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  • 執筆者の写真Saudade Books

アイルランドを旅して(浅野佳代)

更新日:2019年10月19日



本稿は『マイケル・ハートネット+川満信一 詩選』(サウダージ・ブックス、2009年)の初版限定付録のテキストを再録したものです。



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この夏(2009年)、『マイケル・ハートネット+川満信一 詩選』をもって、アイルランドを10日ほど旅しました。今回の旅のおもな目的は、ケルトの聖地や古代遺跡を巡礼すること。むかしイギリス軍とカトリック系のIRA、プロテスタント系の組織の紛争がつづいた北アイルランドにも入りました。別にこわいということはなくて、出会う人びとの印象はむしろおだやかで、島のなかの国境をこえて変化することといえば、通貨の単位がユーロからポンドに変わることくらいかな。





アイルランドでは、島のいちばん北で、ジャイアンツ・コーズウェイを訪問したのが印象深いです。火山活動で何万もの六角形の石柱群が生まれたらしいのだけど、そこに北海の荒々しい波が打ち寄せる様子は、とてもこの世のものとは思われない神秘的な風景だった。それから、西の海岸沿いをずっと南下して、ホーリーアイランドという、ふるい修道院の廃墟の残る小さな無人島にも渡りました。小舟を出してくれたのは、ハンチング帽をかぶる漁師さん。逞しく陽に焼けたものしずかな顔つきが、忘れられません。途中、アイルランドの詩人ハートネットの生まれ故郷であるリムリック州も、通り過ぎました。






島の東西南北をぐるりとめぐって、アイルランドの大いなる自然の力を感じたあとに、曇り空のダブリンにひとりでやってきたわけです。もちろん、ダブリン時代のハートネットの足跡を訪ねるために。それまでのアイルランド体験とはまったく対称的な、緑のない都会の風景やひしめきあう建物や人びとのすがた、道路をひっきりなしに行き交う二階建てのバスや車の騒音に、かなり戸惑いましたね。泊まるところは、アイルランド最古の大学、トリニティ・カレッジの宿舎。大学の石畳の玉石の道をごろごろとスーツケースをひぱって歩き、石造りの宿舎の二階に重い荷物を苦労して運んで。ちいさな窓とベッドだけしかない宿舎の部屋は、暗くてひどくさびしい感じがした。学生たちが、ただひたすら勉強をして、寝るためだけに作られたような空間なのかな……。隣りや階下で、扉がばたんと閉まる音が響くたびに、なんだか身がすくむ思いがしました。






アイルランドの歴史には、ヴァイキングの襲来やイギリスの植民地支配もあったし、飢饉もあったし、宗教紛争もあった。それでも田舎には、見渡すかぎり広がる平原のなかに時が止まったような平和がみちあふれているんですね。それに比べると、そういう過去の暗い側面をのこすダブリンにはやっぱり独特の悲哀やメランコリーの気分がただよっていて、都市が背負う運命に言いようのないさびしさを感じながら、わたしは宿のベッドの上で、もってきた『詩選』を読みはじめました。


いい本だな、と素直に思いましたよ。アイルランドや沖縄のほんとうに大変な歴史を、それでも忍耐強く生き抜いてきた力がここにはある。二人の群島詩人の詩のことばに、深い敬意を感じました。ハートネットの詩のことばからは、かれの人生というか、かれの生身の声がしみだしてくるようです。たくみな文学的な表現の裏には、ただ美しいだけでもきれいなだけでもない、人間のどうしようもなさとか愚かさ、そこからやってくる悲哀がいつも響いています。そして英語の語りの背後には、忘れられたゲール語がこだましています。ハートネットがゲール語で書いた作品「私は舌」に、とくに胸を打たれました。


 だが私は淫らな舌だ 

 反‐アイルランド国(フリッヒ・エレナッハ)の暴力的なアングロ主義の

 かけらからはできていない舌だ。

 私は時流の召使女ではない

 うぬぼれた信者(クリスティー)でもない

 私はパブにこだまする呪いであり邪悪な言葉だ

 私は魂の叫びであり、美しく歪んだ旋律だ。

  ——マイケル・ハートネット「私は舌」(今福龍太訳)


「淫らな舌」で、それでも歌いつづけるハートネットの、時代に抵抗して生き抜こうとする情熱。こういう意志の強さって、大国や支配者の側に生きる人間が決してもちえないものだと思います。アイルランドの島自体にも、おなじ意志の強さを感じます。街のあちこちに、英語だけではなくケルト文字やゲール語がいまも残されていて、そういうものが、いくつもの困難な時代をくぐりぬけてきた無言の民の意志のようなものを、わたしたちの無意識に語りかけてくるんですね。


そして、そうした島自体が語りかけてくる何かを文学のことばでわたしたちに伝える役割を引受けたのが、たぶんハートネットや川満さんなのだと思います。それは誰でもできることではないし、死者たちの想いをふくめた島自体の声を自分の舌のせることは、肩にいろいろなものがのしかかってくる大変な営みなんでしょう。とても正気ではいられないし、時には酒の力を借りて酔わなければ、詩のことばを紡ぎだすことができないのかもしれません。かれらのハートは忍耐強く、それでいてか弱く繊細です。ハートネットならダブリンのパブで、川満さんなら那覇の居酒屋で一杯のお酒と引き換えに歌うとき、高貴な魂をもちながらもかれらの舌から出てくるのは、ハートネットの言う「呪いであり邪悪な言葉」なのかもしれませんね。奄美大島、カケロマ島への旅を川満さんとご一緒したとき、わたしも詩人のそんな一面をかいまみました。


一見饒舌にも見えるかれらの作品には、なんというか精神の屈折がものすごく複雑に刻み込まれていて、それは、英語とゲール語のバイリンガリズムとか、日本語と沖縄・宮古方言の多重性とか、そんな口あたりのいい学問的な表現であらわされるものじゃない。かれらの詩は、いろいろなことばを上手に操るものでは全然ない。それは、自分のことばが「呪い」であることを深く自覚しながら、美しい文学や詩の言語の内側で、どこか滑稽でゆがんだメロディを歌わでないではいられない、二人に共通する道化の精神からきているんだと思う。川満さんは、こう言っています。「詩人などという悪趣味を生きるのは狂人に限りなく近い存在でしかない」。そして沖縄から、遠いアイルランドのハートネットにこう呼びかけていました。普通の詩人にはちょっと書けない、すばらしい詩のことばです。


 舌は切られたが 残った舌 血まみれで

 斬り返す つばめ返しの サウダージ

 その切ない抗いが ぼくを震わせる

 あなたの親は

 どういう謂れで あなたの名をつけたのだ

 Mはまごころ ハートは愛 ネットは網

 あなたの詩の まごころの愛の網にからまり

 ぼくもまた ぎくしゃくと謡いだす

 一羽のナイチンゲールだ

  ——川満信一「M・ハートネットへのオマージュ」


ダブリン滞在の次の日の朝、わたしは旅の最後に、ハートネットが後半生をすごしたダブリン郊外の街、インシュコーアをたずねました。『詩選』の年譜、1980年代初頭の項目をみると、こうあります。「この頃から、重篤なアルコール依存症が執筆と私生活に深刻な影を落とす。……家族生活は破綻し、ダブリン近郊インシュコーアへ単身移住」。そして川沿いこの街で、ハートネットは英語による俳句づくりに没頭したといいます。





ダブリンからは、LUASという路面電車で15分もかからない距離です。駅から、労働者や中流階級の人びとの暮らす質素な平屋の住宅の並ぶ道を、わたしはとぼとぼと歩きました。路上に、人影はありません。パブは、一軒しかありません。ここもまた、さびしい土地でした。街の唯一の観光地が、「刑務所」というのも、なんだかね……。この石造りのいかにも陰鬱な灰色の建物のなかで、かつてアイルランド独立のために蜂起した人びとが虐殺されました。わたしは刑務所内のティールームで、紅茶と甘いタルトを注文しました。どういうわけか、このタルトは、不思議な甘さもほろ苦さもあり、今回のアイルランドの旅でいちばん美味しいと心に残ったお菓子でした。





刑務所にいつまでも長居するわけにもいかないし、しばらくして駅に向かう道をもどりました。ハートネットがすんでいたのはこんな家だろうか、いったい何度この道を歩いたのだろう、といろいろ空想しながら。あいかわらず路上には人の姿はありません。街の背後には、広大な平原があって、むこうにはちいさな山々がそびえていて、川が流れていて、動物たちが走り回っています。人間の歴史を感じさせるものが何もない、しずかな空間が広がっています。何もないことの豊かさ、今回のアイルランドへの旅でいちばん感じたのは、そのことかな。ハートネットも川満さんも、人間の喧騒に満ちた都会のパブや居酒屋で日々酔っぱらわないではいられないわけだけど、詩人たちはその繊細なハートの奥深いところで、あのしずけさと真っすぐにつながっていることを、わたしは知りました。



プロフィール


浅野佳代(あさの・かよ) 瞑想と文筆。サウダージ・ブックス代表。



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