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  • 執筆者の写真Saudade Books

詩の連載 つながりあう存在へ #2(島田啓介)



翻訳家・著述家で、マインドフルネス瞑想を実践する島田啓介さんによる詩の連載です。





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闇 (音は門を開く)



鳥の声を聞いた

黎明の底で

眼は未だ何も見ない

それを私は扉ごしに聞いた

枕に耳を埋めながら

浅い覚醒の中で


その声は清流の囁きのように

眠気のとばりをすり抜けて

すぐ耳もとで鳴っていた

意識の眼は

遠い異国の衣装をまとった

濃い色の肌をした違った物質〈もの〉でできた女性たちの一群を

石の広場の中に見ていた

肉体の眼は 明けゆく闇を見ていた

そして音は

門を開いていった


深い井戸の底で 私はその音を聞いた

水脈が何処にか隠されているらしい

私ひとり分の小さな虚ろの中で

私はそれを聞いた

どこかに世界があるらしい

それはまだ覆われてはいるが

闇の裾を押し上げながら漏斗のように広がっていっているらしい


神秘的な会話

井戸の底面にスコップを立てながら

私はそれを聞く

符号は謎のままに鼓膜を震わせた

意味はまだ存在から漏れ出してはいない

長い詩が 尻尾の先をわずかに動かした

車輪は稼働への思いを

未だ接地面に伝えていない


鳥は継続的に鳴き交わしている

夜は明けていないのかもしれない

樹はもう立っているか?

景色は展開されたか?


音が門を開いていく

私はその無音の光景を視ている



——島田啓介詩集『2000年後』(私家版、2000年)より



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やもり



ハリドワールの河は胆汁のように濁り

眼光は萎えていく

座席のボルトが外れたバスで

脳味噌の芯まで麻痺させられて

二千年後の故郷へ

乾いた谷の内部に自分を幽閉に行く


ずっと昔ここに住んで

河辺で釣りをしたことがある

あの時の魚が

今では図書館の館長をやっている


寒気が去らない

ソーダを飲むといいと、いかさま野郎の言うとおり

イタリア製のリムカを日に十本

寒気をますますひどくする


谷の奥、リシケシ

誰もいない食堂で

冷えたスープを喉までつまらせ

独房のような湿ったベッドで枕を引っかく


コッケー、コッケー、クゥー


喉が裏返ってしまいそうだ

がさがさのコンクリートの壁をなぞりながらどしゃぶりのような排泄

牡蛎殻がこすれるようなこの音は自分の喉からやってくるのか?

いや、そんなはずはない


コッケー、コッケー、クゥー


もうすぐどこかに行くというのかい?

ラジブ・ガンジーが暗殺された

ニューデリーの街角であいつらは何に向かって殴りかかっていったのか?

ぼくはホテルの窓からそれを陽炎のように眺めてた


コッケー、コッケー、クゥー


目の前の壁に黒ぶどうの眼をしたヤツがじーっととまっている

一晩中がさがさした壁をなぞりながらどしゃぶりのような排泄をくりかえす

膝頭に感覚はもうない

シーツを掴み、また壁をなぞりながら

黒ぶどうの眼をしたヤツの前にしゃがむ

ヤツは薄い羽衣かと見まごう霞のようなものをまとっている

それはもうひとつのそいつの肉体

一晩かかって肉体を脱ぎ捨てる絶望的な忍耐に、

ヤツの目玉は真っ黒な闇のようになり、つやつや光ってさえいるのだ


コッケー、コッケー


どこかで呼ぶのはヤツの仲間だったのか

もうすぐどこかへいくというのか


裸電球の下で

木の根っこのように寝転ぶ人々を見た

武器倉庫のような病院で

ぼくは買った注射器を凶器のように闇の中に突き出した

何かが固睡を飲んでいた


コッケー、コッケー、クゥー


もうすぐ夜が明ける

もうすぐ出かけなくては

ヤツは肉体から離れようとしている

羽衣は茶色にひからび始めた

新しい肉体が黄緑色に光って透けている



——島田啓介詩集『2000年後』(私家版、2000年)より



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「闇」について


田んぼの中の古い平屋に住み、いつも雨戸越しに息をひそめて夜明けを待っていた。夢と現実の狭間で目を凝らしても、鬱々とした闇の出口は見えてこない。“音”がやって来るまでは。音は地下水脈から湧いてくる。そして、「あちら側」から扉を開く。そのころ初めて「待つ」ことを覚え、詩という言葉を知った。



「やもり」について


朗読会でもっともよく読んだ詩のひとつ。冒頭の「二千年後」という表現が好きで、第一詩集のタイトルにした。ぼくはやもりの真っ黒な眼球から、インドの旅の内奥へと墜ちていった。ランタンの光のもとで蠢く有象無象が、病み枯れていく肉体の友となり慰めになった。ぼくはそれまでの何かを激しく捨てねばならなかった。新しい肉体を得るには、光を放つ漆黒の絶望を通る必要があった。



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プロフィール




しまだ・けいすけ 1958年生まれ。翻訳家・著述家。マインドフルネス瞑想を講演・研修・授業を通じて伝えている。精神保健福祉士・カウンセラーでもあり、身心の癒しを体験できるワークショップハウス「ゆとり家」を主宰。20代初めに詩を書きはじめ、それは生きることの欠かせない一部となった。弾き語りやポエトリーリーディングを通じて、自作を発表していた時期もある。今回のシリーズを連載をきっかけに新作を準備中。



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