2年間のカナダ滞在経験から「外国で暮らすこと」や「外国人になること」を考える詩とエッセイの連載です。
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引きずり出されて
緊急事態宣言が解かれて1ヶ月がたった。
穴に籠る前はまだ肌寒かった。
外ではいつのまにか季節は変わり、
花の季節は終わってもう梅雨だ。
引きずり出されてしぶしぶ外に出ると、
街を歩けばいたるところに壁がある。
マスク、仕切り、足下の線。
人と人の間に壁があるのが当たり前の世界。
素顔を見られるのはオンラインだけ。
新しい生活様式がこの先どれほど私たちの心に影響するのかまだわからない。
原理的には、壁なしでも2メートル以上離れるとか換気するとか手洗いうがいを念入りにすればいいわけだ。
逆に壁があるからといって近い距離でベラベラおしゃべりしたり消毒を怠ったりすれば効果がない。
だけどもう壁はマナーになってしまって、壁がない世界には引き返せない。
顔を晒して歩けば白い目で見られる。
壁を顔に貼り付けて、
毎日息苦しくて仕方がない。
物理的だけじゃなく、精神的にもだ。
いつからこんな息苦しい世界になってしまったのか。
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緊急事態宣言が解除され、世間は徐々に以前の生活に戻りつつある。あれほど喧伝された「新しい生活様式」は、すでにビニールカーテンをかけているだけ、入り口に消毒液を置いてあるだけの状態で、形骸化しているように見える。3ヶ月の間にものすごいスピードで価値観やとるべき行動が入れ替わっている。もはや緊急事態はすぎた、うちから外へ出て、感染に気をつけながら活動せよと、外へ外へとの声は日に日に大きくなり、今は経済を回すために感染リスクを織り込みながら日常生活を送ることを求められている。
このすさまじい行動の変化と価値観の変化により、傷ついた人は多くいるはずだ。傷の原因はさまざまだろう。家や職をなくしたり、経済的な危機に追い込まれたり、自宅勤務や休校となって家族関係が悪化したり、職場の対応に失望したり。あるいは周囲の人と手洗いの頻度やマスクに対する考え方が違うといったような小さな違和感程度のものまで。もはや世界中は傷だらけだ。膨れ上がる死者や悪化する経済状況、世界各地に広がる人種差別反対デモと取締り、政治不信。そんな大きな傷の中では、自分の傷は無数にある傷の一部でそこに紛れてしまい小さく些細なものに見えてしまう。人の痛みの方が目についてもはや自分がどれくらい傷ついているのか分からず、気づけない。たとえ自分の傷に気づいたとしても、「もっと傷ついている人がいるから」と自分の傷について公言しにくい。また、たとえ傷ついていることを伝えても、その傷に意図的か意図的でないかにかかわらず気づかれないまま平然とあしらわれて、そのせいで余計に傷が深くなりかねない。いまや傷つくことは許されず、表面上は元のように平然と過ごさなければならない。
傷を癒すには時間が必要なのに、社会は止まることを許してはくれない。傷に気づくことも、癒すこともできずにいるうちに、社会と自分の間にどんどんずれができていく。そのずれに気づいたところで社会に合わせて動かざるを得ないため、傷はどんどん広がっていく。
傷の恐ろしいところは心を蝕むことだ。コロナウイルスが炙り出したものは、世界の分断だという。肌の色、階級、経済格差、うちにいられる人、いられない人、仕事を休める人、休めない人、仕事のある人、ない人、うちで仕事や勉強ができる部屋やパソコン機器がある人、そうでない人……。それだけでなく、よき隣人だと思っていた人やよき家族だと思っていた人との間にも些細なことをきっかけに、相互不信が芽吹く。政治に期待できなくても、生きてこられたのは身近な人間への信頼があったからなのに、それさえ信じることができなくなってしまうようなことが起こっている。
この世界の過酷さをコロナウイルスが気付かせたことが恐ろしい。世界が過酷なのは自分が脅かされるからだけでなく、自分が加害者になるかもしれないということも含まれる。感染しているかもしれない、誰かに移すかもしれない、トイレットペーパーやマスクを買い貯めることで困る人が出るかもしれない、自分が寄付しなければ店が潰れるかもしれない、助からない人が出るかもしれない、自分が連帯しなければ……。何もしないことすら、加害になるかもしれないという恐ろしさ。世界は安心できる場所ではなくなった。安心できないがため、人は自分を守ろうとするあまり暴力に訴えたり、エゴイズムに走ったり、差別ともなりかねない行動を起こす。生き残ろうとすれば被害者になる前に加害者になることをためらいもなく許してしまう。これまで信頼してきたものへの不信が一気に噴き上がり、そんな世界では「知性」への信頼が失われてゆく。
3ヶ月の間にときどき石原吉郎の文章を読み直した。この状況が、表面上は違っても過酷な強制労働と飢餓の中、シベリアの収容所で八年を過ごした石原吉郎の体験に通じるものがあると感じたのだった。石原の文章の中に、収容所で唯一印象に残った人物である鹿野武一という友人について書いた「ペシミストの勇気について」というものがある。ペシミストは悲観主義者ということだが、収容所でペシミストであるとはどういうことなのだろうか。
石原と鹿野が入れられた収容所は冬季はマイナス30度にもなるような過酷な環境にあり、何かあればすぐ銃殺するようなロシア兵に囲まれながら、乏しい食糧の中で過酷な強制労働を強いられた。そのような環境ではまずは生きることが第一の目的となる。そして、その「『生きる』という意志は、『他人よりもながく生きる』という発想」しか取らなかった。つまり、そんな場所でペシミストであるということは、「生きる」ことを第一の目的としないことを意味した。
例えば鹿野は、収容所から作業現場への行き帰り五列になって行進する際、他の囚人は競って中の三列に入ろうとするのに、進んで外側の列にならんだ。両端には監視のロシア兵がいて、少しでも遅れたりよろめいたりすると射殺される危険があるというのに、だ。また、別の作業現場では、指示を待たずに一番条件の悪い持ち場に進んでついた。鹿野が明らかに違ったのは、他の囚人たちがこぞって他人を蹴落として少しでも自分が生き延びようとしているなかで、そのような行動をしなかったことだ。それをもって、石原は鹿野のことをペシミストと呼んでいる。
ナチの収容所で他の収容者の身代わりになって死んだコルベ神父を思わせるエピソードだが、違っているのは、コルベ神父が奉仕の精神であるとか、他人への思いやりから身代わりになったのに対して、鹿野の態度には、ただ自分は加害者にならないという明確な意志があったということだ。収容所の中では囚人たちは個人としての経歴も性格も均(な)らされて、ただ一律に囚人として扱われることで、人間らしさを失っていく。そのような場所に置かれた被害者であるという意識により、生き延びるために食事の分配で少しでも多く食べようとしたり、自分が有利な持ち場についたり、密告したりと加害者になることを辞さなくなるという。自分は被害者だからと、生き延びるために意図的か意図的でないかにかかわらず他人を蹴落としてもいいと、加害をすることが当たり前の行動になった者たちのなかで、鹿野はペシミストという態度によって人間らしさを失わずにいた。鹿野は自分は加害者にならないとすることで、己の位置を明確にしたのだ。
そんな過酷な状況でその位置を貫いた鹿野の勇気について、石原はこのように述べる。「この勇気が、不特定多数の何を救うか。私は、何も救わないと考える。彼の勇気が救うのは、ただ彼一人の〈位置〉の明確さであり、この明確さだけが一切の自立への保証であり、およそペシミズムの一切の内容なのである。単独者が、単独者としての自己の位置を救う以上の祝福を、私は考えることができない。」。そしてこの鹿野の追憶によってシベリヤの記憶はかろうじて救われているのだという。
わたしは、この鹿野の「ペシミスト」という態度が「知性」だったのではないかと思う。石原の言うように、ペシミストであることが何かの役に立つとか、何かのためになるということはおそらくない。ただ、鹿野が自分はペシミストであるという位置を明確にし、加害の側に立たないという意志を明示したことで、人間らしさが奪われ一律に「均された」人間になる強制収容所において「自分」であるということを捨てなかったのではないか。「自分」であることを捨てないということは「精神の自由」を保つことではないかとわたしは考える。精神の自由とはつまり「知性」だ。鹿野にみるように知性は、何かのためにある前に、まず自分を救う。そして、石原が鹿野の思い出によって救われているように、知性的である態度が誰かの慰めになることもある。
『群像』の7月号に哲学者の東浩紀が、『考えることを守る』という文章を書いていた。あるラジオ番組のキャッチコピーの「知る、わかる、動かす」を引き合いに出して、「考える」はどこに位置するのだろうかと疑問を抱いてしまう、とあった。そして、いまはみなが「動く」に駆り立てられている、と批判していた。
わたしが Twitter デモやその他たくさんのハッシュタグについていけなかったのは、コロナによって露呈した世界の過酷さにこれらの言葉は対抗しうるのだろうかと不信が湧いたからだった。自分が差別にもなりかねない考えを抱き出したことで、今まで信じていた「知性」はこんなに簡単に揺らぐのだと愕然としたからだ。いくら政治や世の中の不正義や不公平に声を上げ、告発し、連帯しろといっても、その拠って立つものを信頼している人はどれほどいるのだろう、この言葉が響く人がどれほどいるのだろうかと思ったからだ。東の言うように「動く」ことよりまず「考える」ことが、何より「知性」的な営みではなかったのか。何かを変えたり、何かの「ため」になるのは「知性」の結果ではあるかもしれないが、その本質ではない。なのに「動く」ことが「知性」の前提になっているようでもどかしかった。
ウイルスが蔓延し大きな流れとなって人を押しやる世の中で、わたしがそれでも「知性」の側に立つと言えるとしたら、社会のための前にまず自分のためにだ。エゴイズムと言われようとも、蛸壷の中に引きこもっていると言われようとも、不正義に目をつぶっていると言われようとも、それを譲らない。その位置を自分で決め、その意志を持つことが精神の自由であり、それを求めてきたのがわたしたちがこれまで信じてきた「知性」だったのではないか。だから、今必要なのは位置と意志。「知性」という位置と自分は「知性」の側に立つ意志。
コロナが収束すれば監視社会が加速すると言われている。おそらくそれを止めることは難しいだろう。しかし、意志によって自分の位置は決められる。嵐の中で大きな波に翻弄されているように見えても、碇をおろしていれば位置は明確となる。そしてそれがわたしたちの精神の自由を保障するはずだ。だからこそ、自分では何も変えられない絶望的な収容所で、石原はその鹿野の位置の明確さに救われたのではないのか。
知性に対して不信に陥るのはまだ早かった。この加害と被害に満ちた世界で、相互不信が行き着いた世の中で、それでも生きていかねばならないとしたら、ならばすることは一つだけだ。自分の位置を明確にする碇は自分で定めろ。
プロフィール
太田明日香(おおた・あすか) 編集者、ライター。1982年、兵庫県淡路島出身。著書『愛と家事』(創元社)。連載に『仕事文脈』「35歳からのハローワーク」。現在、創元社より企画・編集した「国際化の時代に生きるためのQ&A」シリーズが販売中。
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