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  • 執筆者の写真Saudade Books

巡礼となりて #9 神無月(佐々琢哉)

更新日:2019年11月8日



高知県の四万十山暮らし、ときどき旅。野の中で素朴で質素な営みを願う日々を詩とエッセイでつづります。



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10月22日 ヤンゴン到着


ミャンマーへ向けて出発。成田→経由地ハノイへの飛行機の中にて。やっぱり、なんだかんだで、出発前日というのはバタバタと慌ただしく、睡眠は4時間だけになってしまった。朝5時に起きて、6時に出発だ。どうやっても、段取りよくはできないものだ。


やりきれなかったインターネット作業は2時間程の成田空港への電車の中で行った。メールを慌ただしく打つ。普段の僕のメール返答能力からしたら、ずいぶんと短時間に多くのメールを返信したのではないか。そういえば、今回の一週間の巡業の移動中もすっかりとPC作業ばかりで道中というものをまったく楽しんでいない。移動時間の有効活用といえば、それもそうだが。





10月23日


ヤンゴンの朝、窓のむこう、朝焼けの街並みのむこうにパゴダ(仏舎利塔)が装厳にそびえたっている。昨晩は飛行機が遅れたこともあって、空港からタクシーに乗ってホテルに着いたのは21時頃だった。LCCの飛行機の機内食は食べなかったから、24時間以上何も食べていなかったけど、機内で聞いていたAudiobleで「睡眠」の質には夕食を遅くに食べないというのに改めて納得していたので、よい断食の機会だと思い、初めて訪れた場所を出歩きたい気持ちを抑えた。ホテルにチェックインして部屋に案内されると、テーブルにはお茶セットにオレンジとりんごが置かれていた。荷物をほどいて肌寒い季節の日本の装いをやっと脱ぎ、シャワーを浴びてスッキリしたところでポットにお湯を沸かし、お茶を飲みながら果物をいただいた。その心遣いに感謝しながら、移動で疲れた体をやっと横にして休む。





今回の旅の荷物は、飛行機がLCCだったので、追加料金を払わずに、潔く機内持ち込みの7キロだけにした。今回の旅の目的がまったく瞑想だけであるから荷物は着替えと歯ブラシぐらいのものである。とはいっても、カリンバと尺八も一緒に連れてきているが。荷物が少ないのは誠に楽である。空港でも、場所から場所の移動も日常の街歩きの気分と同じように行えた。実際にいつものタウンユースのバックパックで旅にきているわけだし。そんなわけで原稿も手書きとなっている。今まで散々旅をしてきたが、こんなにも荷物少なく旅するのは初めてのことかもしれない。まぁ、旅のスタイルもその都度で変化しているのでそれに応じた荷物というものもあるだろうが。大学卒業後からの20代後半、無期限の旅をしていた頃は、「旅が暮らし」と思っていたから、また現にそうであったから、70リットルものバックパックに、暮らしに必要なもの、テント道具に料理道具、スパイスなどの食材が全て詰めこまれていた。想定としては、どんな状況下にあっても、自分の所持品で一晩を無事に過ごせるラインナップだ。実際に中米を馬で旅をして、そのまま3年近く、北中米を渡り歩いた時は、半分以上の日々は野外のキャンプで過ごしただろう。テントがぼくの家だった。家さえもバックパックに背負って、移動して世界を巡っていたわけだ。そのうちに、音楽や物作りをするようになってきて、さらに旅の荷物は増えていった。


「音楽や物作りをやりたい」と思うようになったきっかけは、旅先で出会った人々の影響であり、どんな場所へ旅しようとも、自分を表現する術をもっていることに、とても憧れた。そしてちょっとずつ旅の日々の中で、こうしたことを始めていったわけだが、靴作り、料理などの表現手段が増えるにつれて、旅の彩りも鮮やかになっていった。そのうちに、移動をすることよりも創作が楽しくなってきて、旅先で家を借りて地元のミュージシャンやアーティストの人々と交流して一緒に色々とやるようにもなった。旅荷物が増えて行き、移動型から滞在型の道行きとなっていったわけだ。その過程で、自分の身の回りのものは、なるべく自分の手で作りたいという気持ちが生まれてきたこともある。その延長線上に、日本に帰ってきてからの自給自足の暮らしがある。


そうしてまた、今の気分としては、所有の少なさに憧れている。その“いさぎよさ”に心魅かれる思いだ。






10月24日 ヤンゴン2日目


昨晩はホテルの窓から大きくそびえて見える、巨大なパゴダを訪ねた。それは街の中心にあって、同じ窓から見えるどんな高層ビルよりも高くそびえている。夕暮れにその場を訪ねた。人々は献身的に祈りを捧げていた。老若男女問わず、家族連れ、恋人同士、僧侶、全ての人々達の心の拠り所になるような場所に見えた。都市の、それは真ん真ん中に、こんな祈りの場が存在していることのその歴史と、その人々の心にとても驚いた。都市の中心で何千人という人々が常に祈りを捧げているのだ。こんな瞬間に巡り会えることは、旅の大きな醍醐味である。



10月25日


昨日はダンマ巡りの日となった。ぼくがここ10数年続けているヴィパッサナー瞑想のルーツを巡る1日だった。異なる世代ごとの指導者たちのゆかりの地や瞑想センターを訪ね、ここでこの瞑想が引き継がれてきたのかと感じていた。大都会のヤンゴンをボートで川向いに渡れば、そこはあたり一帯田園風景が広がっていて、まだまだのどかなものであった。小さな村の中にはこじんまりとした瞑想センターがあって、その素朴さに、村の人々の暮らしの中に、ごく自然に瞑想の場があるのだろうと思った。瞑想ホールで1時間座らせてもらっている間、遠くから子供たちの遊び声がここちよく聞こえてきていた。一人ではなかなか辿り着きづらい場所まで連れて来てくれた20代(なのかな)のミャンマー人の女性は日本語を勉強していて、たった4か月だがぼくを案内してくれるのに存分な語学力で、とても感心した。


今日から、しばし瞑想の日々に戻ります。





プロフィール


佐々琢哉(ささ・たくや) 1979年、東京生まれ。世界60カ国以上の旅の暮らしから、料理、音楽、靴づくりなど、さまざま なことを学ぶ。 2013年より、高知県四万十川のほとり、だんだん畑の上に建つ古民家に移住し、より土地に根ざした自給自足を志す暮らしをはじめる。全国各地で不定期にローフードレストラン「TABI食堂」 や音楽会を開催。TABIは、中米を1年間一緒に旅した馬の名前。 2016年にローフードのレシピと旅のエッセイ本『ささたくやサラダの本』(エムエム・ブックス)を刊行。



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