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Hello folks #番外編 引きずり出されて #1 (太田明日香)



2年間のカナダ滞在経験から「外国で暮らすこと」や「外国人になること」を考える詩とエッセイの連載です。

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引きずり出されて


緊急事態宣言が解かれて1ヶ月がたった。

穴に籠る前はまだ肌寒かった。

外ではいつのまにか季節は変わり、

花の季節は終わってもう梅雨だ。

引きずり出されてしぶしぶ外に出ると、

街を歩けばいたるところに壁がある。

マスク、仕切り、足下の線。

人と人の間に壁があるのが当たり前の世界。

素顔を見られるのはオンラインだけ。


新しい生活様式がこの先どれほど私たちの心に影響するのかまだわからない。


原理的には、壁なしでも2メートル以上離れるとか換気するとか手洗いうがいを念入りにすればいいわけだ。

逆に壁があるからといって近い距離でベラベラおしゃべりしたり消毒を怠ったりすれば効果がない。

だけどもう壁はマナーになってしまって、壁がない世界には引き返せない。

顔を晒して歩けば白い目で見られる。

壁を顔に貼り付けて、

毎日息苦しくて仕方がない。

物理的だけじゃなく、精神的にもだ。

いつからこんな息苦しい世界になってしまったのか。



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4月から5月にかけて、周りではオンラインイベントや Zoom 飲み会やツイッターデモの喧騒が聞こえてきたが、わたしは4月なかばあたりから自分の狭い世界に閉じこもってほとんど参加しなくなった。家族と話すのと、たまに電話やメールで友達や仕事関係の人と連絡をとるくらい。あとはうちでひたすら来た仕事だけをこなした。ちょうど、マスクをしないと外に出にくくなってきた頃のことだ。マスクが他者を隔てる境界となるにしたがって、気持ちも自分の内側へと閉じていくのを感じていた。今思えばそれはある種の防衛反応だったのだと思う。



3月の終わりに非常勤で勤めている日本語学校の授業が例年より早く休みになって、そのまま卒業式もなく春休みに突入した。4月からは自主的に外出を控えていた上、緊急事態宣言で春休みが延長されどこにも行くところがなくなった。日本語学校の収入が減るので代わりに編集の仕事を入れた。やれるときにやっておかないといつ仕事がなくなるかわからないという焦りと不安からぎゅうぎゅうに詰め込み、こなすのが精一杯で休みはほとんどなくなった。


5月に入って、ぽつぽつと支援制度の報道がされるようになった頃から、今まで気にしなかったことに気持ちをかき乱されるようになってきた。自営業の人が申請できる持続化給付金の申し込みが始まり、周囲でも申し込んだという声が聞こえてくると、これまでだったら「よかったね」と思えていたものが、「こんな制度ができるなら無理して仕事を入れなければよかった」「働かないのにお金がもらえて羨ましい」と歪んだ受け取り方をするようになっていった。最初の頃は自分が仕事があるだけありがたい、仕事がない人はどうにか乗り越えてほしいと思っていたのに。だんだん仕事が溜まってきて、朝から晩まで机にかじりついていて、緊急事態宣言も仕事もいつ終わるんだろうという不安に押しつぶされそうになるうちに、人を妬んだり羨ましいという気持ちが強くなっていった。


そして、オンラインイベントを開催する、オンライン飲み会に参加した、こんな本を読んだ、こんなテイクアウトをした、そういう友達の SNS の投稿もだんだん見るのが辛くなってきた。それらがうちにいるしかできない中で少しでも毎日を楽しくするための工夫だったり、知り合いのお店を応援したい気持ちだったり、何もできない代わりに少しでもできることをという気持ちからやっていたことだったと今では思うけど、その時はそれらがコロナに乗じた何か浮ついたものに見え、自分の不安や余裕のなさとの落差に、どうしてみんなこんなに楽しそうにしているのだろうと怒りにも近い苛立ちを感じたのだった。



この前後から Twitter を見るのが辛くなっていった。開けば「# 非常勤講師に賃金補償を」「# 自粛と補償はセットだろ」「# アベノマスクは要らない」「# 世帯主にではなく個人に給付を」。思いだせないくらいまだまだたくさんのタグがあった。社会の流れに自分の気持ちがついていかず、複雑な気持ちになった。それが決定的になったのが5月10日の黒川検事の定年延長について反対するために一斉に「# 検察庁法案改正案に抗議します」とツイートする Twitter デモだ。ちょうど日曜日でその日は朝から仕事をしていて、昼からは Zoomで 友達としゃべって「すっきりしたな」と思ったところだった。一息ついてたまたま Twitter を開いたらタイムラインがこの言葉で埋め尽くされていて、何があったのかと驚いた。スクロールしてもスクロールしても同じ言葉が連なっていて、川のようにすごい勢いで流れていく。ふだん政治的なツイートをしない人までもがこぞってツイートしていた。このニュースについてはずるい、嫌だとは思うけどそこまではっきりと反対だとか許せないという気持ちを持っていなかった。だけど、怒涛の勢いでタイムラインがこの言葉で埋め尽くされる中、うろ覚えだが「この期に及んでツイートしない人は日本がどうなってもいいと思っている」とか、「無関心でいられるのがわからない」といった投稿が目についた。自分も何か意見を表明しないといけないような気分になって、賛同しない自分がダメなように感じた。


9年前、原発デモが盛んだった頃、デモに参加を呼びかける際によく使われていた「今止めないと」という言葉に対して抱いた気持ちを思い出した。当時住んでいた地域ではデモがなくて、デモに行くために交通費も時間も必要だった。わたしはその頃、フリーになったばかりで喫茶店でアルバイトしながら編集の仕事をしていたから、デモに行くお金も時間もなかった。だからそういう言葉を見るたびに、参加しない自分が責められているような気がして、この言葉を見るたびに、「行けないんだよ!」とイライラした。こういう人たちは生活で大変でデモに行く暇のない人の気持ちなんてわからないんだ、デモなんて時間とお金のある人間がやればいいと思っていた。


しかし、今回は Twitter だからボタン一つ押せば済む話だ。ボタン一つ押してそういうモヤモヤから逃れられるなら押してしまえ。そんな言葉に煽られるように、自分の意見や言いたいことが固まる前にツイートしてしまった。そして、それには「いいね」がどんどんついた。それを見ながら、わたしはとても空しい気持ちになった。これは、自分が本当に発したくて発した言葉ではなく、何かのうねりの中で反射的に反応させられただけの言葉にすぎない。そんなものが評価されるなんて。



ゴールデンウィークが明け、日本語学校でオンライン授業が始まった。編集の仕事に加えて、オンラインでの授業の仕方の講習や授業の予習が加わった。負担は増えたのに学校自体休業はしていないので補償はないと言われた。怒りに近い感情を抱いた一方で、感染リスクを背負って出勤したりカリキュラムを組み直したりする必要がないから非常勤なのだし、常勤の先生はそういった負担があるから賃金が保障されいており、非常勤がそれを求めるのはお門違いだという気持ちもあった。フリーになりたての頃にある出版社の社長が、フリーランスも入れる組合に入っている人に対して「フリーランスやのに組合なんかおかしいわ。補償ないのわかってフリーになってんのちゃうの。未払いとか仕事切られるんも実力のうちやろ」という言葉が頭をよぎった。


よく差別の問題やマイノリティの問題を考える時、マジョリティの側は特権があるという。そして、特権のある側が自分の特権を自覚し、差別や不正義を被っている人に連帯し、立ち上がるべきだという。それがわたしが今まで信じてきたストーリーだった。こんなふうに閉じこもることができたわたしは、ある意味特権を持っている側だった。周囲のフリーランスや非常勤講師をしている人からは、仕事がなくなってうちにいざるを得なかったという声も多く聞いた。それに比べたらわたしは仕事があるだけマシな方だった。だったらわたしは弱い立場の人に連帯して、社会に対して行動しなければならないはずだった。けれどできなかった。わたしは、確かにうちに閉じこもれたという特権はあったかもしれないけど、非常勤講師とフリーランスという危うい立場でもあった。たとえ特権を持っていたとしてもそれはとても小さなものにすぎなかった。


コロナウイルスが蔓延する世界では誰もが当事者となり、わたしもその一人だった。このような危機の時に、フリーランスや非常勤の不安定さが露呈する。フリーランスも非常勤講師も補償のなさと自由は表裏一体で、働き方に付随するリスクは自己責任と捉えられるからこそ、何よりもまず守らなければいけないのは自分と自分の仕事だった。その不安定さの中では、誰かに連帯する行動力も政府に何かを訴える気力がなかったし、社会にコミットメントできるほど余裕がなく視野が狭くなっていた。





5月21日、大阪の緊急事態宣言が解除され、学校は対面授業になった。最初は電車に乗るのが嫌でたまらなかったし、大阪にも行きたくなかった。空気感染はしない、感染力は弱い、手洗い、うがい、マスクをして、三密を避ければ感染しない。それは頭ではわかっていたけど、うちにいる間に不安と恐怖は増幅されて、人混みに対して拒絶反応が出る。電車の中で少しでも人が固まっていたり、マスクを外してしゃべっていると注意したくなった。本当は学校も休みたかったけど、少ない教員数で回しているからわたしが休めば迷惑だ。だけど補償もないのにどうして感染リスクを犯してこんな辛い思いまでして通わなければならないのか。気持ちは鬱々としていた。電車が怖いという気持ちや、勤務先へのモヤモヤを解消するヒントが何か得られるのではないかと、5月の終わりに知り合いがやっているあるオンライントークイベントに参加した。


そのトークイベントでは、医療従事者や感染者の多い地域の人たちが差別されたり、感染が自己責任になって感染者が差別されることや、外国人に特別定額給付金を支給するのはおかしいといった批判が差別だということについて、医療社会学や移民や労働問題の研究者らが討論するものだった。見ているうちにだんだん、人とたくさん会っている人と会いたくないとか、特定の県から来る人と会いたくないとか、特定の地域に行きたくないといった自分の気持ちは一歩間違えば差別になることではないかと気付いた。自分は今まで差別に反対する側にいたと思っていたのに、いつの間にか自分が差別する側にいることにショックを受けた。だけど、怖いものは怖い。今思い返してみると、そのイベントでは生理的な怖いといった「肌感覚」だけで判断せず、それが後天的に身につけたものかもしれないと疑ったり、社会的に作られたものだと知ることが大切だと言っていたとわかるのだが、その時は自分の「怖い」という気持ちが否定されて、自分が差別的になっていることが批判されているような気持ちになって「誰も自分の辛さをわかってくれない」と、勝手に落ち込んだ。



わたしは何よりも自分に対して一番がっかりしていた。これまで、知性によって人間は、歴史や事実に基づいて差別は「当たり前」とか「そういうもの」ではなく平等なはずの人間の間に敷かれた不正義だと学ぶことで、自分の感情や身体的感覚や経験を乗り越えられるものだと思っていた。もちろん、中には知識を差別の強化に使う人もいるし、知識を重視しない人もいるし、知識そのものを疑う人もいる。それでも、きれいごとと言われようとも何かを偏見だと指摘し知性の側に立つことを説く人は必要だし、自分はそれをやる側だと思ってきた。


ところが、体や心が弱っている時、生活が立ちいかない時、何かの拍子で感情や体や経験が物事の判断の基準となって、知性とのバランスが崩れることがある。そして、それが行き過ぎると心と体を守ることが大義名分となって、差別を生み出しかねない。もちろん、だからと言って全ての人がそうなるわけでも、差別が許されるわけでも、それが差別していい理由になるわけでもない。しかし、弱っている時には知性が大事という言い方は暴力的に聞こえることもある。そしてそうなると、人はそういった状況を作り出した社会や為政者よりも、その声を発する人や自分よりも弱い者を攻撃しがちになる。


今緊急事態宣言が解かれ、人が街に再び出始めた。多くの人々は疲弊し、徐々に判断のバランスを崩しつつあるように思える。人々を追い込んでいるのはウイルスそのものではなく、政治による不安と疲労と経済危機だ。そのような状況にある人に闇雲に知性の側に立てと説くことは、追い込むことにしかならないのではないか。まずその人たちに必要なものは休息と回復なのだから。


本来なら為政者のすべきことは、人々の不安に拍車をかけるように橋や塔を赤くしたり青くしたり、特定業種を名指したり暗にほのめかしたりしながら疑心暗鬼の種をまくことではなく、人々が安心できる社会を作ることではなかったのか。感染しても休んでもお金の心配がない安心。ゆっくり休める安心、社会から追い出されない安心。しかし、我らが為政者はどうだ。安心させてくれただろうか。これまでもそうだったが、このままではますます安心できない社会になっていくだろう。


人は本を読んで自分の知らない世界を知ることで、自分の枠を広げることができる。それが知性的な態度であり、その態度が良い世界を作ると思ってきた。これまで知性を無条件に信じていたからこそ、わたしは本を作る仕事をしてこれた。だけど、そもそも知性の側に立つことができるのは、生活が安定しているからこそではないのか。生活が安定しないことには、ますます人は感情と身体感覚と経験の方に流れるのではないか。


そんな世の中で、これからも知性の側に立つことができるのか。傷つき、怯え、疲れ果てた人たちに、知性の側に立てと言えるのか。たとえ言えたとしても、その人たちに本当にその言葉は届くのか。わたしは、届けられない責任は受け取る側にではなく、届く言葉を語れない側にあると思う。それでもなお自分は知性の側に立つことを信じ、語り続けるというなら、何をいかにして語るべきか。穴から引きずり出された後につきつけられた問いは、あまりにも重い。



プロフィール


太田明日香(おおた・あすか) 編集者、ライター。1982年、兵庫県淡路島出身。著書『愛と家事』(創元社)。連載に『仕事文脈』「35歳からのハローワーク」。現在、創元社より企画・編集した「国際化の時代に生きるためのQ&A」シリーズが販売中。

#Hellofolks #太田明日香


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