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Our Poetry(1)



アサノタカオ





『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』のこと



市街地にこんもりとそびえる森の中に入り、いびつなジグザグを描く幅の狭いコンクリートの階段を、頂上を目指して一段一段踏みしめてゆく。島の季節は冬なのに、両脇に茂る緑にはまだいきおいがあった。しばらくのぼったところで、ふと足をとめてみた。高速道路を走る車の騒音がだいぶしずかになり、木々の枝や葉っぱをふるわせる風の音、そして三種類ぐらいの野鳥の鳴き声が聞こえてくる。


ここは、知花グスク――沖縄の由緒ある城跡であり、神さまを拝む聖地でもある。やっと、来ることができた。ここに来ることを、十年以上思いつづけてきたのだった。


一足先に頂上の展望台にあがった同行者が、額に手をかざしてつぶやいている。「ここからなら、東シナ海も、太平洋もみえるよ」。ぐるりと一望すると、一方の海のほうには米軍基地があり、もう一方には島の人びとの暮らす町があった。ずっとむこうには、緑の山もみえた。


そうか、そうだったんだ、とひとり納得する。詩人は、人生の最期に、どうしてもこの風景をみておきたかったのにちがいない。二つの海と、沖縄のすべてをまるごとだきしめてから、「カコクナ イシ」を奮いたたせ、「コチラガワ」へと旅立っていったのだろうか。ぼくはリュックサックから一冊の本を取り出して、大きく息をついた。 





26歳。沖縄の詩人、中屋幸吉が自ら命を絶った年齢だ。それは、1966年、知花グスクでのことだった。『名前よ立って歩け』という、1968年に刊行されたかれの遺稿集に出会ったのは、2001年のブラジルでのことだった。偶然にも、そのときぼくは26歳で、何か宿命のようなものを感じた。


ブラジル滞在二年目のぼくは、サンパウロのある研究所に見習い研究生として属しながら、日系移民の聞き書き調査をつづけていた。そして、研究所に隣接する移民史料館の書庫のなかで、たまたまこの中屋幸吉の本をみつけたのである。移民とともに、書物もまたブラジルへ移り住んだのだろう。ちょうどそのころ、戦後沖縄からブラジルへ移住したY村出身の古老のもとへ足繁く通っていたので、「沖縄戦後世代の軌跡」という『名前よ立って歩け』の副題に、目が引きつけられたのかもしれない。一読して、たちまち、かれの詩に夢中になった。

 

私の名前を

小川の緑の草むらにひろげ

青空のような安心

とあそびにたわむれたい


にかよった水のながれ

いつもの通り

あくびしながらながれている

この空は

もうだれのものでもなくなった


私のすがたを残したまま

名前が後へあとへ流れてゆく

名前は

さようならと言っている

  ――中屋幸吉「名前よ立って歩け」より


ひらがなを多用するかれの詩は、何の抵抗もなくすんなりとからだにしみこんでくる。けれども、ひとつひとつの詩のことばを吟味すると、作品を理解するのはむずかしい。「名前が後へあとへ流れてゆく」って、どういうことなんだろう? のんびりした牧歌的な風景に重ねられる、かぎりない憧れと底なしのさびしさの気分。簡単にことばにできない、感情の深み。ああ、いい詩だな。ほんものの文学に出会った感動を、ぼくは異国の地で噛みしめたのだった。


あれから何年もたって、ぼくはサウダージ・ブックスという小さな出版をはじめた。そして「叢書 群島詩人の十字路」という、沖縄の詩人を中心に世界の島々やちいさな土地の文学を紹介する詩の本のシリーズをはじめた。


一冊目は、沖縄の詩人・高良勉とチカーノ(メキシコ系アメリカ人)の詩人アルフレッド・アルテアーガの共著。二冊目は、宮古島出身の詩人思想家・川満信一と、アイルランドの詩人マイケル・ハートネット。そして2012年の年末に、叢書の三冊目として、ジット・プミサクと中屋幸吉の詩選を刊行した。


編者をお願いするのは、八巻美恵さん以外に考えられなかった。八巻さんと会ったのは、ちょうど十年前のことだ。奄美の沖永良部島、ものすごい台風のあとだった。八巻さんが、水牛楽団の活動に参加して月刊のミニコミ「水牛通信」を編集し、そしていまはインターネット上の電子図書館「青空文庫」にかかわりながら、本作りの仕事をしていることは知っていた。けれども、東京で会うたびに島の焼酎がいかにおいしいかを熱心に語りあうことはあっても、八巻さんとは長いあいだ音楽や文学の話をしなかった。なんとなく、照れくさいような気がした。


水牛楽団のレパートリーのひとつに、中屋幸吉の詩に曲をつけた歌があった。そしてかれらの活動の根っこにあるのが、時の独裁政権にたちむかい、「生きるための芸術」と呼ばれる文学作品を数多くのこしたタイの詩人、ジット・プミサクの歌だった。調べてみたら、このふたりの才能あふれる詩人は、偶然にも同じ年に亡くなっている。激動の時代の、1966年。アジアの一角で「世直し」の情熱に燃え、若くして逝ったタイの詩人と沖縄の詩人の共著の本を、現代の「青春詩篇」としてよみがえらせよう。恋をして、理想を夢見て、音楽を愛し、友だちのことが大好きで、大いに笑って大いに泣いた、詩人たちの声がこだましあう本として。最初の出会いから十年の時間をへだてて、八巻さんと詩の話をすることに、もう迷いはなかった。





知花グスクの展望台のわきの茂みには、拝所(うがんじょ)があり、ちいさな石の祠があった。いつのまにか空には灰色の雲がかかって、雨でもふりだしそうな気配がただよいはじめる。遠くで米軍のヘリがけたたましい音を鳴らして急旋回するのが見えたが、「あれはさ、米軍住宅のある地区の上空を避けてるから変な飛び方をするんだよね」と沖縄の友人がぼそっと言っていたのを思い出し、やりきれない気持ちになった。


祠のまえの落葉を払って、刷り上がったばかりの『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』の見本と、コンビニで買ってきたオリオンビールを置いて、もうこの世にいない詩人たちの魂にむかって、手を合わせた。いつか、大好きな詩人・中屋幸吉の本をつくって、知花グスクにお参りをしたい。本ができあがったら、誰よりもどこよりも早く、この場所に届けたかった。その念願が、ついに叶ったのである。


缶ビールのプルタブを引いて、土地の神さまにささげるつもりで、ほんのすこし中身を地面に注ぐ。カシャッサ(火酒)をのむ前にはかならず一滴、二滴床に滴らせ、神さまや精霊に敬意を捧げる。ぼくがブラジルの酒場でおぼえた、粋な風習だ。のこりのビールは、二人の詩人を勝手に代表させていただき、グイッとのみほした。


海から海へと吹き渡る風をとおすように、本のページを一枚一枚、ゆっくりとひらいていった。遠い国タイに、ぼくは想いをはせた。そして、海を介してつながるすべての島々からきこえる歌に、じっと耳をすませた。心の深いところで小さな鈴がゆれて、詩の時間が流れだす。







編集部註

本稿はウェブマガジン「水牛」2013年2月号より転載しました。



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