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  • 執筆者の写真Saudade Books

インタビュー 中学生読書日記 韓国文学編

更新日:2020年10月3日



(ま)



(ま)というのは仮名で、BTSやTWICE、解散してしまったWanna OneなんかのK-POPが好きな、いまどきの女子中学生(14歳)です。アイドルグループを通じてお隣の国・韓国のカルチャーに興味を持ち、ときどき自宅の本棚にある現代の韓国文学の翻訳を学校に持って行って読んでいるようです(「朝読の時間」というのがあるのです)。「中学生韓国旅行日記」に引き続き、父親であり、編集人である私が聞き手になって、読書の感想をインタビューしました。(アサノタカオ)







この「むなしさ」は自分と同じ「世界線」にある


——最近、韓国の文学をいくつか読んでいるみたいだから、せっかくなので感想を聞きかせてもらいましょう。今回はチェ・ウニョンの小説『ショウコの微笑』(吉川凪監修、牧野美加・横本麻矢・小林由紀訳、クオン刊)。これは短編小説集だけど、どの作品がいちばん印象に残った?


(注=チェ・ウニョンは1984年、韓国・京畿道生まれの作家。2013年に「ショウコの微笑」で『作家世界』新人賞を受賞し、デビュー。本書を出版したクオンによる紹介文は以下のとおり。「高校の文化交流で日本から韓国へやってきたショウコは、私の家に1週間滞在した。帰国後に送り続けられた彼女の手紙は、高校卒業間近にぷっつり途絶えてしまう。約十年を経てショウコと再会した私は、彼女がつらい日々を過ごしていたと知る。表題作のほか時代背景も舞台も異なる多彩な作品を収録。いずれの作品の登場人物も哀しみ、苦しみを抱えながら他者と対話し、かかわることで、自らの人生に向き合おうとする。時と場を越えて寄り添う7つの物語。」)


 「オンニ、私の小さな、スネオンニ」かな。


——あ、同じ! あれは本当に良い小説だったよなあ、思い出すだけで涙が出てくる。どんなストーリーだったか、(ま)のことばですこし解説してください。


 主人公の「私」が病室にいる母のむかしの話を聞くという設定。母が子どものころ、家に「スネオンニ」というおばが養子みたいにしてやってくる。おばといっても16歳で、この人には、朝鮮戦争で両親と離れ離れになるとかの事情があった。そのあと、スネおばさんは結婚して家を出るんだけど、母は子どものころからこの人を尊敬していたから、その後もときどき会に行っていた。でもだんだんおばさんの暮らしが貧しくてひどいものになっていくのを見るうちに心が離れて、「尊敬」の心が「軽蔑」に変わっていくんだよね。


 それからおばさんの旦那さんが、「共産主義者」ってことで逮捕されて、刑務所に入れられていて。母が最後に訪ねた時、釈放された旦那さんが部屋にいたんだけど、からだも精神も壊れていて漏らしてしまうことがあった。で、母はとうとう「オンニのすべてが嫌い」という気持ちになって、もう会わないと決心する。


——うんうん、なるほど。少し解説すると、朝鮮戦争が休戦した1953年のあと、韓国では軍事独裁政権がつづいて、国内で軍政に反対する激しい民主化運動がおこりました。運動に関わる人は「思想犯」「アカ」(わかるよね?)と認定されて、国から徹底的に弾圧された。警察や刑務所でひどい拷問をうけて、命を落とした人もたくさんいる。この小説の舞台設定は1970年代、そういう歴史が背景にあります。かなり暗いストーリーだと思うけど、どういうところが良いと思ったの?


 子どもから大人になると、子どものときには感じられなかった経済とかの差がみえてきて、だから母もだんだんスネおばさんのことが「下の人間」に見えてきてしまうわけだよね。


——うん。


 時の流れが人も、人と人の関係も、お互いに対する印象や思いも変えていくでしょう、どうしようもなく。ひと言で言えば、その「むなしさ」。


——むなしさ、ねえ……。親としてはわが子が文学の「むなしさ」に共感するのはさびしい現実であるような気もするけど、うーん、まあそうだよなあ……。


 韓国のほかの小説を読んだり、ドラマをみたりしても、人間の生活や心理をきれいごとに美化しないで、ひどいところをむしろ強調している感じもする。でもそこが、逆に人間らしさを感じさせるというか。


——K-POPにもそういう作品はあるの?


 あるよ。BTS(防弾少年団)に「Sea(海)」って曲があるんだ。きれいな海にやってきたかと思ったら、そこはじつは乾いた砂漠で、希望があるところにはかならず試練がある、みたいな暗い歌詞のうた。リーダーの RM の体験がベースになっているんだけど、かれらがアイドルグループとして成功する前、まだ人気のない練習生だったころ、なかなかデビューできなくて何もかもうまくいかない。まわりからいろいろ悪口も言われる。明日はちがうと思っても、夢や成功をつかむことができない、そういうどうしようもない絶望感がいつまでもつづく様子を表現している。


 この「むなしさ」は自分と同じ「世界線」にあるって思えるんだよね。


——世界線?


 うん、世界線ってのは、時代とか場所とかをこえて自分がつながっていると感じることをあらわすことばなのかな。ちがうかな、よくわからないけど……。ともかく、夢が実現する美しい希望の物語って成功したごく一部の人のものであって、それ以外の成功していない多くの人にとっては身近なものじゃないんだよ。(ま)にとっても、「Sea」みたいなこういうディープな歌詞のほうが響く。


 「オンニ、私の小さな、スネオンニ」も同じで、おばさんにいつまでもあこがれの存在であってほしいという母の思いが裏切られていくでしょう。美しい記憶のなかにある美しい人の姿をもとめて会いに行くんだけど、時間とともに変わってしまった美しくない現実に向き合わなくてはならない、とか。韓国の小説や音楽って、そういう相いれない思いに対するどうしようもない「むなしさ」がリアルに描かれているのが良いと思う。


——ふーむ。そういう「むなしさ」って、韓国の文学だけじゃなくて、カフカとかドストエフスキーとかカミュとか世界文学でもテーマになっているかもしれないし、というよりいまの韓国文学が「むなしさ」に向き合う世界文学の大きな流れを引き受けるところに存在しているのかもしれないね。いやあ、中学生の深い意見をありがとうございます。


 うん。


——でもさ、チェ・ウニョンの小説って、時の流れのなかで人と人の関係が深く傷つけられる真実を語るとしても、その同じ時の流れが傷を癒すこともやっぱり語っているわけだよね。「オンニ、私の小さな、スネオンニ」では病室で母とスネおばさんが再会する不思議なシーンが描かれていて、「誰も私たちを殺すことができない」というちょっとドキッとするようなメッセージが、母の子である私に受け渡されていくでしょう。ドイツに暮らす韓国人一家とベトナム人一家の交流と悲しいすれ違いを描いた短編「シンチャオ、シンチャオ」にも、最後にちいさな救いがある。

 

 それはあるね。


——このあたりでインタビューは終わりにしようと思うけど、表題作の「ショウコの微笑」。あの作品の最後は、そういう意味では救いがないというか。


 たしかに。ショウコと韓国人の主人公とか、彼女たちとおじいさんとか、そういう人と人の関係があっけなく終わるところがあって、日本人独特のあいまいな感じのないはっきりした「むなしさ」がある、と(ま)は思うね。(了)





付記


名古屋の本屋 ON READING の韓国文学フェアに(ま)が「読書のオススメ!」コメントを寄せました。チョン・セラン『アンダー、サンダー、テンダー』(吉川凪訳、クオン)についてです。





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