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巡礼となりて #8 長月 帰宅(佐々琢哉)

執筆者の写真: Saudade BooksSaudade Books

更新日:2019年10月19日


高知県の四万十山暮らし、ときどき旅。野の中で素朴で質素な営みを願う日々を詩とエッセイでつづります。



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9月の始め、この夏の旅を終えて、四万十の自宅に帰ってきました。梅雨から夏にかけて数か月も家を空けていたものですから、どんなになっているのだろうかと、恐る恐る、晴れの昼間のタイミングを見計らって家に帰りました。というのも、一番の心配は、伸び放題の草たちと、そして、家のカビだったからです。陽のあるうちに家に辿り着いて、少しでも長い時間、家の戸を開いて換気をして、布団を干して、帰宅初夜に備えたかったのです。


さあ、家にいざ辿り着いてみると、予想通りに石垣の上に立つ母屋までの階段は、草で通せんぼされ、その周りの畑も、まあ、知らない人が見たら畑とは想像もしないであろう草むらとなっていました。草を掻き分け、マムシでもいないかと、足元を確認しながら、一歩一歩階段を登り、玄関目指しました。人がしばらく住んでいなかったものですから、今や新たな住人たちが、我が物顔でここの土地に住み着いているかもしれません。実際に、階段の脇のハーブを植えていた場所は、何者かに土を引っ掻き回された様子で、ハーブの姿はもうどこにもありません。引っ掻き回した後は、その先にまで広範囲に広がっていたので、その生き物は、我が家の玄関の目と鼻の先で、一時の間、好き勝手に暴れまわっていたのでしょう。イノシシでしょうか。はぁ、この先、どんな発見があるのかな……。





「ただいま」と、なんだか申し訳なさげに呟きながら、玄関戸を開け、障子を引くと、懐かしい我が家の座敷の間が広がっていました。日々の暮らしの様子と比べてスッキリとしている様子に、旅立ち前、バタバタと慌ただしくも、場所を整え、掃除して、出発したあの日が思い返されます。そして、もう一度「ただいま」と、今度は、しんみりとした喜びの挨拶を我が家にしました。


一番の心配だったカビは、意外になことに想像していたほどではなく、一安心でした。場合によっては、今晩は庭にテントを張って寝ようと思っていたぐらいですから。それでもやはり、空気は籠っているし、カビ臭いのは確かですから、戸を一斉に開け放ち、まだ、じとりと暑い夏の一日でしたが、土間の湿気を飛ばす目的で、おくどさんに薪をくべ、火を焚きました。家の煙突から煙が立ち昇ります。暮らしの景色が、また、少しづつ、動き始めました。


あいにくの曇り空に変わってきてしまったのですが、今夜使う分の布団だけでもと思い、真空パックしていた袋を開け、布団をまさぐり、外に干しました。しかし、伸び放題の草たちが干した布団に届くぐらいだったので、草刈りをして下をスッキリさせてからにしようかと悩みましたが、草刈りの段取りのことも考えるとしばしの時間を要してしまいそうなので、とにもかくにも布団を日に当てることを優先しました。しかし、曇り空のこともあって布団はスッキリと干せきれずのままに日暮れを迎えてしまったので、結局は、旅の荷物から寝袋を引っ張り出してきて、寝袋を開いて布団替わりに帰宅初夜を迎えました。





朝です。


やはり、我が家は、一番ぐっすりと寝れるようです。自宅の安心感というのには、まだ程遠い現状にありますが、それでも、いつもの四万十川の流れの響きに、虫たちの子守唄が、安眠を誘ってくれたのでしょうか。


起き抜けの瞑想は、これからの復旧作業のやることの多さに、どうにも頭が忙しく、頭に静寂が訪れぬままに1時間の終わりの鐘の音を迎えました。鐘が鳴り終わると、すぐさま、作業着に着替え、外に出て、草刈りにわーっと取り掛かりました。


わーっと取り掛かって、ぐるりと刈り上げて、スッキリ、とテンポよく文面に綴っていきたいものですが、現実はなかなかそうはいかないもので、今は家に帰ってきてから3週間ほど経ちますが、まだ草刈りが終わっていないところもあるのが現状です。まあ、草刈りだけに専念しているわけではなくて、まずは、住環境の確保のために家の掃除と、秋冬野菜の種まきを、最優先事項としました。畑は、草刈り機の刃の種類を変えながらの何段階かの草刈り後に、強靭な根っこたちを引っこ抜きながらの畝起こしをして、そして、ようやくの種まきです。これだけ刈り草がありますから、草の覆い(マルチ)をふんだんに畝に積めるのだけは、留守の功名で、なんだか贅沢な気分です。階段横と同じく、畑のあちらこちらにも、獣に掘り返された跡があるので、土地の造成作業もしなければいけません。やれやれ、まさに、移住1年目のような気持ちです。田舎暮らしをしていると言っても、家を留守にすることの多いぼくの暮らしぶりは、ひたすらに一進一退の繰り返しです。


そうなのですよね、どうやら放っておくと「後退」するようなのですよね、「暮らし」というものは。特に、自然に接している要素が多い、田舎での暮らしは。ということは、「暮らす」とはある意味、自然が前に進んでくるその力をくい止めること、なのかもしれません。これだけ毎日、放っておいた結果の、伸び放題の草たちの草刈りに、土地の造成作業、家中のカビ処理をしていると、そう思えてなりません。放っておけば、本当は、自然はこっちの方向に進んでいきたいのに、ぼくが数か月ぶりに家に帰ってきて、その力を止めようとしているのですから。



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復旧作業の息抜きにと、山から海に出て帰ってきた、晩のこと。川に沿って蛇行する集落の車道を曲り、我が家の畑がヘッドライトに照らされ、車窓に映し出されると、前方に、畑の石垣が崩れ落ちているのを発見しました。アクセルを緩め、慎重にその様子を伺いながら進んでいくと、(暗闇にヘッドライトに照らされて見た色だったので、正確ではないかもしれませんが)赤茶色の猫よりも、ひと回り、ふた回り、ぐらい大きくずんぐりとした輩が、崩れた石垣の上から、畑を抜け、山へと走り去っていく後ろ姿を目撃しました。走り去った後には、置土産と言わんばかりに、ド、ド、ドーっと、程度良いひと塊りの土が車道に崩れ落ちてきました。その土が流れ落ちてくる光景に、「やられたー」という悔しい思いと、「やれやれ、またやることが一つ増えた」という思いがこみ上げてきました。今ままでの経験から、長く留守にしているときは、自業自得と諦めているのですが、ぼくが家にちゃんと住んでいるときには、家のすぐ目の前の畑にはほとんど獣害は出たことがなかったので、「家にいる間は大丈夫」と高を括っていただけに、悔しさも倍でした。


翌朝、その現場を改めて確認しにいくと、どうやら階段横のハーブの現場や、畑のあちらこちらに見られる跡と同じ形跡であったため、どうやら同一犯であろうという、推測に至りました。薄々感じていたのですが、以前にあったイノシシの、まるでトラクターで掘り返したような跡に比べると、その様子は幾分上品であるため、「もしかしたら、違う動物なのかな」との思いは、昨晩の目撃で確かなものとなりました。近所の人たちへの聞き込みと、インターネットでの検索により、「犯人はアナグマであろう」という結論に至りました。インターネットで見つけた情報によりますと、アナグマ(穴熊)は名前の通りに、穴を掘って同じ穴に大家族で暮らしているようで、一昔までは「ムジナ(狢・貉)」とも呼ばれていたそうです。なるほど、「同じ穴のムジナ」の語源はここから来ているのか(な?)……。アナグマの大家族が穴の奥に、棲家を構えて暮らしている様子を、なんだか微笑ましく想像しました。この畑の近くに、どこか、アナグマの大家族のお家があるのでしょうか。「かわいいな」という思いと、「厄介だな」という思いが、交錯します。そう思うと、ぼくが数か月ぶりに家に帰ってきたからといって、アナグマ家族は、この数日でいそいそと急に引越しを決断することもないだろうに。そしたら、また今後も、出くわす(被害跡を発見する)機会があるのかもしれないと、思い至りました。



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ここで、アナグマやイノシシを含めた獣たちの行動を、自然の行為の一部と見なすのか、はたまた、人間と同じく、棲家を構え、食料を求め、家族を養う、同じ種族と見なすのか、といった線引きの具合に困ります。すぐに自然崇拝をしたがるぼくの傾向からしたら、そうした獣たちも自然の一部として敬いたくなりますが、畑に残るアナグマの行為を見れば、草が伸びようとしていた場所が掘り起こされていて、それは、自然から生まれてくる推進力を切断するという意味では、ぼくの草刈りの行為と結果としては、なんら変わりがないわけです。そして、お互いに、食料の確保のためにそれをやっているわけですから。そんなことを思いながら、アナグマが散らかした石垣の跡を、やれやれと思いながら、片付けていました。しかし、そうして、ぼくが片付けた跡を見つけたアナグマは、「せっかく、いい具合に掘り返したのに、やれやれ」と思いながら、再び、その場所を引っ掻き回しに来るかもしれません。そうです、お互いに自分の都合で物事をやっているだけなのです。草は、草の都合で伸びますし、ぼくは、ぼくの都合で草を刈ります。よくよく観察していると、草同士もお互いに、テリトリーの確保のため、競い合っている様にも見えます。「それぞれの都合でその場に居る」という意味では、「皆、平等」なのかもしれません。また、彼らの立場から「平等」というものを見てみれば、ぼく自身も自然の一部として平等なのです。つまりは、自身の内にも、動物や植物たちと同じ自然があるということです。ついつい、外の自然ばかりに意識がいってしまっていましたが、同じ目線で同等に、自分の中の自然というものに気づき、敬いたいという視点が、芽生えてきています。


ぼくも、おなじ、自然の一部なのです。


確かに、草がどんどんと生えてくるのは困りますし、獣が畑を荒らしていくのは困ります。だからと言って、地表がみんなアスファルトに変わったとしたら、それは、それは、大変なことです。だからと言って、獣が家の周りからみんないなくなったと想像したら、それは、とても寂しく感じます。あの命たちが周りで息づいていることを、目には見えなくても感じながら日々を暮らせることは、とても豊かなことであります。しかし、同時に、なぜ人々がアスファルトで覆い、獣たちを追いやっていったのかという気持ちも、田舎暮らしの大変さに理解できるようになってきました。「自然が前に進んでくるその力を、くい止めるのが暮らしだ」と表現しましたが、そこを発端に生まれてきたのが「便利さ」というものかもしれません。そして、その「くい止める」術を集結させた暮らしの形態が、「便利な」都市なのかもしれません。しかし、度の過ぎた「便利さ」の弊害に隠れてしまっている本質を見つけたくて、田舎にやってきたぼくとしては、この「便利さ」の思考の発端により近い(であろう)暮らしの環境にいるのだから、その分かれ道の部分を、ちゃんと見据え、選択し、日々を生きていけたら、と思います。


見据えていたいとは、具体的には「バランス」でしょうか。ぼくの暮らしのテリトリーの中で、やはり、草がボーボー過ぎるのも困りますし、全くないのも困ります。獣が散らかし放題するのも困りますし、獣が全くいなくなるのも、きっと彼らの持つ何かの要素が欠けることになって、全体的なバランスを失う結果になってしまうでしょう。お互いに、お互いのバランスで、共依存しながら生きている部分が、確かにあるはずです。裏山の森に入れば、母屋から半径数百メートルの距離ですが、家の周りでは見かけない植物が茂っていて、つまりは、家の周りの環境は、その者たちにとっては好都合ではないということでしょう。家の周りには、ぼくという自然を含めた環境を好んできた者たちが、いるわけです。自分自身を含めた、「自然のバランス」を感じていたいです。


ぼくも、おなじ、自然の一部なのです。





動物、植物、虫、そしてこのぼくも、

同じ船に乗る仲間なのかもしれません


地球船号はどんどんと宇宙の大海を進んでいきます


動物、植物、虫、ぼくたちが、

地球の表面上で、あれやこれやしても、

自然がただひたすらに突き進んでいくその推進力は、

このもっと大きな枠組みの力なのかもしれません


この大きな力に運ばれていく、

ぼくたち地球船号の乗組員は、

それぞれに与えられた役割を、

日々こなしていくだけです


一致団結とバランスを保って



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草刈りもひと段落した頃に

台風が来ました


枝が吹き飛んで

樋からは雨水溢れ

谷からは鉄砲水が流れ


やれやれ、

また、やることが、ひとつ、ふたつ、増えました


作業の開始に、晴れ間を待てば

そのお日様のひかりに、草は再び伸びています


やれやれ、

自然相手の仕事に、終わりはありません


一つ片付いたと思っても、

自然は、ひたすらに、前に進んでいきますから

決して、止まることはありませんから


どうやら、

終わらぬままに、終わっていくのが、人生というもののようです


それが、

自然のようです


そうであるから、

日々、やれることだけをやって、一生懸命に生きていきたいです


何は成し得なくとも、

一日の終わりの充実感は残りますから


地球船号の、今日一日の、ぼくの役目は、

ちゃんと、果たせましたかね……





兎にも角にも、

この夏をキリギリスのように、歌って過ごしましたから、


今は、

毎日毎日、せっせと、朝から晩まで、

アリさんのように、

お日様、曇り空の下、

働いています


雨が、降ったら

家の片付けを進めましょうかね……。


充たされた、毎日です



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長旅後の帰宅


長月に、いろいろなことを思いました


さて、草刈りに戻ります



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日が暮れたら


長夜に、唄を歌います



プロフィール


佐々琢哉(ささ・たくや) 1979年、東京生まれ。世界60カ国以上の旅の暮らしから、料理、音楽、靴づくりなど、さまざま なことを学ぶ。 2013年より、高知県四万十川のほとり、だんだん畑の上に建つ古民家に移住し、より土地に根ざした自給自足を志す暮らしをはじめる。全国各地で不定期にローフードレストラン「TABI食堂」 や音楽会を開催。TABIは、中米を1年間一緒に旅した馬の名前。 2016年にローフードのレシピと旅のエッセイ本『ささたくやサラダの本』(エムエム・ブックス)を刊行。



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