top of page
  • 執筆者の写真Saudade Books

詩のリレー連載 食べることは歌うこと #10(青山ゆみこ)

更新日:2019年10月19日



「食」にかかわるさまざまな仕事をする人に、「食べること」をテーマに詩やエッセイを寄せてもらいます。



.





カツ丼の領収書。


フリーランスになって以来、お正月を過ぎる頃になると、毎年、漬物石のようにずしりと重たくのしかかる案件がある。確定申告だ。


とにもかくにも、一年分の領収書は一箇所にまとめておくのだが、用途別にファイリングなどするわけもないので、まずは用途別に仕分けることから始めることになるのだが、これがちまちまと実に面倒な作業なのだ。


組織を動かしているのは人事と経理。


いつぞやかに大企業の経理課長補佐を務めていた知人からそんなことを耳にしたことがあるけれど、わたしのしょぼい領収書の束を見返すだけで、自分が何月何日にどこにいて、何をしていたかが手に取るように浮かぶ。


数字というのは実に正直だ。そして揺るぎない。


いちいち思い出してもほとんどの思い出に意味がなく、まったりしている暇もないので、その日も、えいやと取りかかり始めて無心に領収書の割り振りをしていたが、とある束で心が乱れた。


それは前年の1月の領収書の束だった。


そごう百貨店でやたらと高めの惣菜を買ったり、タクシーを頻繁に利用したり、普段はほとんど利用することのないタリーズのコーヒーを毎日飲んでいる(そもそもわたしはコーヒーが好きではない)。


ちょうど母が入院していた時のものだと思い当たる。


結果的に最後の入院となったその時期、わたしは毎日、曲げわっぱのお弁当箱を抱ええて病室に通っていた。


ふくよかな頬がそげたように骨ばって、めっきり食の衰えた母が少しでも口にできるものがあればと、食べたいものを聞いて作ったおかずや、京都育ちの母の好きそうな百貨店の和食の惣菜や、なだ万のスープ。その日に何が食べられるか食べたいか分からないけれど、病院の素っ気ない食器ではなく、木の香りに包まれたお弁当箱にあれこれ詰まっているのを目にすると、少し頬が染まるような気もした。


また、ほとんど楽しみのない入院生活のなかで、わたしと一緒にコーヒーを飲む時間を楽しみにしてくれたので、病院内にあるタリーズで2人分のコーヒーを買って、病室で話をしながら飲んだ。


母はコーヒーの味よりも、「娘とお茶を飲む」ことに喜びを感じてくれていたようだ。あまりにささいな楽しみであることに、思い出すと胸が苦しくなるのだが。


その領収書のなかに1月31日、病院併設のレストランで発行されたものがあった。印字を見るとカツ丼を食べている。カツ丼だぜ。自分で目にして、思わず笑ってしまう。


その時のことはとてもよく覚えている。母の弟が、京都から駆けつけてくれて、その叔父と二人でレストランに行ったのだ。


前日に、主治医の先生に呼ばれて、会いたい方がおられたら今のうちに、という状況で、いちばん仲の良い姉である母に、叔父が会いに来た日だったのだ。


その頃には兄と弟のわたしたちきょうだいは、母がもう長くはないことを告げられていたが、最後まで治療を諦めず、自分が死ぬとは思っていなかった母は、息子二人にも気を使い、「私はいいから仕事に行きなさい」と見舞いを断っていたが、駆けつけた弟の顔を見るなり、悲痛な声で名前を叫んで号泣した。


「わたし、こんなになってしまった」。


それは入院以来、初めて目にした母の涙だった。


兄と弟と私は、母には本当のことを伝えないと決めていた。母が治療して回復して退院したあとの暮らしだけを希望に入院生活を耐えていたからだ。母の希望を奪うことは、彼女の生きる気力を削ぐことになるだろう。そのことが怖かった。


医師や看護師も、嘘はつけないけれど、治りますよね、わたしは頑張るから先生お願いします、という母の言葉にうんうんと頷いて、頑張りましょう、でも頑張りすぎたから、少し休めてあげましょうねと答えてくださっていた。


そういうなかで、母が本当はどんなふうに感じていたのか、私には今もわからない。


ただ、叔父の顔を見た瞬間のあの悲鳴のような泣き声を思い出すと、母はどこかで予感していたのだろうとも思うのだ。


今でもあの叫び声はわたしの耳の奥から離れないが、叔父にはもっときつかっただろう。おじちゃん、ごめんなさい。大切なお姉さんをこんな目にあわせてしまって。


あまりに長く話すと疲れるからと、「叔父と二人でレストランに行くから、少し休んだ方がいい」と病室を離れて移動した。母は、そうね。それがいいわと、嬉しそうにわたしたちを病室から送り出した。


移動途中で叔父はトイレに寄り、わたしは先にレストランで席を確保していた。思ったより長い時間叔父は戻らず、ようやく戻ると、石が出たとテーブルの上に小さな固まりをことりと置いた。トイレに行くと、尿道から結石が転がり落ちたそうだ。小さな固まりは叔父の苦しみ悲しみなのだな。言葉が出なかった。


母は中学1年で父を亡くした。当時、末っ子のその叔父はまだ小学校に上がるかどうかの頃だったそうだ。祖母は、早くに病気で夫を亡くし、西陣で帯を織って、一人で姉と弟3人という4人の子どもを育て上げた。末っ子の叔父にとっては、年の離れた姉は母のような存在でもあっただろう。


まったく食欲などないまま、メニューを見て、同様に困惑しているような表情の叔父の顔を眺めているうちに、オーダーを聞きに来た若い可愛らしいウェイトレスさんに私はなぜか「カツ丼」と注文をしていた。


叔父は驚いたように「ゆみちゃん、カツ丼か」。少し考え込んで、「じゃあ俺もカツ丼にするわ」とメニューを畳んだ。


なんだか二人で急に可笑しくなって、私はくすっと笑った。叔父は「カツ丼か、ええな」と大きく笑った。


叔父には、長い間伝えたかった礼をのべた。長くなるので割愛するが、私が文章を書くようになったのは、高校の頃、お盆で帰省した祖母の家の叔父の部屋で、村上春樹の小説に出会ったからでもある。


お風呂上がりにやることもなく、赤と緑の装幀のその上下巻の小説を叔父の部屋からなんとなく持ち出して、読み終わったときは朝日が差し込んでいた。


心が震えたその瞬間に、頭のなかをあるフレーズが流れていた。後になって、その曲が「ノルウェイの森」という曲名であることを知ることになった。


その一連の流れは、わたしにとって特別な読書体験となり、深く胸に刻まれた。


いま文章を書いて生きているわたしの文体の一部は、間違いなく村上春樹作品の影響を受けている。


病院のレストランでカツ丼を食べながら、そのことを叔父にようやく伝えることができたのだ。


叔父は深く黙り込んだ後、そうか、とても嬉しい。ありがとうと繰り返した。


丼に目を戻し、こういうところのカツ丼って美味しくないね。私がそう文句を言うと、叔父がはははと豪快に笑って、そういうもんやなあと、美味しいものを食べたような表情を浮かべた。


病室に戻ると母は寝ていたが、ほどなく起きて、部屋にいる私たち二人の顔を見てとても嬉しそうな笑顔を見せた。二人でご飯を食べてきたよ。そう告げると、良かったわねとまた微笑んだ。


母はその翌日、息を引き取った。


ところで、わたしはなぜ確定申告に関係のない母の入院時の領収書まで置いていたのだろう。習慣って恐ろしい。


あと、叔父の名誉のため(そんな大層なものでもないけど)に言っておくと、カツ丼代は当たり前のように叔父が払おうとしたが、わざわざ京都から駆けつけてくれた叔父からわたしがむしり取って払ったのだった。


叔父には、結局、後からコーヒーをご馳走してもらうことになったのだが。



付記

ときどきボランティアでお邪魔する場所がある。そこでは身体や精神上の障害により、自立して生活できない人たちが共同で暮らしている。日中はさまざまなワークが行われていて、可能な人は自主的に選んだワークに参加する。その一つに農耕作業がある。


神戸という土地柄らしく敷地は山裾から山中に位置し、生い茂る草をむしり、倒れた木を運んで開拓された畑では、冬には大根などの根菜、春から夏には玉葱やトマト、胡瓜、レタス、茄子などがどっさり採れる。農薬は一切使わず、毎日雑草を抜き、溜めておいた雨水をまく。すべてが人の手で行われている。収穫された野菜は形も大きさも不揃いだけど、はっとするほどみずみずしく美味しい。食事にはその野菜が使われる。食費を浮かせる意味もある。


誕生日の昼食には好きな料理がリクエストできて、全員でそれを食べる。普段野菜をよく食べているからか、肉料理が選ばれることが多い。ある日、ビフカツのリクエストがあった。香ばしいカツを一口齧ると、じゅわっと肉の旨みと脂が広がった。牛のこま肉をミルフィーユのように重ねたビフカツだった。採れたての甘酸っぱいトマトとも良く合う。値が張る牛肉を工夫で美味しくしたビフカツに、胸までいっぱいになった。


家で真似てみたが不思議なほど味気なかった。みんなと一緒に誕生日を寿ぎながらいただいたご馳走だから、特別に感じたのだろうか。わたしはあれより美味しいビフカツを、まだ食べられていない。 





プロフィール


青山ゆみこ(あおやま・ゆみこ) 編集者、ライター。兵庫県・神戸市在住。単行本の編集・構成・執筆、インタビューなどを中心に活動。市井の人から、芸人や研究者、作家など幅広い層で1000人超の言葉に耳を傾けてきた。著書に、ホスピスの食の取り組みを取材した『人生最後のご馳走』(幻冬舎)。共著に神戸の震災をテーマにしたインタビュー集『BE KOBE』(ポプラ社)、構成・執筆などに関わった書籍に『老人ホームで生まれた〈とつとつダンス〉』(砂連尾理/著、晶文社)など多数。



最新記事

すべて表示
bottom of page