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執筆者の写真Saudade Books

インタビュー 中学生あらため高校生読書日記 韓国文学編

更新日:2020年9月27日


(ま)


(ま)というのは仮名で、BTS や TWICE、Red Velvet なんかの K-POP が好きな、いまどきの女子中学生だったのですが、今春より高校生になりました。アイドルグループを通じてお隣の国・韓国のカルチャーに興味を持ち、ときどき自宅の本棚にある現代の韓国文学の翻訳を学校に持って行って読んでいるようです。父親であり、編集人である私が聞き手になって、読書の感想をインタビューしました。(アサノタカオ)


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世の中のほんとうの問題は目に見えない人の感情や気持ち、人と人の関係に原因がある


——さて、きょうは2020年5月23日です。新型コロナウイルス感染症の流行で世界も日本も大変なことになっています。その影響で3月3日から(ま)の中学校は休校。ぼくらが暮らす県では4月7日から緊急事態宣言が出されました。いわゆる「三密」を避けるよう外出自粛や休校・休業の要請があって、以来、基本的にずっと家にいる生活が続いています。

 そのなかで、チョン・セラン『保健室のアン・ウニョン先生』(斎藤真理子訳、亜紀書房)という「学校」をテーマにした韓国文学の本を(ま)に読んでもらいましたが、まずは「コロナ」のことを聞きましょうか。

 (ま)は中学3年生だったから、本来であればこの春には卒業式があり、高校の入学式があったわけだけど、式は中止されたのですよね?

 3月26日に中学校の卒業式はいちおうあった、1時間ぐらいの略式で。中学3年生だけが体育館に集まって卒業証書を受け取って、校歌なんかを歌っておしまい。校長先生の話も短かったし、来賓の挨拶もなかったからよかったよ。教室では、先生や同級生と少ししか話せなかったけど。

——それは、ちょっとさびしいですね。しかし、めったにおこらない歴史的な出来事を体験したとも言えます。

 いや、あのときはまだ緊急事態宣言が出ていなかったし、家に帰ってから、友だちと町までごはんを食べに行って。卒業式の日はふつうに楽しかった。

——なるほど。しかし中学は卒業したものの、(ま)の高校の入学式は中止で、4月は学生としてはなんのスケジュールもない、宙ぶらりんの状態だった。

 うん。

——親としてはほったらかしにしていますけど、毎日おもに何をやって過ごしていましたか?

 BTSの動画をみたり。ゲームの「どうぶつの森」や「第五人格」とかチャットで友だちと話しながら遊べるし、ツイッターやラインもやっているし、家にずっといるからといってさびしさは感じないかな。ただ、外に出かけられないし、家の中でやることが限られるのはつらい。どうしても受動的になるというか、与えられたものを受け取るだけの生活になるのは精神的によくないな、とは思った。

——コロナの日常を淡々とやりすごしているようだけど、でも毎日のようにテレビやネットで会社の倒産のニュースとか、感染者数や死亡者数の情報が流れてきて、海外のもっと悲惨な状況も伝わってくるでしょう。不安は感じませんか?

 うーん、病気になったら怖いなとは思う。それ以外の自分自身のことでいまのところ不安はないけど、ストレスを感じているまわりの同級生からけっこうネガティブな電話が夜中にかかってきたり。ツイッターでつながっている ARMY(BTSのファン)には社会人のひともいて、「最近、仕事がなくなった」という話を聞くと、いま世の中で大変なことが起きているんだなって。その人は仕事がなくなったから、昼からツイッターやゲームをしているわけで……。

——身近なところで、そういうことが起こっているのですね。さて、「学校」ということで言うと、連休明けの5月7日から、ようやく高校から連絡プリントや課題が郵送されるようになりました。

 いまは朝の9時ぐらいから課題をやったりしてお昼の2時ぐらいまで勉強して、学校のことは終わり。課題の量が多いし各教科の先生が本気すぎて問題が難しいのは困るけど、授業の時間が決まっていなくて、自分のペースで勉強できるのはけっこういい。学校に行けば先生に質問できたり、同級生と他愛のないおしゃべりをできるメリットはある。でも、Zoomや動画なんかを使ってリモート授業ができれば、学校という施設に毎日通って、けっこう長い時間拘束される必要ってあるのかなとは思う。もういいんじゃない、「コロナ」ですべて変わったんだよ。

——そうですね。「教育」や「学び」とは何か、「学校」という制度はほんとうに必要なのか。この機会に、これからの人間社会の変わる価値と変わらない価値、変えてならない価値を考えることが大切だと思います。先ほど、(ま)は質問やおしゃべりすることができるメリットと言っていたけど、IT(情報技術)によってリモートの授業や仕事が可能になるとしても、人と直接会うコミュニケーションってやっぱり重要なんじゃないかな。

 京都大学のゴリラ学者である山極寿一先生が、「ヒトという種は言語や視覚・聴覚情報によって脳でつながるだけでは他者との信頼関係を築くことができない。ひとつの場所にあつまって、一緒に食事をしたり風呂に入ったり、触覚や味覚、嗅覚などの身体感覚を共有しないと『信頼』は醸成されない」ということを言っていて、確かにそうだと思いました。では、人類がこれまで長い歴史を通じて築いてきた対面や接触の文化ってこれからどうなっていくんだろうね。

 さて、「コロナ」の話はこれくらいにして、この間に中学生から高校生に変わった(ま)に、インタビュー「中学生あらため高校生読書日記 韓国文学編」をおこないたいと思います。小説ってそれこそ言語を頭、脳をつかって読んで楽しむものだけど、登場人物たちのコミュニケーションを、想像的に体感するところがおもしろいですよね。それこそ、実際にごはんを食べる場面やからだのふれあいの場面も描かれるわけだし。

 まずは『保健室のアン・ウニョン先生』のあらすじ紹介をお願いします。



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 韓国の私立高校が舞台で、保健室の養護教諭のアン・ウニョン先生という若い女性が主人公。霊感がつよいというか、死んだ人や目に見えないものが見える特殊な能力があって、生徒たちに取り付いていたり、校舎にひそんでいる悪霊みたいなものを退治している。それを同僚の漢文教師であるホン・インピョ先生が助けて、学校で起こるいろいろな不思議な事件を解決していくという話。

——はい、ファンタジーの要素もありミステリーの要素もあり、ウニョンとインピョの恋愛の行方もちょっとユーモラスに語られて、読んでいて素直におもしろいと感じる気持ちのいい小説でした。

 ウニョンとインピョの会話のリズムがいいんだよね。インピョは、霊感はもっていないけど「保護のオーラ」に包まれていて、手をつなぐことでウニョンにエネルギーをチャージできる。漢文の先生だから、なにごとも古典で解釈したり、ちょっと堅物というか、空気が読めないところがあって、ウニョンとのちょっとずれた感じのやりとりがおもしろい。

——「学園ドラマ」とも言えそうなこの小説は、一話ずつ完結する連作の短編集というスタイルです。どの章が印象にのこりましたか?

 「てんとう虫のレディ」かな。

——ほお、どういうところがよかった?

 この話はラディという芸能活動をしている女子生徒が主人公。父親もパンクのミュージシャンで、ラディは養子。この父親はむかし交通事故にあって、車の隣の席で事故死した婚約者のことを歌にした曲「てんとう虫のレディ」が大ヒットしてスターになった。そしてラディにはおもてむきは母親がいないことになっているけど、じつはママがいて「幽霊がみえる」という問題を抱えている。

 ラディから相談を受けて、ウニョンがママに会いに行くと、彼女たちの家には幽霊はいない。ウニョンは問題を見抜くんだよね。父親は公式的には独身ということになっていて、いまも事故死した恋人の歌をうたいつづけているから、このママは「正式に結婚した自分が情婦みたいに暮らしている」という呪いを自分で自分にかけているのだろうって。それでウニョンは、霊能力じゃなくて、ちょっとしたトリックをこの家族にしかけて、ママの心理的な問題を解決する。

 おもしろいのは、この話だけ、非人間的な悪霊とか妖怪みたいな存在が登場しないこと。

——ああ、たしかに。

 この小説にはそれぞれの話で、悪霊とか妖怪みたいな存在がいろいろ登場するけど、読んでいるだけだと、それがどういう姿かたちをしているかよくわからない。

——はい。人間の姿をした幽霊以外は、「巨大な頭」とか「ゼリーみたいなぐにゃぐにゃ」とか「ムシ」とか、描写や説明が割とあっさりしていますね。

 そうそう。むしろどのストーリーの中でもきわだつのは、世の中のほんとうの問題は目に見えない人の感情や気持ち、人と人の関係に原因があるってこと。そこにリアルなものをすごく感じるんだよね。

 「ムシ捕り転校生」もよかったよ。百済の時代から四〇回も生まれ変わって、「ムシ」という悪霊を捕まえて食べる女子生徒、というか霊(?)が主人公。「ムシ捕り」はこれまでは戦乱や戦争の時代に男としてうまれて二十歳ぐらいまでしか生きられなかったのだけど、今回は「生きたい」と思う。非人間的な存在が、普通に生きて、大学に行って勉強したい、っていう人間味のある感情をもつようになって、ウニョンたちが助ける。

——「世の中のほんとうの問題は目に見えない人の感情や気持ち、人と人の関係に原因がある」というのは、まさにこの小説の本質だなと思いました。

 ところでこのインタビューの冒頭で話したように、(ま)はまだ高校に行ったことのない高校生ですが、韓国の高校生のことを読んで、共通点やちがうところ、何か感じましたか?

 韓国は大変な学歴社会って言われるし、高校では学生が大学受験のために夜おそくまで自習して、夜ご飯の給食まで出る。そこから深夜、塾に行くこともあるみたい。小説の舞台のM高校は学生の自殺も多いという設定になっているし、受験のプレッシャーや、悪い噂やゴシップが出回ったりする人間関係のプレッシャーは日本よりも重いのかなと思う。

 けっきょくいまの韓国社会に学歴とか格差とかいろいろな問題があって、高校生や若い人たちの悩みもものすごく大きい。それを「非人間的な悪霊とか妖怪みたいな存在」として表現しているところもあるのかもしれない。

——韓国の高校の「夜間自習」のことは、この小説を読んではじめて知りました。

 悩んでいるのは生徒だけじゃなくて、先生もおなじ。「穏健教師パク・デフン」という話では、パク・デフンという歴史の先生が、国や政治家に都合がいい解釈が書かれていて、内容もひどい教科書をつかうように校長から要求される。政治や思想のことの悩みも、韓国では強いのかなと思った。

——日本にも歴史教科書問題があります。第二次世界大戦のときの日本によるアジアの植民地支配の問題を歴史の授業の中でどう伝えるのかという議論があり、このことは(ま)にも考えてもらいたいと思います。韓国における歴史教科書問題には「親日派問題」や「独裁擁護問題」というものがあり、日本において植民地支配を正当化する考え方ともつながるのですが、これについては、訳者の斎藤真理子さんが解説で書いています。

 「穏健教師パク・デフン」は、胸が熱くなるストーリーでしたね。パク・デフンは校長と対立して悪夢にうなされたりしながらも、生徒に正しい歴史を伝えることを曲げない。「何であんなに悪い人が選挙で当選するんですか?……なぜ歴史は逆流せずに流れることができないのでしょう?」という生徒からの質問にもごまかさないで歴史教師として答えようとする。そして目を輝かせるかれらを見て、「後から来る者たちはいつだって、ずっと賢いんだ。この子たちなら僕らよりはるかにうまくやれる。」と言います。

 これ以上、語るのは控えましょう。ぜひ読んでほしい一篇です。

 「街灯の下のキム・ガンソン」もよかった。

——ああ、元同級生が幽霊になって会いに来るという、特別に感傷的な一篇。これもすばらしい作品でした。感想を聞いてみたいところですが、ネタバレになるといけないので、このあたりでやめておきましょうか。

 最後の質問です。『保健室のアン・ウニョン先生』は、いろいろなキャラクターが入れ替わり立ち替わり登場する群像劇です。ウニョンやインピョなど主役以外に印象的だった「脇役」っていますか?

 シン・ジヨン。

——ああ、インピョがお見合いした謎の女。なんでまた?

 お見合いで近づいてきて、インピョの学校にまでやってきて呪いの指輪やピアス、ブレスレッドを隠して、そこから食中毒が発生したり、学校じゅうの人の心が壊れていった。インピョのお母さんは、こいつは怪しいと見抜いて「つきあうのはやめておきなさい」と言うんだよね。無害そうに見えて、こっそり悪いことする人っているじゃん。けっきょく、人間の問題なんだよ。

——まあ、インピョはウニョンとつきあっているようなつきあっていないような微妙な関係でいながら、ジヨンとお見合いして平然といい気になっているっていうのが、読者からすると「何やってんだか」と思うよね。どこの国でも、男の目はつねに眩まされている……。(了)



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