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The Road to Yakushima #3(宮脇慎太郎)

最終更新: 2019年10月19日




episode 3


目が覚めると、部屋は真っ暗。どうやら夢を見ていたようで、見慣れない天井を見てもすぐには記憶が復活せず、一瞬自分がどこにいるの分からない。


それならば、と夢の内容を思い出そうとしても、一瞬天井に意識が行ったからか霧のように記憶が霞んでまったく思い出せない。いつもそうだ。シチュエーションや登場人物など、何か一つでも夢に出て来たキーワードを思い出せればいいのだが、こういう時の夢の記憶は二度と戻ってくることはない。そして次第に夢ではなく現実の、昨日出会った人の顔や桜島の風景などが次々と思い出された。そうだ、自分は屋久島に来ているのだった。


隣で寝ていたはずのアサノさんはもう起きてるようで姿が見えない。時計を見ると8時を回っていて、暗いのは窓にぶ厚いカーテンが閉まっているからだった。頭が少し重い。確か手塚さんたちが帰ったのは深夜だったように思う。調子に乗って焼酎を飲み過ぎたのがいけなかったかな……。





部屋から出ると、日本家屋の縁側に朝日が差し込んでいる。畳に落ちた鋭い斜光の先を目で追うと、天上天下唯我独尊のポーズをとったお釈迦様などが置かれた床の間があった。「やあ、よく寝れましたかな?」声をかけられて振り向くと、テーブルに明彦さんとアサノさんの姿。すでに奥さんが朝食を並べ始めていた。


一緒に朝食を食べながら三省忌の流れを軽くおさらい。まず白川山の集会所「やまびこ館」で法要があったあと、三省さんの代表的な作品「聖老人」を、京都などから集った能楽師の人たちが謡うという話だった。宴会明けの食卓はすごく和んだ雰囲気。一緒にお酒を飲んだり同じ屋根の下で寝るというのは、一気に心の距離が縮まると思う。


法要まではまだ十分時間があるので、アサノさんと集会場まで歩きながらあたりを散策することに。外に出るといつの間にか曇ってきた様子で、さっきよりもずいぶん暗くなって来た。屋久島は天気の移り変わりが激しい。昨日チカヨちゃんが「天気予報は全く役に立たないよ。降る時は降る、降らない時は降らない」と言っていたのを思い出した。


明彦さんの家は集落の入り口にあり、そこからちょっと距離をあけた所にいきなり三省さんの家と、愚角庵という書斎があった。本で読んで知っていた所に実際に来ると、いつも現実感がない。それらはすべてがこじんまりとしていて、木造やコンクリートで簡素に建てられている。町内会のお知らせを貼る掲示版もあり、この土地が一つの自治体として機能していることが分かる。






そこから道を曲がるとすぐ橋があった。「ああ、これかあ」とアサノさんが橋から川を見下ろして声をあげる。「ここで家族でよく泳いでいたみたいで、三省の詩にも出て来るんだよね。どこかで時間を見つけて泳いでみたいな」と嬉しそうに川面を見ている。巨大な丸い岩がごろごろと転がった清流。水はどこまでも透明で川底がハッキリ見え、岩にも水苔がついていない。山尾家以外にも、きっとたくさんの人がここで泳いだのだろう。


そこから道は上り坂になり、三省忌が開催されるやまびこ館までくねくねと折れ曲がりながら続く。想像していた集落と違い、開けた場所があったり家が密集してるわけではなく、谷底を流れる清流の谷沿いに、一定の距離を開けながら家屋が点在している感じ。みなセルフビルドで作ったのだろうか。それぞれが工夫を凝らした家はスタイルも様々で、木造のものや石やレンガを積み上げたものなど多種多様、まるでガウディの建築かと見まがうような立派なものもあった。家と家のほどよい距離感はそれぞれの家主が助け合いながらも、もたれかかることなく自立している印象を受けた。


珊瑚のかけらが埋め込まれた道や、分厚い鉄の扉も作られたしっかりとしたピザ窯に手作りの遊具。ミツバチの巣箱や、放し飼いにされたニワトリなども見られた。しかしかつて希望を持って作られたのであろうそれらの大半は、ゆっくりと確実に自然に還りつつあった。南方の亜熱帯植物の勢いは凄まじく、苔と供にあらゆる人工物を飲み込もうとしている。そういえば明彦さんも、家を出る時に必ず除湿器の電源を入れながら「ここはカビとの闘いだよ」と言っていた。谷底なので日照時間が短く、川や頻繁に降るスコールの湿気もそうとうなものなのだろう。すべてては大きな循環の中にあり、それを淡々と遂行する自然は、まるで意志ある兵士のようだ。


だがこれほど歩いても誰にも会わないとは……。伝説のヒッピーコミューン、アニミズムの詩人の聖地、知らず知らずのうちに勝手に僕が期待し過ぎたのか、そもそも一体何を期待していたのか。四国や本州で会うような、ヘンプの服に身を包んだ若い家族たち? 東南アジアの村のように裸で走り回る子ども? 「さすがにちょっと寂しいですね」とアサノさんに言うと、「そうだね、でも……」。同時に谷間に光が差し込んで来た。雲が切れたのだろう。急速に明るくなる周囲の景色。


「たぶんむかしはもっといろんな人が、ここにやって来たんじゃないかな。住人も旅人も、みんな本気だったと思う」

「青春だったってことですかね」

「単純に楽しかったんだと思うよ。当時は子どももたくさんいて、きっと賑やかだっただろうし」


そう、三省さんにも9人の子どもたちがいたし、集落全体だと相当な子どもの数だったはずだ。しかし昨日の飲み会で明彦さんに聞いたところによると、大半は島外に出てしまったという話だった。親のライフスタイルを、子どもがそのままトレースするとは限らない。むしろその逆のパターンがほとんどだろう。田舎暮らしの黄金時代とは、子どもが成人するまでなのかもしれないなとふと思った。





やまびこ館の中に入ると正面に仏壇が組まれ、三省さんの奥さんが法要の準備をしている。玄関に無造作にかけられたモノクロームの写真には、作業の合間に撮ったかのような古い集合写真があった。農業や労働で鍛えられた体つき、ほどよく日焼けした健康的な肌、老人から若者までニコニコと皆髭面で微笑み、まっすぐな目でカメラを見据えている。集落の全盛期のにぎわいは相当なものだったのだろう。生活をゼロから打ち立ててゆくことの喜び、新天地で仲間たちと見る夢。日本、いや世界中のヒッピーネットワークとも繋がっている白川山は、彼らにとって辺縁ではなく中心だった。


三省さんがナナオサカキなどと供に立ち上げた「部族」は白川山だけではなく、諏訪之瀬島の「バンヤン・アシュラム」、奄美大島の「無我利道場」、長野県に「雷赤鴉族」、東京の国分寺には「エメラルド色のそよ風族」などのコミューンを形成した。全盛期には日本全土に数十ものコミューンがあったと言われてるが、その大半は70年代中盤くらいには消えて行ってしまう。


しかし高度経済成長やバブル崩壊を経て、21世紀に突入してもすべてが無くなったわけではない。そしてローカルをうろうろしている僕の実感だと、かつてほどの苛烈さや哲学はないが、ゆるいコミューンは各地に増えつつあると感じる。彼らは自分たちのことをヒッピーだとも思っていないが、もっと自由に、もっと自然に「部族」の生き方を実践していると思う。そういう意味では、三省さんたちは間違いなく「闘い」に勝ったのだ。人生を賭して世界に問うた生き様、その思想に共鳴する者は今後もいなくなることはないだろう。






法要の前に山尾三省記念会の総会をやるとのことだったので、その間にアサノさんと僕は三省さんのお墓を訪ねることに。やまびこ館の横から沢沿いの山道を5分ほど上がると、ふいに視界が開けて山の斜面に二つのお墓を見つけた。墓石の一つには宇宙清浄、もう一つには南無不可思議光佛の文字と、真新しい花が供えられていた。


三省さんのお墓は後者。後から聞いた話だが、宇宙清浄の方は三省さんとともに最初に入植した方のお墓だそう。死してなお、その生き様を強烈に印象づける二つの墓石の存在感は圧倒的で、僕はしばらくそこから動けなかった。すぐ横には巨大なコブができた異形の樹が、まるで墓守のように立っている。お墓のすぐ前には、手塚さんの息子でアーティストの太加丸さんが建てたという小屋が。白川山出身の若者の活動を、二つのお墓が見守っているようでもあった。





やまびこ館に戻ると30人ほどの人が集まっており、いよいよ三省忌が始まった。実際に白川山に来る前は伝説の「部族」の集会ということで、何かニューエイジ系みたいなものも少し期待していたかもしれない。しかし昨日の飲み会あたりから、ここはそういう場所ではなく、完全に地に足の着いた生活の地なのだと感じ始めていた。


法要は完全に古典的なもので、いわゆる法事。まずはお坊さんによる法要が始まり、その後説法があった。いつも思うけど伝統宗教はすごい。あらゆる思想や生き方を死後に回収してゆく。その後、観世流の能楽師による「聖老人」の奉納が始まった。あの世を表現すると言われる能の響きは、不思議とこの生命力溢れる島でも違和感が無い。ハーメルンの笛吹きのように謡う能楽師に続き、ぞろぞろと皆で集落の道を下っていく。無事に奉納も終了し、あっという間に生誕80年だという三省忌は終了。会が終わるとすぐに集まっていた人たちも思い思いに帰ってしまった。寄せては返す波のように、また白川山の集落に戻る静寂。






ぽつんと残された僕とアサノさんは、三省さんの奥さんである春美さんに家に招かれ、一緒に食事をすることに。東京から帰省していた娘さんと、三省さんの息子で唯一人島に住んでいる道人君たちと丸い食卓を囲む。作ってくれたのは「冷や汁」というご飯にだしのきいた冷たい味噌汁をかけたもの。九州南部でよく食べられてるそうで、はじめて食べたのだがさっぱりしていてサラサラ流し込め、暑い夏でもいくらでも食べる美味しさ。


食べながら、道人君が集落から雨の日も風の日もスクーターで高校へ通った話や、それが壊れた時に三省さんが町のバイク屋で中古を探して買ってくれたことなどを話してくれた。まるで昨日のことのような話しぶりに、知られざる詩人の父親としての顔や、ここに確かにあった生活を伺い知ることができた。僕が四国で育ったのと同じだけの時間が、ここでも確かに流れていたんだと妙に感動する。


三省さんはここで確かに生きていた。そして自分の信念を証明するかのように人生を貫き通し、逝ってしまった。晴美さんや明彦さんがここで三省忌を続けるのも、僕やアサノさんがここに来たことも、その重力が大きくて、精神が未だ失われていないことの表れだと思う。








その後アサノさんは春美さんと本の打ち合わせがあるとのことだったので、僕は道路の向かいにある愚角庵へ。そこは三省さんが執筆していた当時のままの空間が保存されているという。いよいよ詩人の創作の空間と対面する時が来た。意を決して扉を開け、一人で中に入る。


まず入り口から正面に、鹿の頭骨やインドの聖者ラマナ・マハルシの肖像画が掲げられた棚が目についた。「凄い!」。思わず声が出る。中は時間が止まったような静けさ。


土間から上がると簡単な囲炉裏があり、その奥に8畳ほどの部屋。右手に執筆用の机があり、周辺に愛用していたであろうタバコや虫眼鏡、鞄などが生前そのままに置かれていた。机の上には訪れた人たちにより感想などを書き記すノートが置かれており、見ると想像以上に多くの人が全国各地からここを訪れているようだった。


左手には法華経を熱心に信仰していたという三省さんらしい大きな祭壇が。それはさながらアニミズムの立体曼荼羅のようで、観世音菩薩を中心としながらチベット密教の法具や貝殻、縄文土器や石などが無造作に配置されている。


その他の壁という壁は本棚になっていて、自身の著作を始め宗教や哲学の本が並ぶ。まさに祈り、書き、思索するためだけの空間。主は失ったが、三省さん自身により世界から選択されてここに集められた物に囲まれてると、まるで彼の頭の中に入ったかのような感覚に陥った。窓の外はすぐ森で、川が近くを流れているため水の音だけが微かに聞こえてくる。


しかし足元を見ると畳の上に蟻の行列が。湿気などで書物や建物の痛みも非常に激しい。家族や関係者だけでこの空間を維持するのは大変な苦労だと思う。各地から巡礼のように人々が集うこの場所は、これからの時代こそ価値を持つと思う。なんとか行政などの手により保存されて欲しいと切に願う。三省さんの肉体は滅んだが魂はまだ生きていて、今も夢は続いている。詩によって残された明確なメッセージが、その精神を確かに次代へと伝えている。






その後僕たちは宮之浦の町へ降り、ゲストハウス晴耕雨読の長井三郎さんに勧めてもらったパノラマという食堂へ。町の繁華街の中にあり、トビウオの刺身や屋久島のクラフトビールなど、今の屋久島を心ゆくまで味えた。人気の店のようで、食べているとすぐに店が一杯に。日本料理の店や寿司店で修行を積んだという店主やスタッフは皆若く、確実に屋久島も次の世代が育っているように感じた。


お客さんが並んで来たので早々に食事を済ませ、宵闇が迫る宮之浦の川沿いを歩いた。橋には提灯が連なり、まるであの世。さて、今夜はどんな夢を見るのだろう。最後の光が消えるまで、浮かび上がる入道雲をいつまでも見つめた。



プロフィール


宮脇慎太郎(みやわき・しんたろう) 写真家。1981年、香川県高松市在住。著書に、日本三大秘境と言われる四国最深部の天空の集落・祖谷渓谷の四季を記録した写真集『曙光——The light of Iya valley』(サウダージ・ブックス)。瀬戸内国際芸術祭2016公式カメラマン。2019年以降、初のノンフィクション『ローカル・トライブ』、写真集『rias land 』を刊行予定。

Website: https://www.shintaromiyawaki.com/



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