から決して奪うことのできないものが一つある。諸君が入ってきた瞬間に私をとらえた凄まじい恐怖がそれだ」」



この挿話を紹介したあと

エリアーデは翌日の日記にこう書きました。



「私は繰り返される失敗、苦難、憂鬱、絶望が、地獄下りを表していることを明晰な意志の力によって理解し、その瞬間に、それらを乗り越えることのできる者でありたいとのみ念じている。人は自分が実際に地獄の迷宮の中で迷っているのだということを悟ればただちに、自分がずっと以前に失ったと思い込んでいた、あれら精神的な力が、新たに十倍にもなるのを感ずるのである。その瞬間にあらゆる苦しみはイニシエイションの試練となる。」



チリの詩人パブロ・ネルーダの最後の言葉が思い出されます。

独裁者ピノチェットによるクーデタの三日後

イスラ・ネグラの海辺に建つネルーダの家は

軍の兵士による襲撃を受けました。

軍はその家に潜んでいるはずの「危険人物」を狙っていました。

難破船のような家で病の床にあったネルーダは

しかし毅然とした態度で

粗暴な武装兵士たちの侵入から自宅と蔵書とを守ります。

そのときネルーダの言い放ったことば。

「この家にある唯一の危険物 それは詩だ」

沖合に停泊し

ネルーダの家に砲口を向けていた軍艦も

この言葉によって去っていきました。

詩を砲弾で破壊することなど 不可能だったからです。



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不条理と痛苦の底の暗闇で

たしかになにかが発光しています。

不条理のなかから生まれる詩。

獄中で詩となった言葉。

ぎりぎりまで追いつめられた身体と言葉が発見する恩寵。

私はそんな恩寵に触れた韓国の二人の抵抗詩人を知りました。

金芝河 そして高銀

たび重なる投獄と死刑宣告で痛めつけられたからだを引きずりながら

金芝河はひたすら 「サルリム」の作法について私に語りました。

サルリムとはふつう家を拠点に暮らすこと

あるいは家事のきりまわし 

けれどその原義は動詞「サルリダ」すなわち「生かす」に由来し

「サルリダ」とは死んだものを甦らせる という意味をももつ

深く多義的な意味論を抱えた言葉でした。

金芝河が 日々を生きる生活者の智慧のなかに新たな社会の可能性を見いだし

政治化された社会の死から 生に向けて人間が復活するという夢のなかにいること

それは私に痛いほど伝わってきました。

けれど彼は資本主義を暴走するいまの韓国社会で

もはや誰からも理解されない夢追い人

誇大妄想に取り憑かれた狂信者といわれているのです。

もう誰も彼の詩を読みません……。


挨拶代わりに苛烈な頭突き パッチギの一撃で私を目覚めさせてくれた高銀

済州島の海女たちが 海底の畠から収穫する海の幸を地上に届けてくれること

そこに生まれる歌を詩が模倣することの謙虚さ。

彼の流れるような語りに国境線を引くことはできません。

けれど 獄中の死を幾度も乗り越えたこの抵抗詩人の声も

いまやすこしずつかき消されようとしています。

Me Too運動の過度のバックラッシュの犠牲となった高銀は

彼の思想の拠点だった日常空間から姿を消しました。

昨年来 もう彼の本は一冊も書店に置かれていません。

金芝河や高銀を継ぐ第二世代の詩人たちの苦悩は

監獄が社会空間へとそのまま移されてしまった現代において

あるいはもっと深いかもしれません。 

そんな新たな抵抗詩人のひとりファン・ジウも

MELEの共同体へと誘うべき一人です。



  ファン・ジウの無題作品


  名簿番号104。現実離れした憎しみが

  現実の愛になるまで。

  検死番号A-13。目に見えない愛が

  目に見える復活になるまで。

  墓石番号113。ああ、名前のない君!

  名前がないなんて、そんな!

  名前、ああ、君にはそれが

  ない。ああ、君!!! 名無しの君

  ああ!  ああ!  ああ!  ああ!  ああ!

  君!  君!  君!  君!  君!

  名無し! ああ、名前が

  ない! ああ、君、名前が

  ない! ああ、君!!! 名前!

  ああ!  ああ!  ああ!  ああ!  ああ!

  君!  君!  君!  君!  君!

  


語るべきことばが枯れ果ててゆく臨界で

なおいっそう真実をつかもうとする詩が生まれています。

ファン・ジウの詩集からもう一篇。



  ファン・ジウ

  「鳥たちさえこの世界から飛び立つ Even Birds Leave the World」


  映画が始まる前の映画館で

  僕らは立ち上って国歌が流れるのを聴く。

  映るのはウルスット(乙淑島)の浅瀬に集まった鳥たちの映像

  白い渡り鳥たちの群が

  ガアガアと ギーギーと 鳴き声をあげ

  やがてアシの広大な湿地から

  3千マイルの彼方の美しい土地へ飛び立つ。

  鳥たちはこの世界を彼らの世界から切り離す

  この世界からはずっと遠いむこうの世界へと飛び去ってゆく

  一列 二列 三列 と隊列を組んで。

  僕もまた他のものたちとガアガアと鳴き合い

  ほれぼれするほど見事な隊列を組んでみたい。

  そしてこの世界から僕たちの世界を切り離したい。

  僕たちの世界を背中に乗せて

  この世界からずっと遠いどこかへと飛び立っていきたい。

  けれど国歌の最後

  「韓国人よ大韓を永久に保全せよ」

  ということばを聞いた瞬間

  僕たちの腰はくだけ

  椅子に座り込んでしまうのだ。

  


私は思うのです。

出立の意志を持つことの重さを。

現実が自分をいかにこの不条理世界に縛りつけていようと

私は渡り鳥のような自由を持つのだと信じつづけることの重さを。



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詩が決して与しない言葉。

優劣

上下関係

優先順位

二者択一

選択と排除

現状維持

未来予測……

道が一つしかないというオブセッション

それが私たちを詩から遠ざけるのです。

バスクという国ならざる国

虹のような変異を抱えた孤立言語の60万人の話者が静かに守る

言語の果ての言語

その言葉の孤島のような場所から響く

ひとりの若き詩人の声が

こう歌っています。



  キルメン・ウリベ

  「僕に選ばせないで」


  陸にするか海にするかなんて

  僕に選ばせないで

  海につき出た崖の上にいれば僕は満足だ

  風にそよぐこの黒いリボンの上

  彷徨える巨人の長く垂らしたこの髪の上に。

  海でとくに好きなのは

  その無垢の心

  大きな子供のようにだだをこね

  頑固で意地っ張りかと思えば

  ふいにありえないような景色を描いて見せる。

  そして 陸でいちばん好きなのは

  そのふくよかな手のひら。

  陸にするか海にするかなんて

  僕に選ばせないで

  僕が細い一本の糸の上に住んでいることはわかっている

  でも海だけでは僕は道を見失い

  陸だけでは渇きで窒息するだろう。

  選ぶことはできない。

  僕はここに残ることにしよう。

  緑色の波と 青い山々のあいだに。



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詩が決して与しないもう一つの概念

差別 制圧 管理。

支配者たちの変らぬ論理。

詩は ささやかなことばをもって

真に愚かなのは誰かを

あまりに見事に暴き出します。

国境の壁がなにを真に阻もうとしているのか

奇矯な大統領にはそれがまったく見えていないのです。

ちょうど半世紀前に

一人のチカーノ詩人が絶望の淵からこう叫んでいました。



  アベラルド・デルガード

  「愚かなアメリカ Stupid America」


  愚かなアメリカよ あのチカーノを見たまえ

  大きなナイフを手にしっかり握っているあの男を

  彼はお前を刺そうなんて考えてはいない

  彼はただベンチに腰を下ろして

  キリスト像の彫刻を造りたいだけだ

  でもお前が彼にそれをさせないのだ。

  愚かなアメリカよ あのチカーノを聞きたまえ

  歩きながら大声で悪態をついているあの男を

  彼は詩人だ

  紙も鉛筆も持っていない詩人

  だから何も書けない彼は

  ただ感情が爆発するのを待っている。

  愚かなアメリカよ あのチカニートを記憶せよ。

  数学にも英語にも失敗したあの少年を

  彼は天才画家だ

  おまえたちの国のピカソ

  でも彼は一千枚の傑作を

  ただその頭のなかにぶら下げたまま

  年老いて死んでゆくことだろう。



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アジアにいるもう一つのチカーノたち

スペイン帝国とアメリカ帝国の不幸な混血児

それがフィリピン人です。

フィリピン人はハワイに流れ

ウクレレを進化させ

アメリカに流れ

詩を革新しました。

その驚くべき旗手

フィリピンからアメリカへと離散した

いや 詩のゼロ度の領域へと亡命した

ひとりのフィリピンのアンファン・テリーブル(怒れる子供)がいました。

自称 Dove-Eagle-Lion 鳩-鷲-獅子

ホセ・ガルシア・ビリャ。

チカーノたちとまったくおなじ名を持った

この国家と言語への過激な反逆児が書いた

ほとんど唯一の直接的な政治詩。

1933年 世界が暗黒の戦乱と全体主義の呪縛に

自らをすすんで封じ込めていった時代に

すでにこのような詩が書かれていたこと

それはいまの私たちに勇気を与えます。



  ホセ・ガルシア・ビリャ

  「わたしの国であるこの国 The country that is my country」


  わたしの国であるこの国

  それはこの半球には属さず

  別の半球にもない

  西にも東にもなく

  北にも南にもない。

  小さな磁石の針など私は拒絶する

  それはフィリピンではなく

  アメリカでもなく

  スペインでもハンガリーでもない

  他のどの国でもない

  わたしは否認する

  国家を、部族を、市民を、国旗を

  わたしはフィリピン人を否定する

  アメリカ人も、ユーゴスラヴィア人も

  スウェーデン人も

  すべての区別を

  分割を、差別を

  わたしは否認する同郷者を、愛国者を、国について語るだけの人を

  わたしがつよく求めるのは盟友だ

  人間であり、人類だ

  だからこそわたしはおまえを求める

  だからこそ私はおまえだけに属する

  そしてだからこそ、おまえも私に属する(……)

  わたしは国なき国の愛国者

  いかなる国への忠誠もない

  ただ人類だけ、人間だけに帰属する

  わたしの国であるこの国

  それはいかなる地理学のなかにもない

  口先だけの言葉のなかにもない

  それは心のなかにある

  私の国であるこの国

  それは地球、それは人類

  それは空、心のなかの愛

  それは空の彼方の空、万物の照応する一者



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もはや言葉として結晶しない望郷の想い

そんな痛苦の果てで 詩の最後の一行の手前の空白を

「故郷」と呼んだシュテファン・バチウ。

この癒されない空白を この不条理の隙間を 

器用仕事によってハンダ付けしてゆくのが私たちの役目。

MELEの親密な共同体に誘いたい

ひとりのチカーナ女性のやわらかな声が聞こえます。



  シェリー・モラーガ

  「溶接工 The Welder」


  わたしは溶接工。

  錬金術師ではない。

  わたしが惹かれるのは

  ごくふつうのものを混ぜ合わせ

  ごくふつうのものをつくること。

  どんな魔法もそこにはない。

  あるのはただ、すでに自分が知っているものを

  融合させたいと望む私の熱。

  それは可能なのだ。

  わたしたちは互いに言い合う

  「みんなおなじ岩から生まれた」

  「みんなおなじ岩から生まれた」

  でも忘れていることがある それは

  わたしたちがみな違う温度で柔らかくなること

  そして ある段階まで鍛えることができること。

  そう、融合させることは可能なのだ

  でもそれはものが充分に熱くなったときだけ

  それ以外のすべては見かけの接合にすぎない

  取り繕っただけの継ぎはぎ。

  金属が溶けて別の金属と融合する

  そのときの親密さ

  一人一人のなかの熱

  自己をたしかなものにしようとする情熱

  それがわたしたちの生という彫像を創り

  建物を建てる。

  摩天楼のような建物ではない。

  ただの建物 わたしたちを支え

  震えの恐怖から解放してくれるもの。

  (……)

  わたしは溶接工。

  熱がもののかたちを変える力を持つことを知っている。

  支配から脱して

  飛び交う火花の領域で働くために生まれた。

  わたしは溶接工。

  その力はわたし自身の手のなかにある。



.



私たち誰もが

屑を金に変える魔法に長けた錬金術師ではなく

ありふれたものをありふれたものとして調合しながら

真実によって充満するものをふたたび生成してゆく慎ましい溶接工なのです。

飛び交う火花の領域で静かにたくましく生きる

青銅色と褐色を分け持った混血児なのです。

詩もそんな混血児なのでしょうか。

ひかりとかげの

石と風の

神と修羅の。

花巻の賢治さん

あなたが未来に書く詩もきっとMELEにください。

キラウエア火山の溶岩流と岩手山の溶岩流を混ぜ合わせ

ハワイの風と原体村の剣舞の舞手を鼓舞する風を混ぜ合わせ

メレ・メレとダースコ・ダーを響き合わせて。


dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah



  宮沢賢治

  「原体剣舞連」


  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

  こんや異装のげん月のした

  鶏の黒尾を頭巾にかざり

  片刃(かたは)の太刀をひらめかす

  原体村の舞手(をどりこ)たちよ

  鴇(とき)いろのはるの樹液を

  アルペン農の辛酸(しんさん)に投げ

  生(せい)しののめの草いろの火を

  高原の風とひかりにさゝげ

  菩提樹皮(まだかは)と縄とをまとふ

  気圏の戦士わが朋(とも)たちよ

  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

  さらにただしく刃(やひば)を合はせ

  霹靂(へきれき)の青火をくだし

  四方の夜の鬼神(きじん)をまねき

  樹液もふるふこの夜(よ)さひとよ

  赤いたたれを地にひるがへし

  雹雲(ひょううん)と風とをまつれ

  dah-dah-dah-dahh

  夜風とどろきひのきはみだれ

  月は射(い)そそぐ銀の矢並

  打つも果てるも火花のいのち

  太刀のきしりの消えぬひま

  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

  太刀は稲妻茅穂(かやほ)のさやぎ

  獅子の星座に散る火の雨の

  消えてあとない天(あま)のがはら

  打つも果てるもひとつのいのち

  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah



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最後に

今日たった今この瞬間に生まれるもう一つの「MELE」の新たなページの片隅に

そっとこんな詩も置いておきましょう。

今日の即興の編者が 創刊の編者に向けて

サウダージとともに贈る詩の断片。

スペイン語と英語とポルトガル語とハワイアン・ピジンと

わずかなルーマニア語とハワイ語と琉球語でできた

ことばのメティス、加那しき混血児です。



  今福龍太

  「弦の上の大いなる旅」


  コブザ、カヴァキーニョ、ウクレレ

  (4+4+4=12)

  12本の弦の上を渡る長い旅

  痛苦と郷愁と至福に染まった

  いくつもの大陸と海を横切ってゆく道行きの果て

  

  Você náufrago! きみは難破者

  

  きみの心のコブザは悲しく歌った

  異郷的な響きにふるえながら

  どこにたどり着くことになるのかも知らず

  歓喜の旗たなびく南回帰線の彼方にあこがれた

  

  きみの精神のカヴァキーニョは調子っぱずれ(ジザフィナード)の声で応えた

  言葉と神話のはざまを越えてゆく冒険

  揚げたアイピンを食べ尽くそうとする熱した舌で

  崩れ去った過去の記憶を喚び出しながら


  きみの魂のウクレレは永遠を夢見た

  島人へと転生した難破者はきっと永遠に生き延びる

  イリオ犬の母がつくったサイミンをきみの食卓にそっと置いた

  やがて満ち足りたきみは チオランの沈黙で歌いはじめるだろう

  

  コブザ、カヴァキーニョ、ウクレレ

  12本の弦を渡る長い、長い旅

  (さらに 12のウムイと 12のマブライをひきつれて)

  痛苦と郷愁と至福に染まった

  いくつもの大陸と海を横切ってゆく道行きの果てで

  

  食べ終わった?(パウ・イート)

  それならきみは弦の上で踊っていて

  ぼくがきみのために 

  即興曲をいまかき鳴らそう!



付記


「もしわたしが今日MELEを編むのなら」は、2019年1月6日に京都 Impact Hub で開催された詩人シュテファン・バチウの生誕百年を祝う会で即興的に朗読された。


ハワイのバチウが、静かにたぎる情熱とともに、詩人たちの親密圏をささやかに、おおらかに編み上げた詩誌「MELE」。その、日焼けした粗末な再生紙と簡易印刷の文字、そのホチキス止めの冊子のまどしき姿に心震わせて以来、私はいつか自分が「MELE」を編むのなら、いったいどんな詩人たちをそのザラ紙の土臭い紙面に呼びだすだろうか、と考えつづけてきた。本篇は、思いがけず実現した、一つの試みである。


ワイキキの裏路地のサイミンの上にちょこんと乗った、なるとの渦のなかでの再会を夢見て。



プロフィール

今福龍太(いまふく・りゅうた) 1955年東京に生まれ、湘南の海辺で育つ。1982年からメキシコに滞在し、インディオ・プレペチャ族やコーラ族のもとで人類学的調査に従事しつつ、クレオール的混淆文化の洗礼を受ける。84年からはテキサス州オースティンに住み、テキサス大学大学院でメキシコ民俗研究の泰斗アメリコ・パレーデスに師事。学問研究の傍ら、メキシコ・アメリカ南西部・カリブ海・ブラジルなどを彷徨。その後、国内外の大学で教鞭をとりつつ、2002年より“奄美自由大学”を創設し主宰する。2017年『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(みすず書房)により第68回読売文学賞受賞。



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