2年間のカナダ滞在経験から「外国で暮らすこと」や「外国人になること」を考える詩とエッセイの連載です。
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かつてのいつも
町中に足音と声が響いて
いつもがはじまる
人の流れに乗っていれば
目をつぶっていても
ディスプレイを見たままでも
たどり着ける
ある日途絶えた足音で
いつもの終わりに気づく
やって来たのは
知らなかったいつも
新しいいつもか
いつか終わるいつもか
わからないまま
足音はばらばらにされ
流れを失い一人で過ごす
一人ぼっちのわたしたちに
知らなかったいつもが
聞いたことのない静けさのなか
たくさんのざわめきを連れてやってくる
ざわめきは多すぎて
一つ一つの声を聞こうとしても
小さすぎて聞き取れない
次から次へと押し寄せて
全部聞く前に流れてしまう
町中に足音も声も響かない
足音が消えたせいで
目的地を見失って
かつてのいつもを思い出せない
一人にされたわたしたちに
知らなかったいつもが
聞いたことのない静けさのなか
大きなざわめきを連れてやってくる
ざわめきは大きすぎて
小さな声を聞こうとしても
うるさすぎて聞き取れない
割れるほど大きくて
耳をふさぐせいで誰の声も届かない
知らなかったいつものいつも
一人ぼっちでは
ざわめきに飲み込まれ
目的地も声の出し方もわからない
知らなかったいつもがいつもになる前に
忘れないで 声の出し方
覚えていて 肩の触れ合う距離
思い出して 一つの卓を囲んだこと
町中に足音と声が響いていた
かつてのいつもだった世界のことを
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緊急事態宣言が終了し、「新しい生活様式」で生活することが求められている。2メートルを示す足下のマーク、距離をとって並べられたテーブル、店頭に置かれた消毒液、透明な仕切り、口元を覆うマスクはこれまでのいつもの生活にじわじわと侵食し、もはや見慣れた光景になった。
一か月ほど前、スーパーで足下に人との距離を取るように示すマークや、透明の仕切りができたとき、ああ、ここまでしないといけないのかというショックを受けた。ところが、それが設置されると自分がその行動様式に合わせて、距離をとって並び、マスクをして出かけるようになっている。そして、その光景が当たり前になるにしたがって、だんだん自分の中でウイルスへの恐怖心が増幅され、2メートル以内の距離で人と接したり、マスクなしで人と話したり、不特定多数の人が触れるものを素手で触ったりすることに抵抗が出てきた。
さらに、人と接することも怖くなってきている。自分の中でここからは怖いという壁が出来始め、それがより高く、より強固になってきている。兆候はあった。3月から、飲み会などの人との集まりを避けるようになっていた。その集まりの中に出張が多いとかたくさんの人と会っているような人がいると知ったら、参加しないようになった。これまでできていた、普通に人と接するということがだんだんできなくなり始めた。自分が無根拠に持っていた他者への信頼が揺らぎはじめていることに恐ろしくなった。
先日、52日ぶりに電車に乗った。わたしは緊急事態宣言の間町に出なかったので、人がいなくなった光景もガラガラになった通勤電車も知らない。人出は以前より少ない程度で、みんなマスクをしている。以前と同じように、素手でつり革につかまる人、輪になっておしゃべりしている人がいる。だけど、そういう光景を見ると一瞬体が強張り、避けようとしたり白い目で見てしまったりする。エレベーターのボタンやドアノブは直接手を触れなくなった。店や職場では必要以上にしゃべらないようにし、知らない店やチェーン店には入らないようにする。知らず知らずのうちにとっている自分の行動に、不特定多数の人が怖くなっていることがわかった。これからもわたしは電車に乗らなくてはならない。しかし、このいったん高く厚くなった壁をどうすれば壊せるのだろうか。
日系アメリカ人のジュリー・オオツカの『あのころ、天皇は神だった』という小説がある。第二次世界大戦中、カリフォルニアに住むある日系人一家が、戦争中ユタ州の収容所に収容されてから戻ってくるまでを描いた作品だ。父は開戦を機に逮捕され居場所がわからなくなった。さらに母親と子供たちは海岸部から日系人が立ち退かされることになり、砂漠の収容所に送られる。裕福だった一家にとっては過酷な暮らしが待っていた。戻ってきた父は以前とは別人のようになり、働けなくなった。代わりに華やかでいつも身綺麗だった母親が掃除婦となって、自分たちを追い出した隣人たちのうちを掃除して回る。
別の『屋根裏の仏さま』という作品では、強制収容所に日系人が入れられた後の町の様子や隣人たちの姿も描かれている。それまで友好的だった隣人たちは、開戦を境に、日系人に疑心暗鬼を抱いて、商店主はだんだんとものを売らないようになり、少しでも不審な点があるとスパイだと密告し始めるようになる。そしてある日収容により日系人がいなくなると、しばらくは行方を気にするものの、新しい隣人たちがやってくると、日系人以外の商店で買い物し、日系人に頼んでいた仕事はかれらにとってかわられてゆく。一年が経ったころには日系人が住んでいた痕跡は失われ、それに伴い記憶もおぼろげになってゆく。
これらの小説を読むと、人はいったん分けられると、分けられている間に変化するし、再び一緒になったからといって以前と同様に戻ることはないのだとわかる。
この人と人とを分ける壁は急速にでき、壁ができるスピードは速すぎて、違和感があっても言葉になる前にどんどん高くなっていく。それが言葉になった頃には、壁は異を唱えても届かないくらい高く厚くなっていて、向こう側には届かない。自分が反対なのか賛成なのかわからないうちに壁ができていて、知らない間にどちらかの側に分けられている。そして、いったん壁が完成すると、わたしたちとそうでないものとの区別はより明確にさせられ、壁の向こう側への不信や敵意が醸成されていく。
壁はできるのも大きくなるのも簡単で、壁を取り壊したからといって一度分けられた後に醸成された不信や敵意が元通りにはなることはない。
日系人たちは物理的に収容所に隔離され、敵国人として分けられたが、わたしたちは緊急事態宣言という壁によって、約1か月近くをうちに「隔離」させられた。そして、その隔離は緊急事態宣言の終了とともに終わりを迎えつつある。わたしたちは経済活動を回復させるため、「新しい生活様式」の名の下に外に出ることを求められ始めている。しかし、「新しい生活様式」はどう行動すべきか教えてくれるが、「隔離」の間に醸成されたウイルスへの恐怖心や他者への不信をどう乗り越えるかまでは教えてくれない。
緊急事態宣言を出したり終わらせたりする側は、マスクと手洗いとうがいをこまめにしていれば大丈夫、とは言うが、それ以上怖がりいつまでもうちから出てこない人に対しては、「正しく」怖がっていないとして非難するだろう。9年前、福島第一原発の事故によって自主避難した人たちや、瓦礫を日本各地に分散させて焼却処分することに反対していた人たちが「放射脳」と揶揄されたように。
かつてのいつもの光景はやがて古い生活様式としてだんだん忘れ去られてゆくだろう。そして、これから「新しい生活様式」は浸透し、じわじわとわたしたちの心の中にも入り込んでくるだろう。「新しい生活様式」が心の隅々にまで行きわたれば、ウイルスへの恐怖も他者への不信も薄れるかもしれない。しかし、それは薄れただけで、元に戻ったわけではない。さらに、この状況下で、もしかしたら知らず知らずのうちに、新たな壁が作り出されようとしているかもしれない。
わたしたちは今、「新しい生活様式」になれるのが精一杯で、なくしてしまったものに気づくのはもっと先だろう。知らないうちに、取り返しのつかないくらい厚く高い壁ができているかもしれない。気づけば壁のうちに取り込まれていたとなる前に、よく耳を澄まそう。再び町中に響き始めた声と足音が、何を語りどこへ向かうのか。
プロフィール
太田明日香(おおた・あすか) 編集者、ライター。1982年、兵庫県淡路島出身。著書『愛と家事』(創元社)。連載に『仕事文脈』「35歳からのハローワーク」。現在、創元社より企画・編集した「国際化の時代に生きるためのQ&A」シリーズが販売中。
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