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  • 執筆者の写真Saudade Books

巡礼となりて #3 卯月 接点の響き (佐々琢哉)

更新日:2019年10月19日


高知県の四万十山暮らし、ときどき旅。野の中で素朴で質素な営みを願う日々を詩とエッセイでつづります。



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巡礼となりて


その道は、我がこころの内から始まるものだった

こころの声を聞いたから


その道は、外へ、外へと、拡散していくものだった

好奇心という旅の先導者に出会ったのだ


巡り、巡り、

辿り着いた、その景色


その道は、収縮し、我が身の内へと帰っていくものだった

ついに、真実と出会う場所を見つけのだ


あぁ、

いま、ここが、聖地であることを知る


そして、

日々の営みは、喜びとなり、この星の創造となる




いいですか、


わたしは、今からまったくに整然としていない連なりの文章を書きますよ


整えて整えて、やっとこさ、整然としていないことを、人様の前に並べる準備ができたのです


それがわたしの日常ですから、それがわたしの思考なのですから……



4月24日 朝9時


家の書斎の机に座って原稿を書いているのですが、窓の向こうに見える山の景色はこの一か月とも言わず、この数週間で随分と様子が変わり、さまざまな命たちが一斉に沸き起こってきています(原稿を書かねばと机に座ったものの、硬直の時間が流れるばかりでしたので、現実逃避にパソコンの画面から顔を上げて、山をまじまじと見つめているわけです。一時して、まあ、このままここから見える景色の様子でも書いてみようかと、再び、パソコンの画面に向かい始めた次第です。とにもかくにも手を動かして書いて、初動の推進力を呼び込まなければ。なので、ここから、あてもない、ライブ中継です)。


今朝は久方ぶりの雨が降っており、山肌はとっぷりと潤っている様子です。大地に染みこんだ雨水を根から吸い込んだ木々は、太陽の光の指す方向へとその水分を駆け巡らせ、そのままの勢いでさらに上へ上へとその新緑の葉々を広げていくことでしょう。その上へ伸びる勢いに、山はさらにモリモリとしてくることでしょうね。今はまだ、しとしとと雨が降っています、太陽が出るのが楽しみですね……。あれま、この数日、雨欲しさの植物のげんなりとした様子を目にしていたぼくは、随分と雨を乞うていたのですが、いざ雨降れば、太陽が出るのを楽しみと言っているではありませんか……。 


山肌は緑のパッチワークさながらに、さまざまな緑で覆われています。広葉樹の一帯は、植林された常緑の針葉樹の一帯の濃い緑に比べ、淡い緑です。竹の一帯は黄色いです。竹は、広葉樹の広がる枝振りとは対照的に、スッと上に伸びる様子が遠目からでも感じられます。針葉樹の幹はズンッと上に伸びています。緑のパッチワークがめくれ上がってしまった山の一部から、そこに隣接している針葉樹の幹の様子を目にすることができるのです(なんだか、スカートの下を覗いてしまったようで、こちらがモゾモゾと恥ずかしい気分)。竹は面白いことに、まっすぐ上に伸びることなく、一様に頭を同じ方向へと傾けています。さて、それは、枝の重さか、山の傾斜を表しているのか、風の通り道の方向か、太陽の入射角への仰け反りか。晴れて、風が吹いたら、確認してみなければ。今はまだ、しとしとと雨が降っています、太陽が出るのが楽しみですね……。


色から枝の動きという視点でもう一度山を見てみれば、白や薄紫色の花をつけた藤の蔓が上から下へ垂れ下がる動きが見えてきました。その下にはポコリ、ポコリと低木が立ち並び、その足元には大小の岩が並んでいます。植物の躍動的な動きとは対照的に、なんと静かに岩はそこに佇んでいることでしょう。そして岩を境に、四万十川がそこいらじゅうの谷に降った雨水を集めた様子で、いつもよりゴウゴウと流れています。その水平方向の流れは、山の垂直さを讃えているようです。


さて、数週間前まではその山肌には、山桜のピンクが見事に光っていたのですが、いまはその緑のパッチワークの中に沈んでいっているところです。沈んでいっている様子をさらにギュッと谷向こうの山肌に目を凝らして見れば、山桜の木自体にもその沈みの動きを見ることができました。新梢から吹き出す葉緑に、ピンクの花びらが沈んでいっているのです。そうか、そうか、沈んでいっている様子を最初に考えてしまっていたからその方向にばかり意識がいっていましたが、基軸を変えると、上に伸びていく力が接点にあるからこその現象なのかと、沈み行くピンクと盛り上がる緑の山肌に学ぶ思いです。実は、「接点」という考えは、先週、大工仕事をしていて発見したものの見方で、今はすっかりその見方が自分の中でのトレンドになっていますから、山の様子にもこのように当てはめて考えているのでしょう(ライブ中継執筆作戦、成功です! 加速力がついてきて、次に書きたいことが湧き上がってきた模様です、よし、よし)。





それは、納屋に新たに作った棚からの学びです。ぼくは、丸ノコで切ったままの鋭利な直線の角よりも、鉋やヤスリで面取り(材の角を削ること)を施した柔らかみのある表情が好きなのですが、棚を作ったその晩寝る前に、完成した棚がうす暗がりの納屋に佇む様子を思い浮かべ、面取りした角が良い感じだったなと、にんまりと満足した思いでその日一日を終えようとしていました。しかし、床につき目を閉じても、まるで静止画の油絵のようにその棚はうす暗がりに佇んでいました。その一枚の絵のフレームの中でどうしてそんなにも棚は見事に佇んでいるのだろうかと思いを寄せていると、やはり面取りした角はぼくが好意を寄せている場所だったのです。


金ヤスリを手に、板材の角を削った。その瞬間まで板の一部であった角は、ギーギーと削られ、粉となり、宙に舞い、もう板の一部ではなくなった。地面に積もった木屑の分だけ、その板が自分の身を切り離した分だけ、角に面が生まれた。断面図で見れば、二等辺三角形が90度の角から切り離されたことによって生まれた空間。そう、空間。ここで主体の基軸を変えて見てみれば、棚を内包しているうす暗がりの納屋も、接点として面取りされた空間を所有しているわけで、その二等辺三角形が削り取られたことで、納屋に対しても新たな空間が生まれたのだなと、どうしたことか新たな視点が生まれてきたのです(実際に、納屋にある棚を見ている時にこのような気づきに至らなかったのは、外側の空間が広すぎて接点が強調されていなかったからでしょう。逆に、額縁に区切られた長方形の油絵の中にあるような棚を想像していたことで、制限された空間の中で対象がより際立ち、このような気づきへと至ったのでしょうか。もう一つは、ある経験が自分の内側に染みこんで行くための、ある一定の時間、というのも大切な気がしています)。


では、その新たに生まれた二等辺三角形の空間が外側の空間に対してどのように作用しているかを想像してみれば、新たな空気の通り道が生まれたなとか、数ミリの単位だが向こうの景色が見えるようになったなとか、角を曲がる人の動線の動きが滑らかになったな、とか思うわけです。そうして、あぁ、この面取りの作用が棚が外側の空間に対して「しっくり」と佇んでいる理由だったのだな、はたまた基軸を変えてみれば、あぁ、角が取れたことで外側の空間が棚を包み込みやすくなったのだな、と思ったわけです。次に面取りする際には、「内包されている空間との繋がりを作る」というふうに、接点に隣接する両者の存在を思いながら削ることでしょう。





「接点」「基軸の移行」といった視点に気付き、眠り、起きた、朝。思ったことは、最近、友人たちともっぱらよく話している「こどもの教育」といったキーワードです。ついつい、こどもたちを思うばかりに、教育の現場でこどもたちに接している先生たちを批判する気持ちが出てきてしまいます。「自分たちだったら、もっとこういう風にこどもたちに教えるのにね」と仲間たちと話していると、希望のようなワクワクした気持ちが湧いてきます。では、先生たちはどのように感じてこどもたちと接しているのだろうか、と考えてみたら(ここで、「こども」→「先生」と主体の基軸の移行が起こりました)、もしかたら、先生たちも同じようにワクワクとした思いで始めは教壇に立っただろうに、と感じたのです。そして、次に思ったことは、もしかしたら、その先生自身のその感性を発揮することができない環境が、先生とその外側との接点の部分にあるのではないか、と思ったのです(「教育」は大きなテーマですので、ここではこれ以上掘り下げないようにしたいと思います)。そう思った時に、自分の中で「意識の飛躍」が起こったような感じがしました。ヤスリを手に持って棚を削った学びが、「教育」といった形のない抽象的な対象まで捉えていることに、驚いたのです。雨降る今朝は、山の観察までに、その学びが飛躍してきていました。



4月25日 朝8時 


海に向かって車を走らせている(昨日のライブ中継執筆作戦が功を奏したので、まだ書き足りていない文字数分もこの作戦でいってみよう、という魂胆です。正確に言いますと、車の運転中ですので、こころに書き留めておいた実況中継となります)。今朝方ようやく止んだ雨にすっかりと潤った山並みが、車窓の外に広がっている。昨日、あれだけ、しとしとまじまじと山を見つめたものだから、ぼくの目はすっかりと緑のパッチワークの色眼鏡に覆われてしまったようだ。それだけに、差し込み始めた日の光に誘発され、山並みの重なり目の谷間から立ち昇る蒸気が織りなすベールの白さに目が奪われる。上へ上へと昇りゆくまだ雲とも言えぬその白いベールの動きに焦点を合わせていると、その先に、青空が広がった。空を感じ、気持ちも、広がった。そして、そのままに、意識は山の丘陵線を超えていき、その先の青空の下に広がる海のたゆやかさを感じ、気持ちが高ぶった(サーフボードを車に載せていますからね)。


この道はずいぶんと山際を走っていくものだから、谷向こうに眺めていた昨日よりもはるか近くに木々の様子を感じられる。昨日、あれだけ、しとしとまじまじと山を見つめて塗り上げた緑のパッチワークの色眼鏡に、さまざまな緑の構成要素のディテールがさらに描き込まれていく。いつも同じ道を走っているというのに、今朝はその眼鏡のおかげで、これまでは見えていなかった木々が織りなす細部の輪郭線が立ち上がり、はっきりと目に飛び込んでくる。道の左側からは、新緑の葉をつけた桜やイチョウ、モミジ、楓などの街路樹たちがその枝を道の上に大きく広げている。今朝のその枝は、雨に濡れた重みの分だけ垂れ下がり、道の上に大きく覆い被さっている。車はその緑のトンネルの下をかすめ、走っていく。フロントガラスに次々と映し出されては頭越しに消えていくその葉っぱたち。太陽の光に葉脈は透かされ、輪郭線は光輝く線に縁取られている。楕円状に丸みがかったもの、深く切り込みが入ったもの、ギザギザのもの、さまざまな形の葉っぱたちの下をかすめ、車は走っていく。まるで、縁日の屋台にずらりと垂れ下がった幾つもの風鈴の下を駆け抜けていくかのように、垂れ下がった枝の葉の一群を通り過ぎるたびに、異なる形状の葉っぱの輪郭線ごとの音が次々とかき鳴らされていく。四万十川に広がる空に、リンリン、シャラシャラ、と音が舞い上がっていく。





自分も声や楽器を使って音を出す時に、その輪郭線を見ているのだなと気付いた。一音に対して、どれだけの音圧をかけることで、どのように音の波紋が広がっていくかを意識して音を出す。そして、音の波紋の縁、つまりは音の輪郭線がどのように外の空間に消え去っていくのだろうかと、音の消えざまを見つめている。うん、これも、「接点と空間」との関係だ。


「葉っぱ」から「音」へ

今朝も、意識の飛躍のジャンプ起こりました




つねづね、手作りの暮らしは素晴らしいと公言しているのだが、それは、手を使うことで、経験としての学びがあるから。それは、知識や情報だけの学びとは全く違う。しかし、「手を使って」と言っても、手をまったく動かさずにその日一日を過ごしている人はいないと思う。みんな何かしら手を動かして日々暮らしている。けど、ある決定的な違いがある。手を動かしている司令部がどこにあるのだろうか。自分の頭からの指令なのか、他人の頭、はたまた組織や社会、すでにある情報からの指令なのか。手作りの暮らしとは、自分の頭の閃きと手の動きを継なげる回路を双方向に構築していくための環境である。頭も、手も、そして、それらを継なぐ回路も、やっぱり日々使っていないと鈍ってしまいますからね(では、「閃き」はどこから来ているのだろうと思うけど、その話は長くなりそうなので、またいつか考えてみます)。「暮らし」と設定しなくても、そういった環境を日々の中で増やしていけたらなと思う。ここで「手」とはある意味で「五感」を総称する意味でのことばだが、自分の五感を使ってこその、気づきがあると思う。ぼくの手には、棚を削った確かな感触が残っている。ぼくの目には、しばし山を見つめた緑のパターンが転写されている。ぼくの耳には、葉っぱが奏でる音の輪郭線が響いている。外の世界に散りばめられた情報が、経験として変換され、自身の体の内に蓄積されていく。その経験が礎となって、さらなる世界への気づきを与えてくれる、意識の飛躍のジャンプが起きる。


ここまできたら、自分と外の世界との接点はどこにあるのか、考えてみよう。外の世界の情報は、五感が窓口となって体の内に入ってくる。その結果として、ザワザワ、ムズムズ、チリチリと、様々な感覚が体の内に沸き起こる。そして、その感覚一つ一つに「気持ちいいな・気持ちよくないな」と、こころが反応をしている。なるほど、外の世界とこころの接点は「感覚」の部分にあるのかもしれない。ということは、外の世界とこころの両者を知るための場所は感覚という接点にあり、両者の調和をとるための場所も、ここにあるのかもしれない。



ザワザワ、ムズムズ、チリチリ

わたしの内と外の世界が合わさった

接点の響き





いいですか、


わたしは、今からまったくに整然としていない連なりの文章を書きますよ


整えて整えて、やっとこさ、整然としていないことを、人様の前に並べる準備ができたのです


それがわたしの日常ですから、それがわたしの思考なのですから……




と、思って書き出しましたが、いざ、書いて、どれどれ、と読み返してみれば

まあまあ、整然としているのかもしれない、と思ってみたり、みなかったり


まあ、それもよいや、整然としていても、していなくても

どっちでもいいや、と思えるようになったのが

わたしの思う「準備ができた」という証です


これが、わたしです





さまざまな命が、さまざまな動きで、さまざまな接点を持って活動しているのだから、

それが一斉に沸き起こる時には、整然としていないのは当たり前で、

しかし、各自の有機的な動きは、それぞれが心地よい状態を創り出す方向へと向かっていき、調和を生み出す

けれど、時間の経過とともに、また新たな動きが絶対的に加わっていくものだから、一度生み出された調和は崩れて、また新たな調和を創ろうとする


ただ、ただ、その繰り返し


ただ、ただ、その繰り返しが、

ただ、ただ、繰り返されていくのだから、

その営み自体が、大きな、大きな、調和なのかもしれない


なるほど、「どっちでもいいや」の根拠はここからきているのか……

(かくして、わたしの「どっちでもいいや」は、根拠ある「どっちでもいいや」となりました。)


そんなこんなが、

今月、野山に開かれていたページに書かれていたことです。

のらりくらりと野良暮らしから学んでいます。





プロフィール


佐々琢哉(ささ・たくや) 1979年、東京生まれ。世界60カ国以上の旅の暮らしから、料理、音楽、靴づくりなど、さまざま なことを学ぶ。 2013年より、高知県四万十川のほとり、だんだん畑の上に建つ古民家に移住し、より土地に根ざした自給自足を志す暮らしをはじめる。全国各地で不定期にローフードレストラン「TABI食堂」 や音楽会を開催。TABIは、中米を1年間一緒に旅した馬の名前。 2016年にローフードのレシピと旅のエッセイ本『ささたくやサラダの本』(エムエム・ブックス)を刊行。



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