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執筆者の写真Saudade Books

巡礼となりて #5 水無月 旅先にて(佐々琢哉)

更新日:2019年10月19日


高知県の四万十山暮らし、ときどき旅。野の中で素朴で質素な営みを願う日々を詩とエッセイでつづります。


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今月のはじめより、旅に出ました。行き先は、ロシア連邦国の一つである、トゥバ共和国というところです。地理的には、モンゴルの北西のシベリアの大草原やタイガの森に位置しています。ロシアと言いましても、それは、それは、大きな国ですから、さまざまな人種や文化が内包されている多民族国家です。そして、ここ、トゥバの人々は日本と同じモンゴロイド属の人種なので、ぼくにとってはなんだか馴染み深い顔つきの人々をよく見かけます。そんな人々に、なにかとても近いものを感じるだけに、その一方で、今まで触れたことのない未知のシベリアの遊牧民の文化に、なんとも言えぬ不思議な魅力を感じています。こうした不思議さが、人々を故郷から遥か遠い地へと、旅に駆り立たせる理由の一つなのでしょうか。


トゥバへ興味を持ったはじめてのきっかけは、彼らの音楽でした。20代の頃の旅先のサンフランシスコで、トゥバのミュージシャンと出会ったのです。その時初めて耳にした、「トゥバ」という国の名前、そして彼らが奏でる音楽。その音楽に心底感動しました。音の振動によって、本当にこころが震えたのです。そして、その瞬間から、いつか彼らの土地を訪ね、現地で彼らの音楽に触れてみたいと思い続けていたのです。その音の先に広がる景色、そこに暮らす人々はどんなだろうと、ずっと思いを馳せていました。そして、十数年間思い続けたその思いはついに叶い、去年、一夏をこちらで過ごす機会を得られたのです。しかし、その思いは冷めやらず、再び、今夏もこちらへと戻ってきたわけです。


さて、「旅」と偉そうに言いましても、今回の旅の一番の目的は音楽を習うことですから、街中(といっても日本の街と比べたら、それはとても小さな規模ですが)にアパートの一部屋を借りての長期滞在ですので、「留学」と言ったほうがよいのかもしれません。いままで「旅」というキーワードに魅せられて、20歳の頃から、それは、それは、随分と多くの時間をかけて旅してきましたが、初めての一人旅から20年が過ぎ、40歳になったいま(気づけば、あれから倍の人生をここまで歩んできたわけですね……)、旅のスタイルも、その目的も随分と変わったのだと、過去の旅を振り返り、思うのです。


そういったわけで、今は、四万十の日々の暮らしからいっとき離れていますので、日々の暮らしの記録に変わって、これまでの自分の旅の記憶を振り返ってみたいと思います。今の暮らしにつながっていった軌跡を辿り、文章に綴りたいと思います。旅先にて、旅について思うことは、旅先でしか開かれぬ感覚が開かれていますので、旅についての記述をする、よい機会でもあります。







その道は、我がこころの内から始まるものだった


こころの声を聞いたから



20代前半は、ただひたすらに、いままで自分が触れたことがない世界をこの目で見てみたい、との衝動に突き動かされ、旅をしていました。多種多様な環境に自身をさらし、自分の世界を広げて行きたかったのです。大学の長期休みを利用してはじめた旅ですが、それはいわゆるバックパッカーというスタイルの旅でした。ある街からある街へと、移動を続けながら、点と点を結んでいくような旅でした。今となっては、「旅にもいろいろなスタイルがある」と解釈しているのですが、当時のぼくは「旅=移動」というイメージがありました。それは、「旅」というキーワードではじめて手にとって読んだ本が(確か、兄の本棚に並んでいたのを拝借したのだったと記憶しています)、沢木耕太郎の『深夜特急』という、ユーラシア大陸を陸路で横断していく話でしたので、その影響がとても強くあったようです。実際に、自分自身も大学の夏休みや、春休みの限られた時間の中で、より多くの国々に行ってみたいとの思いが強かったので、その様なスタイルの旅となったのでしょう。正直に言いますと、訪ねた国の数が増えるごとに自分の経験値も増えていく様な錯覚もありましたので、スタンプラリーのごとく、より多くの国々を周っていた感も否めません……。


そうですね、その当時の旅を思い返してみると、確かに「もの」はたくさん、たくさん、見ることができました。はじめての海外一人旅はヨーロッパを選んだのですが、そこには、ファッション、音楽(クラブミュージック)、サッカー、それに大学で専攻していた建築といった、20代前半の若者の興味の対象に溢れていました。ここで「もの」と強調したのは、この当時の旅では「ひと」と接した記憶がそれほどないからです。つまりは、ひたすらに移動していましたから、ある特定の同じ人たちとそれなりの長い時間を一緒に過ごすという余裕がなかったのです。けど、それはそれで、とても意味のあることだったと感じています。まったくの未知なる世界で、何にも属することなく一人でいることによって、今までの囚われは剥がされ、客観的に自分自身を考察し、我がこころとの対話が生まれたからです。そのこころとの対話の中には、新しい世界に心沸き立ち、希望に満ち溢れ、開放されていく自分と、将来に不安を抱え、ギュッと小さく縮こまる自分がいました。また、未知なる環境に一人身をさらすことで、外の世界からも実に多くのことを感じ、インプットすることができました。普段の日本での生活では、そういった興味の対象への自分が行っていたインプット方法は、せいぜい建築雑誌やファッション誌を穴が空くほどに読破することぐらいでしたので、旅先では、より身体的感覚を伴った、もう一歩踏み込んだ学びの術を得たのです。そのことが、日本の大学生活で感じていた、得もしれぬ空虚感を充たしてくれる何かが旅先にある、と感じていた理由だったのかもしれません。言葉の通りに、乾ききってしまったこころの大地に、雨が降り、潤い、充たされていく、リアルな感覚がありました。


ぼくの大学生活といえば、次の長期休みをこころ待ちにし、休みがくればその度に、バックパックを担いで旅に出る、その繰り返しでした。さらには、大学を一年休学して、旅をしました。旅の時間の中では、くすぶっていた大学生活とは対照的に、ぼくのこころはひかり輝いていました。旅先の新しい環境下に適応していくために、眠っていた細胞がどんどんと開いていく感覚がありました。細胞が開き、感覚が開かれた分だけ、世界は彩りを持って輝いていました。さまざまなことが鮮やかさを伴い、自身の内へと吸収されていきました。しかし、その開かれた細胞は、日本に帰ってきて、いま一度、大学生という身分に自分をはめ込んでいく過程の中で、再び、閉ざされていくとも感じていました。


ぼくのこころは、「もっと、旅をしなさい」と語りかけていました。







その道は、外へ、外へと、拡散していくものだった


好奇心という旅の先導者に出会ったのだ



そんな大学生活も終わりに近づいてきました。同級生の友人たちは、就職活動に精を出し、就職内定という次の行き先への切符を手にしていきました。大学キャンパス内に張り詰めていた、いっときの就職活動期間中の緊張した空気は、再び緩みはじめ、その先の、約束された「将来」への広がりをも漂わせていました。そんな空気から、ぼく自身はすっかり取り残されてしまいました。大学を卒業しても旅を続けたい思いが強く、どうしても自分を偽って就職活動をすることに納得がいかなったのです。こころの声を無視することができませんでした。「旅をしてその先どうなるんだ」、「後で、後悔しても知らないぞ」との、両親、大学の教授、周りの大人たちからの言葉を耳にする度に、不安は募り、こころが折れそうになりました。しかし、社会が求める定説にあわせるために、自分の意思を押し殺して生きて行くことは、とても悲しいことに思えたのです。こころの声を聞こえないふりをして日々を生きているうちに、ある時、本当に、こころの声が聞こえなくなってしまっている自分がいることを思った時、とても悲しい気持ちになりました。それこそ、人生の大きな後悔になると……。


この将来への不安が募るなか、ぼくのこころに勇気を与え続けてくれたのは、ブラジル人作家パウロ・コエーリョが書いた『アルケミスト』という本です。この本には、この様に書かれていました。「羊飼いの少年は夢をみた。少年は夢を信じ、前兆を読み取り、こころの声を聞いて宝物を探す旅にでた。夢を追求しいくための前兆は、あらゆる瞬間、瞬間にちりばめられていた。宇宙は夢を追求する者に、時に、試練を与え、その者のこころを試す。しかし同時に、宇宙は、夢を追求する者のために、いつだって助けの手を差し伸べているのだ。こころに耳を傾ければ、こころはいつだって語りかけている、行くべき道を。夢を追求する、一瞬、一瞬が大いなる意思との遭遇なのだ」。


この本のおかげで、「こころとの対話」という側面にひかりが当たり始めました。そして、この本の物語にある通りに、こころと共に生きて行きたいと思いました。そう思えた時に、とても納得がいったのです。それは、「将来」への不安からなる曇り空が晴れわたっていく様な、清々しい気持ちでした。さらに、本の中には「こころと共にあれば、全宇宙があなたをサポートする」と書いてありました。それならば、ぼくは、世界のどんな場所へ旅しようとも、大いなる意識が見守ってくれているのだ。その気持ちは、まるで、ぼくのこころに、遠くから、安らかな風が吹き込んできたかの様でもありました。


大学を卒業し、ぼくは、旅に出ました。


(つづく)







——巡礼となりて——



その道は、我がこころの内から始まるものだった

こころの声を聞いたから


その道は、外へ、外へと、拡散していくものだった

好奇心という旅の先導者に出会ったのだ


巡り、巡り、

辿り着いた、その景色


その道は、収縮し、我が身の内へと帰っていくものだった

ついに、真実と出会う場所を見つけのだ


あぁ、

いま、ここが、聖地であることを知る


そして、

日々の営みは、喜びとなり、この星の創造となる



プロフィール


佐々琢哉(ささ・たくや) 1979年、東京生まれ。世界60カ国以上の旅の暮らしから、料理、音楽、靴づくりなど、さまざま なことを学ぶ。 2013年より、高知県四万十川のほとり、だんだん畑の上に建つ古民家に移住し、より土地に根ざした自給自足を志す暮らしをはじめる。全国各地で不定期にローフードレストラ ン「TABI食堂」 や音楽会を開催。TABIは、中米を1年間一緒に旅した馬の名前。 2016年にローフードのレシピと旅のエッセイ本『ささたくやサラダの本』(エムエム・ブックス)を刊行。



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