• Saudade Books

The Road to Yakushima #5(宮脇慎太郎)

最終更新: 2019年10月19日





episode 5


この原稿を九州、五島列島に向かう客船の中で書いている。半年前の屋久島の旅の意味は、時間が経つにつれ自分の中で大きくなっていた。しかしこうして文章を書いているあいだは、あの時もっと話を聞いておけばよかったとか、もっとこんな写真を撮っておけばよかったとか、とにかく後悔の連続だった気がする。まったく、旅は取り返しがつかない。


2019年3月の終わり、数日後に新元号が発表される年度末、深夜便にもかかわらず博多港発のフェリー太古はほぼ満員だった。数年ぶりに訪れた博多の街は、アジアの巨大な交差点と化していた。道行く人々は一見日本人のように思えるが、話し言葉を聞くとほとんどが韓国人や中華系で、実際フェリーの乗客にも外国人が多い。街の看板は基本的に4か国語表記で、大陸との近さを感じさせる大港湾都市といった趣。発展と言えば発展だが、東京や大阪と同じくある一定の人口を越えると人は否応無く記号化され、全ては風景の一部となる。このような中央から離れ辺境へ向かう旅には、寂しさと同時に快感が確かにあった。自分という存在の輪郭が一層明確になり、日常と切り離された時間の中で、何かが結晶化してゆく感覚……。


この日は1日曇りだったため、窓の外は空と海の判別もつかないほどの漆黒の闇が広がっている。島が小惑星帯のように点在する瀬戸内とは全く違う景色の中を、フェリー太古はタイムマシンのように静かに進んでゆく。2等寝室の雑魚寝の部屋は早々に消灯されてしまったため、僕は煮詰まった頭を切り替えようと、夜風にあたりにデッキへ出ることに。乗り込む時に見上げた博多ポートタワーが、今は遥か遠くに小さく見える。階段を上がると一人の若者が、電話で話しながらラップを刻んでいた。どうやら相手は恋人らしく、夜の海に愛のリリックが消えてゆく。さまざまな人生を乗せて、夜行船は玄界灘を西へ進む。僕は彼に気付かれないように、足音を殺してゆっくりとデッキの反対側へ。広大な外洋を眺めていると、東シナ海に浮かぶ屋久島へと自然と想いが飛んだ。


屋久島最終日も朝は晴れだった。荷物をまとめた僕たちは、縁側から差し込む透明な光の中、明彦さん夫妻と一緒に分厚い屋久杉板のテーブルをかこんで最後の朝食をとっていた。短い旅に終わりの時が訪れようとしていたが、奥さんの順子さんは明るく、早くも次の旅の話を持ちかけてくれた。


「次は家族も連れて夏に来るといいわよ。一湊のビーチはすごく綺麗なんだから」

「そうですよね。子どもにも屋久島を見せてあげたいですし、次は絶対連れてきたいなあ」


数日とは言え毎晩のように飲食を供にし、酒を酌み交わすと、距離感の近づき方が全然違うものだ。屋久島の実家のような居心地の良さも感じ始めているところだっただけに、何気ない会話も名残惜しい。再会を約束し、外で1枚写真を撮らせてもらった。






二人に別れを告げ、アサノさんと集落を歩くことにした。白川山は不思議なところで、一度この土地に入り込んでしまえば何とも居心地がいいところだった。川音を聞きながら、愚角庵や山尾三省の家のあたりまで歩いた。


奥さんの春美さんは出かけていて留守のようで、いつも空いていた入り口の扉が固く閉まっていた。改めて見ると主不在の建物は苔むし、屋久島の生命力溢れる自然に人の営みがあっというまに覆われゆくように見えた。ふとアサノさんが漏らす。


「サルスベリの木が見たかったなあ」


あまりにも周囲の植物が育ち過ぎていて、ついに最終日まで見つけることはできなかった。これは正確にはシマサルスベリと言って、種子島と屋久島にしか自生していないもの。通常のサルスベリは8月に赤い花を咲かせるが、この品種は6月の梅雨時期に白い花を付ける。その木は、三省さんの本にしばしば登場するものだった。


「たとえば庭を持っていらっしゃる方なら、好きで育てた樹があるとすると、その樹を自分の樹と決めて「自分が死んだら、その樹に魂を還す」。自分がその樹が好きでないとダメですよね。本当に好きで、自分とその樹が通い合うような樹を、生きてるうちにこの世界に見つけるということですね。」

  ——山尾三省『春夏秋冬 いのちを語る』(南方新社)


三省さんにとってその木とは庭のサルスベリだった。生物の中で最も長寿と言われている植物に、彼は魂を還して旅立っていったのだろうか。僕も目を凝らして家のそばや庭を注意深く見てみたが、それっぽい木は道からは見えない。かといって家の裏手に回り込むのも、生い茂る植物に阻まれてほぼ不可能。主不在の家の周りをしばらくウロウロし、さぞかし傍から見たら怪しい二人組だっただろう。アサノさんが残念そうに呟いた。


「これはもうちょっと分かんないね」

「そうですね。春美さんだけじゃこの草刈りだけでも大変でしょうし……」


僕たちは再訪を誓いつつ、車に乗り込み山を下ることに。その瞬間、白装束の編み笠をかぶった老人とすれ違った。あまりに急だったし、車を発車させた直後だったので止まることもできなかったが、一瞬目が合った。刺すような鋭い眼光。徒歩でこの長い山道を上がってきたのだろうか? 出で立ちもお遍路さんにそっくりで、四国だと見慣れているがここ屋久島では異質な雰囲気。しかしすぐに車はカーブを曲がり、この老人の姿は見えなくなってしまった……。今思い返しても集落との印象的な別れ方だった気がする。


最初はものすごく遠く感じた白川山の山道も、何往復かした今ではすっかり馴染みの道になっていた。アサノさんは慣れた手つきで軽妙にハンドルを切り、来た時の倍くらいのスピードで海へと下ってゆく。山尾さんの息子たちはこの道を走ってトレーニングをしていたと、本に書いてあるのを読んだことがあった。最初はそれが全く信じられないほどの長い山道だったが、ある程度通り慣れた今では、もしそういう風景に出くわしても、別段おかしくはないな、という心境になっていた。最初は野生と思えた山の中には、人の手が入った跡もちらほらとあった。『また来てね』と書かれたトトロの看板、そしてスノーマンをもじった『SLOW MAN』と書かれた看板、それらを越えると白川山の集落を出たという気持ちに。






「伝説の集落」というのは僕の勝手な思い込みで、当たり前だけどそこも人が生活を送っている普通の場所だった。愛し、泣き、笑い、時には怒りながらも、家族や友人たちと日常を分かち合うこと。そもそも近代とは人が家族や土から切り離されることの連続だった。当時、山尾三省ら部族のメンバー達によるコミューン運動はもの凄くアナーキーなことと受け取られたが(実際、島では新興宗教と思っていた人たちもいたと聞く)、彼らがその人生を賭し歴史に印した行動は、戦後の日本人が残した思想のなかで、数少ない色褪せぬ輝きを今も保ち続けている。高度経済成長やバブル景気などで浮かれる日本を尻目に、あくまで三省さんは家庭に軸足を置き、この辺境から自分の信じるメッセージを発信し続けた。


それまでの僕は、彼の著作で繰り返し語られる寂しさも、生活の貧しさも、読書体験でしか知らなかった。その言葉がどういう場所で、どういう切実さを持って産まれたものなのか? 現地の空気を実際に肌で感じた今なら、そのリアルが分かる気がした。屋久島のことが気になっていた大学時代に訪れても、これがもっと遅くてもダメだったと思う。タイミングは、いつもベストで訪れる。






車が屋久島を周遊する県道78号線に出ると、一気に空が開け、目の前に真っ青な海が広がった。不思議と気持ちも広く、晴れやかに。人の心は環境や風景に簡単に影響されるものなのだ。そのまま宮之浦を通り過ぎ、船が出港する安房の港へと向かった。


今回の短い旅でも、数は少ないが印象的な出会いもあった。


三省忌で出会った山下大明さんは、屋久島を中心に自然の中に分け入り、次々と写真集を出版している写真家だ。僕も何冊か写真集を見ており、その静けさに圧倒されていたが、実際に出会った本人も想像していた通りの静かな方。話によると山蛭などもたくさんいる凶暴な屋久島の野の山に、時には数か月もテントを持って泊まり込みながら撮影を続けるという。そうして撮られた屋久島の自然の風景は神秘そのもので、その土地に住まないと撮れないネイチャーフォトグラフの神髄を見る気がする。蛍飛び交う屋久島の森や雪景色などは、一朝一夕では拝むことすら出来ないだろう。そこからさらに山下さんは探求の歩を進め、光るキノコや蛍などを被写体に、より神秘的な屋久島を追求してもいる。


山下さんの写真は三省さんの詩と数々のコラボをしてきた。そして彼の屋久島移住の手助けしたのが、「晴耕雨読」というオープンから20年を越える老舗ゲストハウスを営む長井三郎さんだ。アサノさんと訪ねると快く中に招き入れてくれ、昔の屋久島の話をいろいろ聞くことができた。屋久島の高速艇が一時期は安くなっていた話や、屋久島が世界遺産になった経緯などを、時折冗談を織り交ぜながら話してくれた。それらの話題は興味深く、聞き飽きることがない。特に屋久杉を始めとする、屋久島の森をどう保護していくかという話になると俄然熱が入り、ついつい聞き入ってしまった。長井さんは1951年生まれで、早稲田大学に進学した後、1975年に屋久島に帰島。以後屋久島を守る会の運動に参加するなど、様々な活動をしてきた。2014年には『屋久島発、晴耕雨読』(野草社)という自身の著作も出版している。


話をしていると、屋久島の山をトレッキングして戻ってきたらしい若者が次々と席に付き、話題に加わってくる。東京や九州など全国各地から旅してきた彼らの話を聞きながら、長井さんは次はあそこに行ったらいいとか、このシーズンがお勧めだとか親切に教えてあげていた。書斎のような壁一面の本棚を背景にそれらを語る姿は、慕われる島の兄貴分的貫禄十分。これは決して飾らない長井さんのキャラクターから来ているのだろう。リピーター客が多いというのも頷ける気がした。実際にその後僕たちも、長井さんの案内でパノラマという移住者が経営する人気店を案内してもらったことは、Road to Yakushima(3)に書いた通りだ。その地域に長井さんのような水先案内人がいるかどうかは、ローカルが輝くためにすごく重要なことだと思う。そういう人に出会えるかどうかで、その土地の印象は全く変わってしまう。






長井さんは『生命の島』という、今流行のローカルメディアの先駆けとも言える雑誌にも寄稿していた。内容を見ると森林軌道の図面からウミガメやヤクザルなど島の自然の話、えびす神の考察といった民俗学の記事や観光と島の名産品の紹介、さらには独身男女のお見合いコーナーまでと幅広い内容。屋久島発のローカル誌として定期購読の読者を中心に、島内の企業が50社ほど協賛。一時は発行部数5千部を誇っていたという。雑誌で紹介されている島の物産を中心にした商品を通信販売で購入することもできたり、今見ても全く古びていない企画が多く、まさに屋久島の「ホールアースカタログ」と言ってもいい。この雑誌の精神を受け継ぎ、今では『屋久島ヒトメクリ』という冊子がヒトメクリというカフェから定期的に発行されるなど、彼らが掲げた辺境での文化活動の芽は途絶えていない。もちろん長井さんはそちらの冊子にも寄稿し、島発の言葉を繋いでいる。


それら旺盛な出版活動を支えているのが、書泉フローラという宮之浦の新刊書店だ。明彦さんに聞いた話では、例え屋久島といえども、三省さんの膨大な著作を並べて販売してくれる店はなかなかないという。


屋久島を周遊する幹線道路沿い、しかも宮之浦のど真ん中という一等地にあるフローラの外には、小学~年生といった子ども向けの雑誌が並び、店にはいるとジャンプやマガジンなどの漫画週刊誌がまず目に付く。よくある地方の新刊書店といった雰囲気かと思いきや、店の奥にはしっかりと、三省さんの著作や山下さんの写真集などを中心に、屋久島関連の出版物を面出しで並べているスペースがあった。時間をかけて作られたであろう圧倒的な棚の迫力は、この書店が一番売りたいのはこのコーナーの本なのだという強い意志を感じた。







出会った人々は皆、気負うことなく自然体で島を愛し、自分たちがなすべきことを追求していた。その全てを繋いでいたのが、詩人・三省三省という存在だった。彼の言葉は肉体が滅びてからもなお、より強くその引力を増しながら様々な人を引き寄せているのだ。時代は一周し、当時アナーキーなことと思われた三省さんらのコミューン的な生活と家族に軸足を置く生き方に同調する若者は僕の周りにも多いし、これからも増えていくだろう。それは少子高齢化社会に入り、生物の種の保存という観点からすると当然のことなのかもしれない。種とは精神のことでもある。残された詩や散文のことばを通じて、彼の精神は場所と時間を飛び越え、世界へ広がって保存されてゆく。ああ、ひょっとして白川山でサルスベリが見つからなかったのは、そのせいだったのではないだろうか。


安房の港へ到着したのは船が出発するギリギリの時間。係員に急かされ慌ただしく飛び乗るやいなや、水中翼船は桟橋から出港した。離れ行く屋久島を窓から見ると、今まさに雨雲に包まれスコールの中に消え行くところだった。見る見るうちに島影は雲と一体となり、もうそこに島があるのかどうかすら分からないほどに。あまりにもあっけない、屋久島との別れだった。やれやれ、さあ僕は僕で、魂を還す「自分の樹」を探しに行こう。旅はまだ続く。一つの旅の終わりは、次の旅の始まりなのだから。(了)





プロフィール


宮脇慎太郎(みやわき・しんたろう) 写真家。1981年、香川県高松市在住。著書に、日本三大秘境と言われる四国最深部の天空の集落・祖谷渓谷の四季を記録した写真集『曙光——The light of Iya valley』(サウダージ・ブックス)。瀬戸内国際芸術祭2016公式カメラマン。2019年以降、初のノンフィクション『ローカル・トライブ』、写真集『rias land 』を刊行予定。

Website: https://www.shintaromiyawaki.com/



#TheRoadtoYakushima #宮脇慎太郎

サウダージ・ブックス有限責任事業組合    info@saudadebooks.com
© Saudade Books 2018. All rights reserved.
Privacy Policy
  • Twitter - Grey Circle
  • Facebook - Grey Circle
  • Instagram - Grey Circle