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  • 執筆者の写真Saudade Books

ぼくらの詩(2)



アサノタカオ





原民喜『幼年画』のことなど



詩人・作家の原民喜の短編小説「貂」の冒頭に、私の好きなこんな場面ある。


「帰り路の屋根の色は青く黒く、灯は黄色だった。「夜、色鉛筆使っても駄目よ、黄色なんか白と間違えるから」と姉の菊子は云う。雄二は、しかし、白と間違ってみたかった。……雄二は赤鉛筆で杏の実をくるくる塗った。が、あんまり勢がよくて遠くまで線がはね出した。すると、これは杏が熟れてゆくしるしだと考えた。大へんいい考えなので、赤い線は四方へ跳ねて行った。雄二は暫く夢中で何が何だかわからない線を引いていた。気がつくと、真白な紙が火事のようになっている。」


小学校入学以前の少年・雄二が、泣いて駄々をこねて母親に色鉛筆を買ってもらい、真っ白い紙に生まれてはじめてその色鉛筆の先を立ててみる。そして、子どもっぽい移ろいやすい心に映ずるものを、次から次へと夢中になって描いてゆく。民喜が自身の幼き日々の記憶をテーマに、生前に目次だてを準備し、単行本として一冊に編むことを夢見ながら、ついに果せなかった短編小説の連作「幼年画」の最初に置かれた作品が、「貂」であった。


冒頭のこの場面を読むたびに、私はある哲学者がこんなことを言っていたのを思い出す——われわれはいま歩くことができるが、赤ん坊の自分がはじめて二本の足で立って、最初の一歩を踏み出した瞬間を思い出すことはできない。同じように、幼い自分の目の前でゆらめく色やかたちが意味をなし、「世界」が立ちあらわれたはじまりの記憶も、そのまま取り戻すことは難しい、と。


自由自在に言葉を使いこなし、目の前の世界について語る能力を手に入れた大人たちが、永遠に奪還することのできない言葉以前の感覚世界を、小説の主人公である雄二はまだ生きている。時計の針を戻すことができない人間の条件ともいえる、宿命的な取り返しのつかなさに耐えながら、なお言葉によって言葉以前の世界へ回帰することを夢見る作家。それが、原民喜だったのではないか。


「幼年画」に収められた作品にふれた多くの読者は、子どもが子どもであった時代にみつめていた純真で瑞々しい世界のあらわれを、民喜が、選び抜かれた詩的言語できわめて正確に再現していることに驚くだろう。


「『夜、色鉛筆使っても駄目よ、黄色なんか白と間違えるから』と姉の菊子は云う。雄二は、しかし、白と間違ってみたかった。」


民喜が、みずからの分身である幼い少年・雄二に託して記した、「間違ってみたかった」というこの表現に出会うたび、私はたまらなく懐かしい何かに再会したような感動を味わい、心のなかで深く大きくうなずく。





2015年8月、サウダージ・ブックスから原民喜『幼年画』を刊行した。


サウダージ・ブックスは、私が主宰する“ひとり出版社”で、神奈川県の海辺で旗揚げした後、流れ流れて現在は瀬戸内海の島とまちを行ったり来たりしながら本作りをしている。出版活動においては「旅」をテーマに掲げ、編集人である私自身は、本の向こう側に広がる未知の風景へ読者を誘う水先案内人でありたいと願っている。その思いは、立ち上げ当時から一貫して変わらない。しかしその時々の人や土地との出会いによって、出版する本のあり方は少しずつ変化していて、最近は「瀬戸内海の文芸復興」というテーマにも取り組んでいる。


いま(2016年当時)、私が暮らしている香川県の豊島とそのとなりにある小豆島は、世界に誇ることのできる「文芸の島々」である。


小豆島からは、不朽の名作『二十四の瞳』の作家・壺井栄をはじめ、プロレタリア文学の詩人の壺井繁治(栄の夫でもある)、小説家の黒島伝治など、近代日本文学史に大きな足跡を残した文学者を三人も輩出している。ちなみに、壺井栄、壺井繁治、黒島伝治は同世代の島の顔なじみで、東京の大学に進学して文学活動や政治活動をおこなう繁治、伝治の後を追うようにして栄が上京したのが1925年。その翌年に、「咳をしても一人」の句で知られる自由律俳句の放浪詩人・尾崎放哉が小豆島の庵に流れ着き、病と貧困のなかで何千もの句を詠み、人生の最期の日々を送った。


小豆郡の一島である豊島では、大正昭和期のキリスト教の作家で社会運動家の賀川豊彦が戦前戦中に一時生活し、農学校や孤児院等の建設など活動の根を残した。大正時代の大ベストセラー青春小説『死線を越えて』は、各国語に翻訳され、近年の調査によると、賀川が1947年と48年のノーベル文学賞候補だったことが明らかにされている。ちなみに、壺井栄が文学に目覚めたのは、賀川が1921年に神戸で組織した三菱造船所の大争議に、友人の誘いで参加したのが一つのきっかけだった。


時代を動かす巨大な力に翻弄されながら、生きづらさにじっと耐える名もなき人びとの声に耳を傾けようとする彼らの文学活動を共通して支えるのは、「世直し」を希求する純粋な情熱だった。そろって19世紀末の日本に生を受けた壺井栄や賀川豊彦たちが必死に生き抜いたのは、加速する近代化の時代であり、つまりは戦争の世紀だった。かれらは自分たちの文学が、暗い時代を生きる人びとの行方を照らす灯りになることを願った。それは、誰もが内側に抱えるさびしさの奥で打ち震えるものを温かく包み込み、勇気づけ、はるか遠くの海から吹き寄せる風のように、時代を超えていまを生きる私たちの心にまで確かに届く。





原民喜は1905年、広島に生まれた。先に挙げた連作小説「幼年画」には、父親に連れられて行った瀬戸内海の宮島への小旅行を描いた作品もある。


知られるように、民喜は若いころから死の想念に取り憑かれ、1924年の上京後に自殺未遂事件も起している。その後、最愛の妻を病気で喪い、妻のために「悲しい美しい一冊の詩集」を残して自らも死のうと考えていたところ、戦中の疎開先の広島で原爆投下に遭遇、みずからも被爆する。あまりにも痛ましい原爆被災の体験から、「夏の花」三部作や「鎮魂歌」などの不朽の名作が生まれた。


「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのために生きよ。僕は僕のなかに嘆きを生きるのか。

 一つの嘆きよ、僕をつらぬけ。無数の嘆きよ、僕をつらぬけ。」


一篇の長編詩とも読める小説「鎮魂歌」の中に刻まれたこうした痛切で壮絶な叫びの声からも感じられるように、民喜のなかにも、世直しの詩人としての純粋で激しい情熱があった。

原民喜の文学は、リルケの長編詩『ドゥイノの悲歌』がそうであるように、本当に大切なものたちの死復活に捧げられている。死者の声に耳を傾け、死者の目で生をみつめることを使命とした詩人・小説家が、現実の人生において妻との死別、原爆の惨劇を体験し、一種独特の祈りの文学を創造したのである。いまはもうこの世にいない、懐かしきものたちに対する作家の祈りが深まれば深まるほど、その言葉にさす死の影はますます深く濃くなってゆく。そして、生きていくうえで喪失と破壊の風景を凝視しつづけることに耐えきれなくなった時、民喜が置き土産のようにして世界に遺そうと考えたのが、かけがえのない幼年時代の風景——少年・雄二を主人公にした、川遊びやお祭り、家庭や小学校でのささやかな出来事の世界だったのである。




 

2015年、広島への原爆投下から70年という節目の年に、原民喜の詩や小説を新しい装いのもとに刊行しようと決心した。出版界を見渡してみると、原爆文学の『夏の花』以外の民喜の作品が、手軽に読むことができる状況ではなかった。


今年の夏の日、広島で民喜の文学的遺産を守る甥の時彦さんのご自宅を訪問し、直接お話しをうかがう機会を得た。戦後まもなく叔父と市街地へ「掘り出し」に行ったこと。その間、ひとことも言葉を交わさなかったこと。一緒に食べたダンゴ汁の味。後日叔父から届いた手紙……。80歳になる時彦さんが追想する原爆投下直後の日々、詩人・民喜との寡黙な道行きをめぐる情景は忘れがたいものだった。


その時彦さんが、昔語りを終えるや否や、「しかし民喜の文学は原爆文学だけではないですよ。戦前に発表した「幼年画」など幻想的な作品のすばらしさも知ってほしい」と、強く語る。


実は、私は原民喜の作品集に関して別の企画を考えていたのだが、これは何かを託されたと直観した。「幼年画」の連作を一巻の小さな本にまとめるというアイデアは、このときの出会いと時彦さんの一言から偶然、生まれたのだった。


時彦さんは、これが叔父の蔵書ですといって、懐かしそうに何冊かの岩波文庫の表紙をなでていた。その表紙には、民喜の自筆のスケッチが描かれている。一見すると、他愛のない子どもの落書き風の線画なのだが、遠い神話の時代からやってきたような気配を漂わせている。不思議な絵だ。それは、色鉛筆ではじめて絵を描いた雄二が「白と間違ってみたかった」と思うその幼い心を、民喜が大人になった後も決して手放さなかったことを証している。


貴重なスケッチのうち、『モウパッサン短篇集 頚飾 他七篇』の表紙に描かれた一枚を、『幼年画』の最後のページに収録している。おそらく、本というかたちで公開されるのは、はじめてのことだろう。民喜の小説とあわせて、ぜひご覧頂きたい。





編集部註

本稿は『三田文学』2016年冬季号より転載しました。




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