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  • 執筆者の写真Saudade Books

追悼 アルフレッド・アルテアーガ(浅野佳代)

更新日:2019年10月19日



本稿は『アルフレッド・アルテアーガ+高良勉 詩選』(サウダージ・ブックス、2009年)の「あとがきにかえて」を再録したものです。





またひとつ、輝かしい生命(いのち)のタペストリー紋様が、詩の旅の果てに完成された。


織り糸の色は、赤と黒でなくてはならない。ハートに生き、ハートに死ぬ者の宿命として。赤は血の色、火、生命のしぶき、太陽。黒は歴史の文字、闇、存在の深み、無限の可能性。血塗られた赤の縦糸と、歴史の黒で染められた横糸で編まれた美しいタペストリーのうえに、チカーノ(メキシコ系アメリカ人)の詩人アルフレッド・アルテアーガさんはいた。色と色の十字路で、かれが自分を見失うことはなかった。目にみえない赤い縦糸と黒い横糸がかれの肉体をつらぬくのを、生と死の織りなす世界のふるえを、詩人はその繊細なハートで感じていた。身にまとわりついた黒き憂いの網の目のなかに、赤く燃え上がる命の歓びを抱きしめながら。


その糸をたぐり寄せるようにして、タぺストリーの十字路でわたしたちは出会った。西の路地から、東の路地から、海をこえて。アイヌ民族の北の大地を目指し、源流の泉から河口まで、詩のことばをたよりに聖なる水の道をたどる旅をともにした。同じ野の匂いを嗅ぎ分けた。知恵ある黒熊のような詩人のなかに、わたしは太陽をみた。詩人はわたしのなかに、かごのなかで押し黙る鳥をみた。いちどは自分で自分の舌をきりとった小さな鳥。人は「歌え」と命じたけれど、息苦しい路地裏の灰色の空の下で歌うことなど、とうていできはしなかった。


せめて、さんさんと降り注ぐ太陽があったならば!


小鳥はいつも太陽を憧れ、夢見ていた。アステカ神話の北の冥界、ミクトランから昇るまあるい太陽は、何も聞かずに優しく、哀しみに暮れるわたしのエーテルをそっとあたためた。


琉球詩人の高良勉さんも、南の島からこの十字路へやってきた。アルフレッドさんとは、別の「シマ」の歴史に生まれながら、血を分け合う兄弟のような勉さん。一人はロサンジェルスの「バリオ」(北米でメキシコ系の人びとの暮らす路地の町)に生まれ育ち、もう一人は「バガスマ」(琉球弧の言葉で「我が島」)に生まれ、そこから別々に旅立ち、北の大地でふたりは出会った。シャーマンのような鋭い眼光の奥に愛の泪をひめもつその人は、太陽(ティーダ)と月の神の化身となり、闇の道行きを優しく照らし出すのだった。赤と黒の糸で、存在の痛みと喜びを織りあげるわたしたちの道行きを。


友よ、いっしょにがんばろう。これからもがんばって生きていこう。


アルフレッドさんが逝ってちょうど一年。ひとあし先にミクトランの地に歩みを進めたかれを懐かしもうと再会した夜、勉さんは多くを語らず、わたしにそう言った。同じ匂いを確かめるように杯を交わし、夜遅くまで島の歌をうたった。目の奥の泉にきらりと宿る光は、内なる太陽にまっすぐつながっていた。大地に染み込んだ先祖たちの熱い血を、詩人は足底から心臓に汲み上げていた。そのハート、そのまなざしは、アルフレッドさんと同じ光、同じあたたかさをもっていた。そして同じ憂い、哀しみの深さも。


血塗られた赤の縦糸と、歴史の黒で染められた横糸で編まれたタペストリー。それはアルフレッドさんが完成させた生命(いのち)の紋様。わたしは想う。その独特の図柄は、まるで黒い灰から赤く燃え立つ、震えるフェニックスのよう。その縁から伸びる糸を指先につないで、いまも島々を渡る勉さんが別の詩のことばで別の紋様を織りつづけている。大いなる生命(いのち))のタペストリーは、こんなふうにして、編み上げられ、一つの紋様が完成され、別の存在によって引き継がれ、またあらたな図柄が織りこまれていく。小さな詩の本になったその紋様の色と輝きにみとれながら、わたしにも、わたしたちにも糸が手渡されたことを知る。


長いあいだ狭い路地裏で息を潜めながら身震いしていたわたしは、ふたつの太陽の光にふれて、生まれて初めてふぅーっとお腹のそこから呼吸をした。その熱はからだに深くしみこんで、真黒な闇が本当はあたたかいことを知った。哀しみの空は晴れない。けれども今なら、太陽が隠れれば、わたしはひとり、じぶんのハートの鼓動にじっと耳をすませる。そしてそれが、目に見えない赤い縦糸と黒い横糸で綾どられた大いなる世界のふるえの音でもあることに気づく。その糸をつうじて、わたしは懐かしいあの人に、こんどはわたしのことばで呼びかけようと思う。



プロフィール


浅野佳代(あさの・かよ) 瞑想と文筆。サウダージ・ブックス代表。



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