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  • 執筆者の写真Saudade Books

台湾新世代詩について(劉怡臻)



「アジアの群島詩人」を紹介する特集。台湾の詩人印卡、楊智傑の作品の翻訳者、劉怡臻のエッセイです。



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近年、新世代の台湾詩人として鯨向海(ジン・シャンハイ、1976〜)、楊佳嫻(ヤン・ジアシェン、1978〜)、騷夏(サオ・シア、1978〜)の作品(註1)が日本に紹介されている。鯨向海の詩集『Aな夢』の日本語版(註2)の刊行を記念して、2019年1月、東京で台湾現代詩ワークショップ第7回「台湾詩新世代——現在詩と性の表象」が開かれた。SNSによる詩のブームがあり、社会運動や社会問題への関心が高まる台湾では若手世代の詩人が活躍している。その中から、筆者とほぼ同じ世代の詩人印卡(イン・カー)と楊智傑(ヤン・ジージェ)の作品をここに取り上げる。


文学、芸術の評論と詩を両方書いている印卡は2019年、4冊目の詩集『一座星系的幾何』(「一つの星座の幾何」、逗點文創結社)を出版した。これまでの作品に見られた技法への追求傾向は今回の詩集にはそれほど強く見られない。この10年間の作品を収録することを編集方針にしており、社会傾向や実験的な手法を備えるいくつかの詩を除いて、比較的日常生活を題材にする作品が多い。主題を絞った著作ではないので、全体性が見えにくくなっていると詩人がインタビューの中で話しているが、この詩集は実は大きな背景を浮き彫りにしている。それが何かと言うと、21世紀、詩歌がSNSや携帯などの新しい生活形式の変化によって全く更新されたということである。


台湾詩人が使いこなしている詩歌の表徴は象徴主義式の言語が支配的になっている、と印卡は考えている。このことに対する危機感から、自分の作品の中ではなるべく詩言語の多様性を切り開きたいと願っていると彼は言う。


詩集『一座星系的幾何』(一つの星座の幾何)には、そのような願望がうまく実現されている。さらに、スマートフォンの登場で大きく変わった現代人の生活をリアルに表現している。写真を撮ったり、テキストを書いたりすることもできるので、スマートフォンには詩人の「詩心」が宿っているのではないかと印卡は諧謔的に語る。


いつでもどこでもインターネットにアクセスできる環境の中で、情報は常に国境をこえて広がっている。人は世界につながる感覚の中で、必要な情報を必要なだけ取得することができる。見たいものを全て見ることができるようなったようにも思えるが、しかしそこでは、実は見えないものが取り残されているのである。このようなものをいかに詩という容器に盛るのか、印卡はチャレンジしている。


2人目の詩人楊智傑は、印卡と同じく社会運動や社会問題を題材に作品を書く一方で、詩というものや、人という存在を思索的に表現してきた。2019年に刊行された『小寧(ショウニン)』(寶瓶文化社)は台湾の歴史の時間軸に沿って、大きな時代が個人の生命の経歴にいかに刻印されているのかをテーマにする詩集である。「小寧」は女性の名前であるが、理想としての存在であり、詩集の中では常に呼びかけの対象にもなっている。詩集全体は「告別」「長い夜」「私たちの国ができるまで」「存在している抱擁」「次に来る音楽祭」「雨に恵まれる小さな町」という6章に分けられて、モノローグやダイアローグあるいは書簡体によって詩人は「声」を多面的に発している。「起き上がると、全世界と対抗する」という句に象徴されるように、抒情を武器に暴力に対抗しようとするのが、この詩集の核でもある。


「火のなかで——鄭南榕を偲ぶ」という1篇は、言論の自由を主張するため、焼身自殺した台湾の雑誌「自由時代」の編集長鄭南榕(てい・なんよう)(註3)を偲ぶものである。戒厳令下の台湾で検閲制度と対峙しながら、雑誌を出し続けた鄭南榕は戒厳令を解除すべくデモを起こし、群衆の力で当局に圧力をかけた。戒厳令が解除された後、228平和デー促進会を設立、台湾新国家運動を発起した。そのため反乱罪の嫌疑をかけられたが、逮捕されることを拒絶し、編集室に閉じこもり、やがて焼身自殺した。2016年になって、鄭南榕を記念して、4月7日は台湾の「言論の自由の日」として定められるようになる。


過去の歴史にたどり着くことは容易いことではない。とりわけ台湾という場所には政権が変わるたびに、その困難や葛藤がつきまとう。戒厳令は1987年に解除された。そのとき、詩人はまだ2歳ぐらいだっただろう。おそらく鄭南榕のことについて、台湾の民主化に関連する歴史について知りはじめたのは、ずいぶん後のことではないかと思われる。


近年、台湾では社会運動や政治状況などに関心が高まっている。しかし、「現在」および「現在の私たち」だけではなく、常に「過去」および「過去の他者」にも目を向けることが極めて大事であろう。ひまわり学生運動など一連の社会事件を経験してきた同時代の人々をモチーフとして、緻密な詩篇の構造と余韻を残す表現が詩集『小寧』の特徴だと言える。大きな時代の流れの中で、生きていくことの難しさを引き受けながら、詩集の語り手としての「わたし」が「小寧」に対して呼びかけることで、恨み、恐怖、痛みとともにある人生の姿が鮮明に描かれる。


物質世界に対する思索、感覚体験上の限界や、存在としての人間の可能性を描き出そうとする詩人として、印卡と楊智傑の作品はそれぞれ、いくつもの「空間」と「時間」とがせめぎ合う中で、台湾の詩の「現在」を照らし出す鏡となっているのだろう。



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註1 『現代詩手帖』2019年5月号「台湾、現在進行形」に3人の作品の翻訳が紹介されている。http://www.shichosha.co.jp/gendaishitecho/item_2341.html

註2 及川茜訳、思潮社、2018年。http://www.shichosha.co.jp/newrelease/item_2189.html

註3 詳しくは下記のウェブサイトを参照。



プロフィール


劉怡臻 (リュウ・イチェン) 1984年台湾台中生まれ。 明治大学教養デザイン研究科博士後期課程。執筆に日本語論文「植民地台湾における啄木短歌の受容について」(『世界は啄木短歌をどう受容したか』所収、桜出版、2019年)、翻訳に高村光太郎「日本詩歌の特質」(『智恵子抄』収録、麦田出版社、2019年)。そのほか台湾文芸誌『幼獅文芸』連載「日本ニュース」(2017年3月〜2018年12月)および『圏外』連載「日語万華鏡」(2018年7月〜現在)、翻訳に詩人・高良勉のフィリピン詩篇「タウイタウイ」および解説の執筆に「『 』の境界とは何か」(『幼獅文芸』特集「沖縄往復」、2018年12月)など。





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